聖書メッセージ14「本当の幸い」

第14回「本当の幸い」

私は日本を代表する詩人宮沢賢治の書物を読むのが好きです。特に彼の代表作である『銀河鉄道の夜』は幻想的な雰囲気と独特の世界を与えてくれます。作品の中で、貧しく孤独な日々を送る少年ジョバンニと親友のカンパネルラが、宇宙を走る銀河鉄道に乗って天上の世界を旅します。その旅の中でジョバンニが「ほんたうのさいわひ(本当の幸い)」を求めていくのだという場面があります。

さて、みなさんにとって「本当の幸い」とは一体何でしょうか?ある人は、お金をたくさん稼いで贅沢な生活をすることが幸せと考えます。またある人は、健康で長生きすることが幸せと考えます。またある人は名誉を得て人から尊敬されることこそが幸いと考えます。確かにそれらのものは素晴らしいもので「幸い」と言うことができるかもしれませんが、「本当」にこだわって言うならば、少し考えさせられます。宮沢賢治は「いいえ、違います。本当の、本当の、本当の幸いなのです。」と、「本当」であることにこだわっています。宮沢賢治にとって「本当の幸い」とは、「僕はもうさそりのように本当にみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」というジョバンニの言葉に示されるように、最終的には、他人の幸福にあったのではないでしょうか。

それでは、永遠のベストセラーである聖書は、「本当の幸い」について何と言っているでしょうか。聖書の中に以下のようなことばがあります。「幸いなことよ。そのそむきを赦され罪おおわれた人は。幸いなことよ。主(神様)が、咎(罪)をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。」(聖書)

この背景には、過去においてイスラエルの王ダビデが犯してしまった取り返しのつかない事件があると言われています。ダビデ王は大きな罪を犯してしまい、良心が咎められ、長い間深い悩みと悲しみを経験しました。しかし、最終的には神様に罪を告白し、悔い改め、罪の赦しを得ることこそが、「本当の幸い」だと分かりました。

人には良心があります。ですから、罪を犯してどんなに人を騙すことができたとしても、神様の赦しを得なければ本当の心の幸いを得ることは決して出来ません。では罪を赦していただくためにどうしたらよいでしょうか。実は私たちの努力では罪を解決することはできないのです。ここで「良き知らせ」(good news)があなたにあります。
今から約2,000年前、御子イエス・キリストが、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかり、死んで3日目によみがえってくださったのです。誰でも罪を告白し、イエス・キリストを個人的な救い主として受け入れるなら、過去の罪も未来の罪もすべて赦され、天国に行ける約束が与えられるのです。罪が赦され、天国に行ける切符を持っている人こそ、「本当に幸いな人」なのです。聖書が語る「本当の幸い」は、人や時間によって奪われたり、制限されることのない絶対的なものと言うことができます。そして全ての人が無償で受け取ることができるのです。

「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世(人々)を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(聖書)

大津キリスト集会では、聖書から、「本当の幸い」について、真理をわかりやすくお話しています。どなたでもお気軽にお越し下さい。

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