聖書のことば|3月

“私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは労苦とわざわいです。------どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに、知恵の心を得させてください。” (詩篇90:10、12)
“The days of our lives are seventy years;and if by reason of strength,yet their boast is only labor and sorrow.——So teach us to number our days.that we may gain a heart of wisdom.” (psalm90:10,12)

お知らせ

当集会では聖書からわかりすくお話をしております。初めての方も大歓迎です。また、マスク、消毒、換気、Social Distance を取るなどのコロナ対策を行っていますので、安心してお越しください。ただし参加される方、また聖書のメッセンジャーのマスク着用は自由になっています。

読書会のご案内

●テキスト:古賀敬太著『28名の著名人と聖書』(伝道出版社) 
●講師:古賀敬太
(1952年福岡県生まれ。大阪国際大学名誉教授、元同志社大学非常勤講師)

●毎月1回読書会を行います。関心のある方は是非ご参加下さい。
●テキストは持っておられなくてもレジュメがあります。
●参加費は無料です。

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新・聖書入門講座のご案内

聖書をわかりやすく読むために、新聖書入門講座を設けました。今回の講座は、集会所に集まって対面でおこなうものではなく、大津キリスト集会のHPでアップされる動画を見て、視聴者の方々が聖書に親しむ方式をとっています。

新聖書入門講座では、マタイの福音書を1年半ほどかけて読んでいきます。毎月、一章ないし二章の割合でアップしていきますので、連続して最後の28章までお聞きくだされば幸いです。

質問、感想があれば、下記フォームよりお問合せください。

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【動画のご案内】聖書入門ールカの福音書を読む

今月からルカの福音書を読みます。

ルカの福音書

【NEW】 NO.1 「ルカの福音書の特徴と概観」 動画を見る
【NEW】 NO.2 第一章「神のとって不可能なことはない」 動画を見る
【NEW】 NO.3 第二章 「イエスの誕生」 動画を見る

「聖書入門―キーワードで読む聖書」

第二十回 再臨(παρουσία, パルーシア、second coming)
「再臨のギリシャ語パルーシア」
「再臨」のギリシャ語「パルーシャ」は、新約聖書では24回使用されていて、邦訳では、「来臨」、「来られる」、「到来」などと文脈に応じて異なった訳がなされています。

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第十九回 宥めの供え物復活(άνλάστασις, アナスタシス、resurrection)
「ギリシャ語の復活」
ギリシャ語の復活のことばは「アナスタシス」ですが、新約聖書で42回用いられており、アナは「再び」、ないし「上に」、スタシスは「起き上がる」の意味があり ます。

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第十八回 宥めの供え物(propitiation,ὶλαστήριον,ヒラステーリオン) 
  「宥めの供え物」
宥めのそなえもの(ὶλαστήριον,ヒラステーリオン、propitiatiomないしatonement)について考えてみます。なお英語のpropitiation は宥めるという意味ですが、atonement は「償う」という意味があります。

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第十七回 神の愛(love of God、ἀγάπη,アガペー)  
  「新約聖書における神の愛」
神の愛は、ギリシャ語でἀγάπη,アガペーと言います。皆様も聞かれたことがあるかと思います。

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第十六回 神の子(son of God,ὀ υὶος του θεου,ホ ヒュイオス トゥー セウー)  
  「イエスは神の御子」
「神の御子」という表現は、新約聖書に45回使用され、主に福音書に登場します。 「神の子」は、イエスに対して使用される場合、

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第十五回 永遠のいのち(everlasting life,ζωή αἰώωιος,ゾーエ―・アイオーニオス)
「聖書における永遠のいのち」 
「永遠のいのち」という言葉は、新約聖書で43回使用されており、大半はヨハネの福音書の中にあります。

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「新約聖書における神の国の記述」
第十四回 神の国(kingdom of God、βασιλεία τοû θεοû, バシレイア・トゥ-・セウー)
新約聖書では、「神の国」はルカの福音書で32回、マルコの福音書で14回、マタイの福音書で4回、ヨハネの福音書で2回使用されています。

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第十三回 新生(regereration,παλιγγενεσία,パリゲネシア)
「新生のギリシャ語」
この新生(παλaιγγενεσία,パリゲネシア)というギリシャ語は、πἀλιν(再び)とγἐνεσις(生まれる)から成っており、

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第十二回 仲介者、μεαίτης,メシテ―ス,mediator)
「仲介者」
「仲介者」というギリシャ語である「メシテ―ス」は、新約聖書で6回用いられています。「中間に立ち、両者を結び合わせる人」という意味です。

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第十一回 和解(καταλλαγή カタラゲー、reconciliation)
「和解のギリシャ語」
和解という聖書のキーワードは、すでに述べた「贖い」や「義認」と同様に、罪の赦しや救いを意味する言葉です。和解のギリシャ語の名詞は、カタラゲー、和解するの動詞は、καταλλσσω(カタラソー)です。

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第十回 義認(δικαιὀω,ディカイオオー、justifucation)
「義と認める」
「義と認める」(δικαιὀω)という言葉は、新約聖書で39回使われ、特にローマ人への手紙で15回、ガラテヤ人への手紙で8回用いられています。多くは、「義と認められる」、つまり義とされるという意味で受動態で用いられています。

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第九回 贖い(λὐτρωσις(リュートローシス),άπολύτρωσις(アポリュトローシス)、Redemption)
「贖(あがな)う」
聖書で「贖(あがな)う」という場合には、代価を払って買い取る、ないし解放するという意味があります。奴隷解放が、イメージとしてわかりやすいと思います。奴隷を主人から、身代金を払って解放するという意味です。

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第八回 主(Lord,kύριος、キュリオス)
「主であるイエス・キリスト」
聖書では、イエスは救い主であると同時に主であると語っています。例えばペテロ第二の手紙2章20節では、「主であり、救い主であるイエス・キリスト」(IIペテロ2:20)とあります。イエスは、私たちの罪を負い、十字架にかかり、罪の赦しの道を開かれた救い主です。

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第七回 キリスト(Christ、Χρστός、クリストス) (2023、7、1)
「イエス・キリスト」
イエス・キリストは、大谷 翔平というように、姓と名前の関係ではなく、イエスこそがユダヤ人が待ちに待っていたキリストであることを指しています。それでは、キリストとはどういう意味なのでしょうか。クリストスというギリシャ語の言語は新約聖書に531回、パウロの書簡に383回用いられています。

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第六回 福音(εύαγγέλιον、エウアンゲリオン)(2023、6、1)
「福音ー良き知らせ」
聖書は、「福音」(エウアンゲリオン)という言葉を、93回も記しており、福音はgoodnews , 良き訪れを意味します。ギリシャ語のエウアンゲリオンのエウは、良いという意味で、アンゲリオンは知らせを意味します。聖書のメッセージは、福音にあるといっても過言ではありません。

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第五回 罪(ἀμαπτία、ハマルティア)(2023、5、1)
「罪と犯罪は同じではない」
聖書の中でもっとも重要ですが、同時に最も理解されていないのが罪という概念です。聖書のメッセージを聞かれた方が、「あなたは罪人です」と言われると、「そんなはずはない」と反感を露わにされるか、「みんな、同じだ、私だけではない」と開き直られるかどちらかです。

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第四回 人間(ἂνθρπος、アンスロポス)(2023、4、1)
「人間と動物の違い」
人間とは一体、どのような存在でしようか。ひとつの答えは、言葉を持っているかどうかです。私たちは、それぞれの母国語や習得した外国語で、同国人や外国人と会話し、考えを共有します。

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第三回 神(θεός、テオス)(2023、3、1)
「聖書における神の翻訳の歴史」
神は、聖書ではどのように翻訳されてきたのでしょうか。日本人で神を信じるという方は少なからずおられます。「何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という西行法師

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第二回 契約(2023.2.1)
「聖書をどのように読むか」 
聖書は、旧約聖書39巻、新約聖書27巻によって構成されています。私たちは、聖書をどのように読んだらいいでしょうか。約2000年前に書かれた古典の書として読まれる方もおられます。あるいは人間がどのように行動すべきかの道徳の書として読まれる方もおられるかもしれません。

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第一回 クリスチャン(2023.2.1)
「クリスチャンとは何か」
クリスチャンとは一体どのような存在でしょうか。クリスチャンとクリスチャンではない人の違いとは一体何でしょうか。多くの人は、洗礼(バプテスマ)を受けているかどうかの違いと考えられると思います。洗礼が、クリスチャンかそうではないかの試金石だと思われるのです。

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新刊紹介

『28名の著名人と聖書-聖書の扉を開く』古賀敬太

これまで多くの著名人が、聖書の影響を受けてきました。この書物は、できるだけ多くの人に、聖書が彼らの生涯や著作に及ぼした影響を知ってもらいたいと思い、執筆しました。彼らの中にはクリスチャンもクリスチャンでない人も含まれていますが、人間のエゴイズムや死、生きる意味、神の存在など、人生の根本問題と格闘しつつ、聖書に触れた人々です。
著者:古賀敬太
価格:1,320円(税込)
ISBN978-4-901415-41-5
発売:伝道出版社

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聖書メッセージ77

聖書メッセージ 77|キリストを信じた死刑囚、竹内敏彦
ーキリストを信じた死刑囚、竹内敏彦ー

「半田保険金殺人事件」

 長谷川敏彦(旧姓竹内)は、愛知県と京都府で生命保険をかけた知人三人を殺害し、死刑判決を受けた死刑囚です。以下、竹内という旧姓を用います。
竹内は、1950年愛知県知多市に姉3人、兄3人という7人兄弟の末っ子として生まれました。1973年に結婚し、翌年長男、1976年に長女が生まれています。彼は、「竹内自動車板金」という会社を始めましたが、次第に借金がかさむようになり、人を殺して保険金をだまし取ろうと計画しました。最初の殺人は、社員であった井田正道と共謀して、やはり社員であった吉川という独身の男性を殺害したことです。二番目の殺人は、やはり井田と共謀し、運転手の野原秀雄を殺害し、保険金2000万円をだまし取ったことでした。第三の殺人は井田と共謀し、竹内を何度となく恐喝していた暴力団組員の木下を殺害したことです。

「聖書に触れる」

竹内がクリスチャンになるきっかけとなったのは、竹内の国選弁護人青木栄一の存在です。彼は愛知県警本部の留置所にいた竹内に新約聖書を差し入れています。竹内は聖書を読み始めるようになりますが、理解できないところが多く、特に、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」という聖句に反発します。彼は、自分を脅迫していた暴力団員を憎んでいたからです。彼はとうとう聖書を読むのをやめてしまいます。

「激しい罪責感」

竹内は、名古屋拘置所の独房に移されて、自分の犯行に対する罪悪感に襲われます。大塚は、彼の罪責感について、『死刑』の中で、「棘は、一時も敏彦の心を離れることはない。一番深い眠りのなかでさえ敏彦をさいなみ続ける。ある時は夢になって現れ、敏彦は汗をびっしょりかいて、自分のうめき声に眠りを破られることもある。誰にも話せない。棘の苦しみ。その苦しみを背負って日々を生きているのだ。それには終わりが来ない。」(56頁)と書き記しています。それは、この世の地獄でした。

「青木弁護士のことば」

彼が苦しんでいる時、青木弁護士が訪ねてきて語った言葉が、竹内の心を揺り動かし、イエスを信じるきっかけになります。
「敏彦君 あなたはいま失望していますね、自分の犯した罪をどんなことをしても償いきれるものではないと思っているんでしょう。私たちの、罪を犯し、償いきれないと泣く罪人を救うために、罪のない神の子のイエス様は十字架にかかって、私たちの身代わりとなって天に召され、神様にお詫びしてくださったのです。私たちを罪と永遠の死から救うために贖ってくれたのです。主イエスの身代わりの死は、あなたのものであり、私たちのものです。心から悔い改めて、主イエスを信じて希望を持って下さい。すべての重荷を持って十字架の下に立つのです。罪ある者を救うために生命を捧げた場所。絶対的な愛の血潮が流され、新しい生命が噴き出るところ、そこがあなたも私も、すべての人が立つ唯一の場所なのです。あなたのような大きな罪を犯した人間であっても、そこに立てば自分がいかに尊い者かを知り、人生が変えられるのです。神様が御子を捨てられたように、汚れて哀れなものを愛してくれるのです。十字架の下に立つべきです 。」(77頁)
 この言葉を聞き、竹内は、主イエスの愛に心砕かれ、イエス・キリストを信じるようになり、1984年に信仰告白をし、1985年8月3日に拘置所内でバプテスマを受けました。そして彼は、次のように信仰告白の祈りをしています。

「信仰告白の祈り」

「主イエスの尊い十字架の贖いは、真に愚かで弱い、また誰よりも罪深い私の身代わりであって、その代価によって罪より救いを与えてくださったことを心から信じます。そして過去の一切を神さまの御前に告白し、悔い改めて信仰の核心が与えられたわたしは、ただイエスを信じることによって神の子とされ、その恩寵の中に生かされるこの恵みと喜びに満たされました。そしてこれまで憎み続けてきたやくざ者を主イエスの救いと赦しを確信したことによって、率直な気持ちで赦すことができました。」(79頁)

「三浦綾子さんの手紙」

竹内の回心のあかしが『キリスト教新聞』でに掲載されると、彼はそれを読んだ多くのクリスチャンからの手紙を受け取りました。その中の作家の三浦綾子さんの手紙には、祝福と励ましの心が込められていました。
「受洗おめでとうございました。主にある兄弟姉妹が増え嬉しくおもっています。どのような状況にありましても、主は信じる者と共にいてくださいます。希望を持って終わりの日まで、平安の日々をお過ごしくださいませ。祈りは大きな仕事です。」

「姉と息子の自殺」

竹内は、一審の名古屋地裁判決で、1985年12月5日、死刑を宣告されます。そして第二審の1987年3月の名古屋高裁の判決も死刑判決でした。
 それ以上に、竹内にとって最も衝撃を受けたのが、1987年3月、控訴審の前に母とも慕っていた二番目の姉が自殺したことでした。それを聞き、竹内は慟哭し、「自分は生きていてはいけない存在なんだ!」と苦しみ、「神さま、私を憐れんでください」と叫びます。彼は拘置所の独房で、償いの日々を送り、特に被害者の遺族の人々、離縁した妻や二人の子供達、自分の家族や兄や姉たちのために祈らざるを得ませんでした。しかし、追い討ちをかけるように、竹内は、1990年7月25日に、息子が車の中で自殺したという報せを聞きます。この時彼は絶望感に襲われ、大事な息子をなくした離縁した妻とたった一人の兄を亡くした娘の悲しみを思う時、慟哭せざるを得ませんでした。彼は自分の犯した犯罪によって、被害者家族の苦しみだけではなく、自分の家族の苦しみも一生背負い、償っていかなければなりませんでした。

「イエスを信じたことの喜び」

そうした苦しみの中で、彼を支えたのは、イエス・キリストに対する信仰でした。大塚は、竹内の心境について、次のように書いています。

 「イエス・キリストを信じるようになって以来、彼は本当に生まれ変わったという気持ちで過ご している。心になんとも表現し難い大きな喜びが湧いてきた。恐ろしいと思っていた死刑も、 自分を救ってくれたイエスのいる天国へ行けるのだと思うと、まだ見ぬ刑場も、死刑台も、少 しも恐ろしいものではなかった。むしろ、天国へ行くための、踏み切り台だとさえ思えてくる 。泡立つ心も静まり、今は平安である。」(121頁)

 彼の苦しみや絶望的な思い、また自殺衝動を抑えていたのは、イエスによって救われた喜びでした。この希望がなければ、彼は罪責感の重荷に圧倒されて、自ら命を断っていたかもしれません。

「死刑執行」

 竹内は、1993年9月21日に最高裁判所の上告棄却の判決が出て、死刑が確定していましたが、2001年12月27日に名古屋拘置所で死刑が執行されました。享年51歳でした。

「聖書のことば」

「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、私は罪人のかしらです。」(1テモテ1:15)

参考文献 大塚公子『死刑』(角川書店、1998年)

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