コロナ感染下の福音集会開催のお知らせ

大津集会では、コロナ感染対策を徹底しつつ、福音集会を続けて行っております。皆様のお越しを歓迎致します。ご来会者の皆様の上に、神様の守りと祝福がありますように、お祈りいたします。

【動画のご案内】

【NEW】 2022.6.29. 「いのちより大事なもの」 ピリピ書1:20〜21(23分) 動画を見る
【NEW】 2022.6.29. 「神の前における罪の悔い改め」 詩篇32篇1〜5(19分) 動画を見る
【NEW】 2022.6.29. 「嵐の中の平安」 ルカの福音書8:22〜28 (20分) 動画を見る

新刊紹介

『28名の著名人と聖書-聖書の扉を開く』古賀敬太

これまで多くの著名人が、聖書の影響を受けてきました。この書物は、できるだけ多くの人に、聖書が彼らの生涯や著作に及ぼした影響を知ってもらいたいと思い、執筆しました。彼らの中にはクリスチャンもクリスチャンでない人も含まれていますが、人間のエゴイズムや死、生きる意味、神の存在など、人生の根本問題と格闘しつつ、聖書に触れた人々です。
著者:古賀敬太
価格:1,320円(税込)
ISBN978-4-901415-41-5
発売:伝道出版社

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お知らせ

当集会では聖書からわかりすくお話をしております。初めての方も大歓迎です。また、マスク、消毒、換気、Social Distance を取るなどのコロナ対策を行っていますので、安心してお越しください。

聖書のことば|7月

あなた方は目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方はその万象を数えて呼び出し、一つ一つその名をもって呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。 一つも漏れるものはない。
(イザヤ書 40:26)
“Lift up your eyes on high, And see who has created these things, Who brings out their host by number; He calls them all by name, by the greatness of His might And the strength of His power; Not one is missing.”
(Isaiah40:26)

聖書メッセージ56

星野富弘(1946〜 )と聖書ーいのちよりも大事なもの

「いのちよりも大事なもの」

あなたにとって一番大事なものとは何でしょうか? ある人は仕事と言い、またある人は家族と言い、更に別の人はお金と言います。しかし一番多いのは、いのちではないでしょうか。死んでしまったら終わりだ、生きていさえすれば、きっと良いことがあるとはよく言われる言葉です。たしかに、そこに真理の一端が示されています。
他方、自分の生きることだけを人生の目標にしてしまうと、自分を超えた価値や目標のために生きる生きがいやダイナミズムが忘れ去られてしまいます。私たちは、ただ生きるだけではなく、日々の日常生活の中で、何を最大の価値、何を生きがいとして生きているかが問われています。いわば生きる長さではなく、生きる質が問題なのです。
星野富弘さんの詩画集『花の詩画集 鈴の鳴る道』(1986年)や『かぎりなき、やさしい花々』(1986年)などには、富弘さんの多くの詩画が収載され、多くの人々の共感を生み出し、公立学校の教科書にも採用されています。その中の一つの詩に、「いのちよりも大切なもの」があります。紹介しましょう。


「いのちが一番大切だと
思っていたころ
生きるのが苦しかった。
いのちよりも大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった。」

この詩が発表され、共感を持って受け入れられてから、星野さんに「いのちよりも大事なものとは一体何ですか」という質問が数多く寄せられたということです。というのもこの詩には答えが示されていないからです。それでは、星野さんは、「いのちよりも大切なもの」をどこに見出したのでしょうか。星野富弘『愛は深き淵より』(立風書房、1990年)より、紹介します。

「星野富弘さんの事故」

星野富弘さんは、1946年に群馬県の現在のみどり市に生まれ、群馬大学を卒業して、中学の体育の教師になります。しかし1970年6月に器械体操の跳び箱で宙返りした時に、首の骨を折る大事故をし、頸髄損傷で、肩から下が麻痺し、用便も食事もできない状態になりました。生きる意味を見失い、何度も自殺を考えたということです。彼は、「舌を噛み切ったら死ぬかもしれないと考えたりした。食事をしないで餓死しようともした。が、はらがへって死にそうだった。死にそうになると生きたいと思った。母に首をしめてもらおうと思ったが、母を殺人犯にさせるわけにはいかなかった。」と当時のことを述懐しています。
こうした絶望的な状態にあった星野さんが、キリストに導かれるようになります。星野さんはそのために、自分の弱さと醜さを学ぶことが必要でした。

「自分の弱さを徹底して知る」

人生に絶望していた時に、大学の友人でクリスチャンの米谷さんが病院に星野さんを見舞いに聖書を持ってきました。しかし、星野さんはその聖書を読まないで、段ボール箱に入れて放置していたそうです。どうしてでしょうか?彼が、聖書を開くことに抵抗感を感じたのは、「あいつは、苦しくて、とうとうキリスト教という神様まですがりついたのか」と言われることを恐れていたからです。神様を信じるのは弱いからであって、もっと自分は強くならなければという思いがあったのです。実際、星野さんのそれまでの歩みは、自分の身体を鍛えて、強くなるという意思に貫かれていました。
しかし、気管切開して口も開けなくなった時に、自分の弱さを痛切に感じざるを得ませんでした。自分の弱さを知らなければ、人は神 に白旗を上げようとはしません。彼は、人工呼吸器に繋がれて、天井を見て生活する日が続くなかで、「私が強くなろうと思ってやった色々なことは、その時私を強くしてくれていたのではなく、弱さを、いつだって自分の弱さを思い知らしていたのではなかったのか。私はその弱さを自分で認めることが恐くて、無理に強くなったと自分にごまかしていいきかしてきたのではなかったか」と自問自答し、それは、「強さという衣を着たに過ぎない私の弱さそのものではなかったのか」と述べています。そして彼は、「もしかしたら、私はほんとうの自分の姿にもどったのではないだろうか」と述べています。これは大事な気づきです。人は自分の弱さやちっぽけさを知る時に、自分を超えた神の力と愛に眼が開かれていきます。人は自分で生きているのではなく、神によって生かされていることを知るようになります。
それでは、キリストに導かれるために必要なもう一つのこととは何でしょうか?

「自分の醜さを知る」

星野さんは病院で骨折をして入院しているクリスチャン女性から『塩狩峠』、『道ありき』、『光あるうちに』を読むように紹介されて、私たちは、「生きているのではなく、生かされているのです」という三浦綾子さんの言葉に心を動かされるようになります。この時から彼は、米谷さんが持ってきた聖書を渇きを持って読み始めるようになります。
と同時に、彼は、病院でのある出来事を通して、自分の醜さに目が開かれます。それは、スキー大会で転倒し、星野さんと同様に、四肢が全く麻痺してしまった中学生のター坊が、腕も足も動くようになり、自分で排泄をし、食事が出来るようになったことでした。それまで、星野さんは、自分と同じ不自由な状態にあったター坊を励ましていましたが、この時は、ター坊の回復を喜べず、強い嫉妬を抱いたのです。後に星野さんは、この時の経験を次のように詩で表現しています。

「体のどこかが人の不幸を笑っている。
ひとのしあわせがにがにがしく
『あいつもおれみたいに動けなくなればいい』と思ったりする。
体の不自由から生じたひがみだろうか。
心の隅にあった醜いものが、
しだいにふくらんできたような気がする。
自分が正しくもないのに
人を許せない苦しみは
手足の動かない苦しみを
はるかに上回ってしまった。」

「イエス・キリストを信じる」

星野さんは、本当の自分の姿に向き合うようになり、心の底に鉛のように重く溜まっている孤独や不安、罪責感に恐れおののくようになります。その時に彼が、聖書を開き、慰めを与えられたのが、イエスの招きの言葉でした。
「 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
彼は、この時の経験を後に次のように証しています。
「思い切って、イエス様の名を呼び、聖書を開いてみました。そしたら長い間苦しみ
ながら探していた私に語りかける言葉に会うことができました。上を向いて寝ている私の目に映るものは、天井の70枚のベニヤ板だけではなくなりました。その灰色のベニヤ板のつぎ目さえ、私たちのために血を流された十字架に思えます。楽しい時に感謝し、心の沈んでいる時、名を呼べる方が、今までになかった喜びです。」
星野さんは、十字架上で「父よ彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか、自分でわからないのです。」とご自身を十字架につける者たちのためにとりなしの祈りをされたイエス・キリストのことばを、自分のために語られた言葉として受け入れ、生涯イエスの招きに従っていくことを決意します。この時こそ、星野さんがいのちよりも大切なものを見出した瞬間でした。
そして星野さんは、1974年12月22日、事故が起こった4年半後に、自分の救いのために祈り、訪問してくれたクリスチャンたちの前で信仰告白をし、洗礼を受けます。

「新たな使命」

星野さんの教師生活はわずか2ヶ月でした。しかし彼は、9年間の入院生活の中で、キリストにあって、新たな生きる意味を見出し、新たな使命を与えられました。それは、口に筆を加え、絵や詩を書き、キリストによって生かされている喜びを多くの苦しんでいる人々に伝えることでした。確かに星野さんの詩画には、八木重吉や水野源三の詩のようにキリストの愛や救いが前面に出ているわけではありません。「いのちよりも大事なもの」の詩に答えがあるわけではありません。また「人間にとってどうしても必要なものはただ一つ」と書きながら、それが一体何であるかが書かれていません。読者は、「いのちより大事なものはなにか」、「どうしても必要なものはなにか」を自分で真剣に考えるように導かれるのです。星野さんにとって、「いのちよりも大事なもの」、「どうしても必要なもの」は、疑いの余地がありませんでした。それは、星野さんを、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい」と招かれたイエス・キリストです。彼の詩画集は、表面には出てきませんが、イエス・キリストの愛の精神で満ちています。

「パウロの告白」

最後に使徒パウロの言葉を紹介します。彼は信仰を持つ以前は、クリスチャンを迫害していました。彼は後に自分のことを「罪人の頭」と言っています。彼は非常に強い罪責感を抱いていました。それだけ、キリストの十字架の死と復活によって、自分の罪が赦されていることを知り、心からキリストに感謝します。イエス・キリストの愛を知ったパウロは、キリストのために自分のいのち捧げる人生を選び取ります。そこには、いのちに執着して、できるだけ長く生きたいという思いはありませんでした。パウロは自分の切なる願いについて、「生きるにしても、死ぬにしても、私の身によってキリストが崇められることです。わたしにとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。」(ピリピ 1:20〜21)と告白しています。パウロにとっていのちよりも大事なものは、イエス・キリストでした。彼は、キリストのためにいつでも死ぬ用意ができていました。

参考文献

星野富弘『愛、深き淵より』(立風書房、1990年)
星野富弘『いのちより大切なもの』(フォレストブックス、2012年)

聖書メッセージ57

ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1807-75)と聖書ー人の目と神の目

「アンデルセンの生涯」

アンデルセンは、1807年に、デンマークの第二の都市、オーデンセの貧しい貧民街に生まれます。父は靴職人、母は洗濯婦で、祖父は精神障害を患っていました。父はアンデルセンが11歳の時人生に疲れ、精神的に異常をきたし、死んでしまいます。極貧の中でも、母親は信仰深く、アンデルセンに神さまの話をしていました。アンデルセンは、1823年に、母親のことを回想しつつ、次のような詩を書いています。

「多くの眠れぬ夜のなか」

あなたの祈りはひびき
あなたの熱い涙は
私のために流されました
あなたが息子のために
熱心に主に祈って下さったため
善き主はその敬虔な祈りを
きかれたのです!」

アンデルセンは1819年にコペンハーゲンに来て、1828年にコペンハーゲン大学に最優秀の成績で合格します。そして24歳の時に作家になることを決意します。彼の作家としての成功は、1835年に『即興詩人』を書いた時で、各国語に翻訳され、ベストセラーになります。日本では、森鴎外が1892年『即興詩人』をドイツ語版から重訳しています。その後アンデルセンは、童話に挑戦して、「人形姫」、「マッチ売りの少女』、「みにくいアヒルの子」などの名作を次々に生み出します。アンデルセンの童話には「マッチ売りの少女」や、「醜いアヒルの子」 のように、人目には貧しく、みすぼらしく見える人物や動物が、神の目からすれば尊く、愛すべきかけがいのない存在として描かれています。
アンデルセンは生涯独身で過ごし、1875年70歳で天に召されました。彼の葬儀はなんと国葬で行われ、デンマーク中の人々が彼の死を痛み悲しんだと言われています。アンデルセンの墓の墓碑銘には、以下のような言葉が刻まれています。たとえ肉体は滅んでも、永遠のいのちを与えられて、天国で生きているという意味です。

「神おのが姿に像(かたちど)り給いし人の霊は
朽ちることなく、消ゆることなし
地上のいのちは、永生の種子
肉はほろぶれども、霊は死なず」

以上のアンデルセンの生涯を覚えつつ、彼の代表的な作品を、時代順に、「皇帝の新しい着物」、「マッチ売りの少女」、「醜いアヒルの子」、「赤い靴」という四つの童話に絞って、人の目と神の目の比較という視点から考えてみたいと思います。

「皇帝の新しい着物」(1837 年、32歳)

人間は様々な衣装を着て、自分を飾り、他人に自分を良く見せようとします。その衣装を脱ぎ捨ててみれば、赤裸々な真の姿が露わになります。「皇帝の新しい着物」は、そのような童話です。皇帝は、新しい着物を見せびらかし、人々の賞賛を得ることが大好きです。ある時、機織り人と名乗る二人のいかさま師がやってきて、皇帝に、想像も及ばないほど美しい着物を作ることが出来るといって、多額のお金をもらいます。その時にいかさま師は、着物には不思議な性質があり、「自分の地位にふさわしくない者はそれが見えない」と言います。皇帝に信頼されている大臣が織物を見にきますが、全く見えないのに、「おお、みごと!みごと!まったく、えもいわれぬものじゃ!」と言います。皇帝も見に来て何も見えませんが、やはり「なかなか見事なものじゃのう!、大いに気に入ったぞよ!」と豪語します。自分が皇帝にふさわしくないと思われないためです。人が物事を見る目は虚栄によって曇らされ、真実の姿を見ようとしないのです。
皇帝が行列を従えて行進するときも、往来の人々は「これは、これは!皇帝のこんどのお召しものは、なんと珍しいものでしょう。——ほんとうによくお似合いですこと」とおべっかをいいます。誰も自分が馬鹿と思われたくないので、真実が言えないのです。皇帝も大臣も取り巻き連中も、そして民衆も真実が言えず、虚栄と虚偽で支配されています。その時に、ひとりの小さなこどもが「なんにも来てやしないじゃないの」と叫ぶのです。その叫びによって、皇帝は裸であるという事実が広まっていきます。
この童話は、私たちに大事な事を教えています。多くの人は虚栄や地位、面子に支配されているので、本当のものを見ることができません。真実を見抜いたのは、天真爛漫な、小さなこどもでした。聖書の中でイエスは、一人のこどもを呼び寄せ、「誰でもこの子供のように自分を低くする人が、天の 御国で一番偉いのです」(マタイ18:4)と語られました。アンデルセンの脳裏にあったのは、このイエスの言葉ではないでしょうか。

「マッチ売りの少女」(1845年、40歳)

大晦日の晩、雪が降る寒い冬に、ひとりのみすぼらしい少女が、帽子もかぶらず裸足でマッチを売っていますが、誰も買ってくれません。少女は寒さで死にそうなので、マッチをすって、指先を暖めようとします。後に彼女が死んでうずくまっている姿が発見されました。凍え死んだのです。悲劇です!しかし少女は死んだ時に、微笑みさえ浮かべていました。なぜでしょうか?
実は少女は、マッチをすった時に、自分を世の中でたった一人可愛がってくれたおばあさんが幸福そうに、光り輝きながら死んでいく姿を見、「私を連れて行ってちょうだい!」と叫びます。そうすると、おばあさんは、小さい少女を腕に抱き上げて、光と喜びに包まれて、高く高く昇っていきました。アンデルセンは、「二人は、神のもとに召されたのです」と記しています。私は、このおばあさんの姿に、極貧の中でも神様を愛して天国に召されていったアンデルセンのお母さんの姿を認めるのです。そしてマッチ売りの少女は、アンデルセン自身ではないでしょうか。アンデルセンの墓誌銘「肉は滅ぶれども、霊は死なず」とあるように、イエス様を信じる人は、天国に導かれ、永遠に神の愛に包まれるのです。そこにアンデルセンの希望がありました。人々は、極貧の中でマッチを売っていた少女を冷たい視線でみていたかもしれません。しかし神は、少女をこよなく愛し、ご自分のもとに導かれたのです。

「みにくいアヒルの子」(1843年)

あひるのお母さんが、卵を産み、雛が現れますが、最後に卵からかえった雛が、灰色の醜いアヒルの子です。この子は、同じお母さんから生まれたあひるの子からもいじめられ,家を逃げ出しますが、どこに行っても嫌われ、除け者にされます。野鴨、二羽のガン、猫とニワトリからもいじめられて、冬の氷の中に凍りついて死にそうになりますが、ひとりの百姓に助けられます。そして醜いアヒルの子は、三羽の美しい白鳥を見て、白鳥に殺されるのを覚悟で、近づいていきます。その時に醜いアヒルの子は、水のおもてに映った自分の姿を見ますが、なんとそれは白鳥の姿でした。それは、「あのぶかっこうな灰色の、みんなに嫌がられた、みにくいアヒルの子ではなくて、一羽の立派な白鳥でした」。そしてこの童話は、白鳥が喜びの声をあげて、「僕が、みにくいあひるの子だった時は、このような多くの幸福は夢にも思わなかった!」という言葉で終わっています。
私たちは、この童話をどのように解釈したらいいのでしょうか。白鳥の子はひなの時には灰色なので、大きくなって成長して真っ白になっただけだと考えることもできるかもしれません。しかし聖書的視点から考えると、神のまえに醜く、誰からも相手にされなかった罪人が、イエス様の血によって清められ、罪が覆われて、白鳥のようにされたことを示しているのではないでしょうか。
聖書は、「たとえ、あなた方の罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる」(イザヤ書1:18)と約束しています。人が見る目と神が見る目は異なるのです。

「赤い靴」(1845年、40歳)

「赤い靴」は、教会、 牧師、洗礼、賛美歌、聖餐式、天使といったキリスト教的な言葉で満ちています。しかしこの童話は実は「悔い改め」の童話なのです。そしてそこにはアンデルセン自身の放蕩生活の悔い改めが示されています。
お母さんをなくして孤児となった貧しい少女カーレンは、お年寄りの奥様に引き取られ、赤い靴を買ってもらいます。カーレンは堅信礼( 成人になった時に自分の信仰を言い表す儀式)という大事な式に赤い靴を履いて出席し、神様のことは考えずに、赤い靴のことばかり考えていました。聖餐式(イエス・キリストが人間の救いのために、十字架上で裂いた肉体、流した血を記念し、肉体を象徴するパン、血を象徴するぶどう酒に与る儀式)にも、黒い靴をはいていくように言われても、赤い靴を履いていくのです。賛美歌を歌う時も、祈る時も、赤い靴のことばかりを考えています。きわめつけは、養母が病気で寝つき、死期が近ずいていて、看病しなければならなかったのに、赤い靴を履いて大舞踏会に行き、踊り始めるのです。そして自分が踊りをやめようと思っても、やめることはできません。自分の意思にかかわらず、踊り続けて、舞踏会を出、町の門を出、森の中に入り、畑を超え、草原を超え、最後に墓地にやってきます。その時に、長い白い衣を来て大きな剣を持っている天使がカーレンに「おまえはいつまでも、踊り続けるのだ! その赤い靴を履いて踊るのだ!おまえが青ざめて、冷たくなるまで! 」と冷たく宣告します。実は赤い靴が象徴する人間の欲望、エゴイズムは止まることなくはエスカレートして、人間はその奴隷となり、死ぬまで続くのです。そしてしの結末は神の裁きです。
カーレンは恐ろしくなり、自分の罪を深く悔い改め、涙に濡れた顔を上げて、「おお、神様! どうぞわたしをお救いくださいませ!」と祈ります。
その時に、白い衣を着た天使が今度は、剣ではなく、バラの花をいっぱいつけた美しいみどりの枝でカーレンを迎え、教会に連れてゆきます。教会では、「カーレンや!よく来ましたね!」と声をかけられ、カーレンは「神様の御恵みでございます」とへりくだって答えるのです。カーレンの心は、神様に帰って、平和と喜びに満たされるようになりました。
カーレンは、神様に背を向けて、自分の赤い靴に心を奪われていました。そのまま進んでいけば、罪が罪を生み出し、エスカレートし、神の審判が待っているだけでした。しかし、カーレンはその前で悔い改め、罪を告白し、救われるのです。
私たちの赤い靴、私たちの心を捕らえて離さないものとは一体何でしょうか。私たちもカーレン のように自分の赤い靴で踊り蹴ているのではないでしょうか。カーレンのように、罪を悔い改め、イエス・キリストを信じて、罪の赦しと喜びが与えられれば幸いです。

「ダビデの悔い改め」

旧約聖書に登場するイスラエルの統一王国の王様であるダビデは人妻であるバテシバに対して姦淫の罪を犯し、さらにそのことを隠蔽するために、バテシバの夫で軍人であったウリヤを戦いの前線に送り、死なせてしまいます。直接手を下した訳ではありませんが、間接的な殺人です。神はダビデの心をご存知で、その責任を問うておられます。一年間ダビデは、この姦淫と殺人犯の罪を覆い隠していましたが、罪責感で生ける屍のようになっていました。しかし一年後、罪を告白して、罪が赦された時に、平安と喜びに満たされるのです。
ダビデは、この経験を、詩篇32篇で、次のように言っています。
「幸いなことよ その背きを赦され、罪をおおわれた人は—–
私が黙っていたとき、私の骨は疲れ切り、
私は一日中うめきました。
昼も夜も、御手が私の上に重くのしかかり、
骨髄さえ、夏の日照りで乾ききったからです。
私は自分の罪をあなたに知らせ、
自分の咎を隠しませんでした。
私は言いました。
「私の背きの罪を種に告白しよう。」と。
すると、あなたは私の罪の咎めを
赦して(くださいました。」(詩篇32:1、1-5)

「アンデルセンが教えるもの」

お母さんによって、真実な信仰を教えられたアンデルセンの心温まる童話を通して、私たちは人間的にいかに貧しく、弱く、醜くかったとしても、神の目は人の目とは異なり、わたしたち一人一人を尊いものとみなしておられることを知ることができます。他面、人がどんなに虚栄を張り、自分を偉そうに見せ、自分の利己的な欲望を追求していても、神は真実の人間の姿を知っておられ、悔い改めを求めておられることを学ぶことができます。私たちは、アンデルセンの童話を通して、貧しく、虚栄に満ち、醜い世界の只中にも、神の恵みが豊かに注がれていることを知ることができます。それは、神がひとり子イエス・キリストを私たちの罪のために十字架につけるほどまでに、私たち一人ひとりを愛しておられることによって明らかです。

参考文献

1 『アンデルセン童話集1』(岩波文庫、2020年)に「皇帝の新しい着物」が、『アンデルセン童話集2』(岩波文庫2018年)に、「みにくいアヒルの子」 、「赤いくつ」、「マッチ売りの少女」が収載されている。
2 『アンデルセン・シンフォニー』(いのちのことば社、1990年)

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