聖書特別メッセージ

「大きな愛に支えられて生きる人生」
●日時:6月30日(日) 14:00〜15:00
●講師:滝本 武 氏
プロフィール
1964年大阪府泉佐野市に生まれる。1981年、高校時代に恩師を通してイエス・キリストを信じる。1986年関西学院大学文学部を卒業後、同大学事務職員として役10年間勤務。その後イギリス及びアメリカに約2年間、語学留学。今年3月まで、関西外語専門学校(高等課程)で英語教育に従事。堺キリスト集会責任者。聖書の真理をわかりやすく、ソフトに語るメッセージは、聞く人のうごかさずにはいない。

●入場無料・どなたでもお越しください。

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聖書のことば|6月

“あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に、太陽と光、月と星が暗くなる前に、また後の日に雨雲が戻って来る前に。” (伝道者の書12:1-2)
“Remember your Creator in the days of your youth. before the days of trouble come. and the years approach when you will say before the sun and the light and the moon and the stars grow dark and the clouds return after the rain.” (Ecclesiastes12:1-2)

お知らせ

当集会では聖書からわかりすくお話をしております。初めての方も大歓迎です。また、マスク、消毒、換気、Social Distance を取るなどのコロナ対策を行っていますので、安心してお越しください。ただし参加される方、また聖書のメッセンジャーのマスク着用は自由になっています。

読書会のご案内

●古賀敬太著『28名の著名人と聖書』(伝道出版社) 
●講師:古賀敬太    ※読書会は終了しました。

これまでの研究会の内容は、下記の動画から御覧下さい。
第1回 「著名人と聖書ー高山右近(1552〜1615)
第2回 「著名人と聖書ー細川ガラシャ(1563〜1600)
第3回 「著名人と聖書ードストエフスキー(1)「罪と罰」(1821〜1881)
第4回 「著名人と聖書ー福沢諭吉(1835〜1600)」
第5回 「著名人と聖書ー内村鑑三(1861〜1930)」
第6回 「著名人と聖書ーパスカル」(1623〜1662)
第7回 「著名人と聖書ー夏目漱石」(1867〜1916)
第8回 「著名人と聖書ー芥川龍之介」(1892〜1927)

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新・聖書入門講座のご案内

聖書をわかりやすく読むために、新聖書入門講座を設けました。今回の講座は、集会所に集まって対面でおこなうものではなく、大津キリスト集会のHPでアップされる動画を見て、視聴者の方々が聖書に親しむ方式をとっています。

新聖書入門講座では、マタイの福音書を1年半ほどかけて読んでいきます。毎月、一章ないし二章の割合でアップしていきますので、連続して最後の28章までお聞きくだされば幸いです。

質問、感想があれば、下記フォームよりお問合せください。

お問合せフォーム

【動画のご案内】聖書入門ールカの福音書を読む

ルカの福音書を読みます。

ルカの福音書

【NEW】 No.10 種まきのたとえ 動画を見る
【NEW】 No.11 嵐を静めるイエス・キリスト、悪霊を追い出すイエス・キリスト 動画を見る
【NEW】 No.12 イエスの愛の奇跡 動画を見る

「聖書入門―キーワードで読む聖書」

第二十回 再臨(παρουσία, パルーシア、second coming)
「再臨のギリシャ語パルーシア」
「再臨」のギリシャ語「パルーシャ」は、新約聖書では24回使用されていて、邦訳では、「来臨」、「来られる」、「到来」などと文脈に応じて異なった訳がなされています。

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第十九回 宥めの供え物復活(άνλάστασις, アナスタシス、resurrection)
「ギリシャ語の復活」
ギリシャ語の復活のことばは「アナスタシス」ですが、新約聖書で42回用いられており、アナは「再び」、ないし「上に」、スタシスは「起き上がる」の意味があり ます。

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第十八回 宥めの供え物(propitiation,ὶλαστήριον,ヒラステーリオン) 
  「宥めの供え物」
宥めのそなえもの(ὶλαστήριον,ヒラステーリオン、propitiatiomないしatonement)について考えてみます。なお英語のpropitiation は宥めるという意味ですが、atonement は「償う」という意味があります。

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第十七回 神の愛(love of God、ἀγάπη,アガペー)  
  「新約聖書における神の愛」
神の愛は、ギリシャ語でἀγάπη,アガペーと言います。皆様も聞かれたことがあるかと思います。

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第十六回 神の子(son of God,ὀ υὶος του θεου,ホ ヒュイオス トゥー セウー)  
  「イエスは神の御子」
「神の御子」という表現は、新約聖書に45回使用され、主に福音書に登場します。 「神の子」は、イエスに対して使用される場合、

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第十五回 永遠のいのち(everlasting life,ζωή αἰώωιος,ゾーエ―・アイオーニオス)
「聖書における永遠のいのち」 
「永遠のいのち」という言葉は、新約聖書で43回使用されており、大半はヨハネの福音書の中にあります。

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「新約聖書における神の国の記述」
第十四回 神の国(kingdom of God、βασιλεία τοû θεοû, バシレイア・トゥ-・セウー)
新約聖書では、「神の国」はルカの福音書で32回、マルコの福音書で14回、マタイの福音書で4回、ヨハネの福音書で2回使用されています。

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第十三回 新生(regereration,παλιγγενεσία,パリゲネシア)
「新生のギリシャ語」
この新生(παλaιγγενεσία,パリゲネシア)というギリシャ語は、πἀλιν(再び)とγἐνεσις(生まれる)から成っており、

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第十二回 仲介者、μεαίτης,メシテ―ス,mediator)
「仲介者」
「仲介者」というギリシャ語である「メシテ―ス」は、新約聖書で6回用いられています。「中間に立ち、両者を結び合わせる人」という意味です。

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第十一回 和解(καταλλαγή カタラゲー、reconciliation)
「和解のギリシャ語」
和解という聖書のキーワードは、すでに述べた「贖い」や「義認」と同様に、罪の赦しや救いを意味する言葉です。和解のギリシャ語の名詞は、カタラゲー、和解するの動詞は、καταλλσσω(カタラソー)です。

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第十回 義認(δικαιὀω,ディカイオオー、justifucation)
「義と認める」
「義と認める」(δικαιὀω)という言葉は、新約聖書で39回使われ、特にローマ人への手紙で15回、ガラテヤ人への手紙で8回用いられています。多くは、「義と認められる」、つまり義とされるという意味で受動態で用いられています。

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第九回 贖い(λὐτρωσις(リュートローシス),άπολύτρωσις(アポリュトローシス)、Redemption)
「贖(あがな)う」
聖書で「贖(あがな)う」という場合には、代価を払って買い取る、ないし解放するという意味があります。奴隷解放が、イメージとしてわかりやすいと思います。奴隷を主人から、身代金を払って解放するという意味です。

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第八回 主(Lord,kύριος、キュリオス)
「主であるイエス・キリスト」
聖書では、イエスは救い主であると同時に主であると語っています。例えばペテロ第二の手紙2章20節では、「主であり、救い主であるイエス・キリスト」(IIペテロ2:20)とあります。イエスは、私たちの罪を負い、十字架にかかり、罪の赦しの道を開かれた救い主です。

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第七回 キリスト(Christ、Χρστός、クリストス) (2023、7、1)
「イエス・キリスト」
イエス・キリストは、大谷 翔平というように、姓と名前の関係ではなく、イエスこそがユダヤ人が待ちに待っていたキリストであることを指しています。それでは、キリストとはどういう意味なのでしょうか。クリストスというギリシャ語の言語は新約聖書に531回、パウロの書簡に383回用いられています。

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第六回 福音(εύαγγέλιον、エウアンゲリオン)(2023、6、1)
「福音ー良き知らせ」
聖書は、「福音」(エウアンゲリオン)という言葉を、93回も記しており、福音はgoodnews , 良き訪れを意味します。ギリシャ語のエウアンゲリオンのエウは、良いという意味で、アンゲリオンは知らせを意味します。聖書のメッセージは、福音にあるといっても過言ではありません。

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第五回 罪(ἀμαπτία、ハマルティア)(2023、5、1)
「罪と犯罪は同じではない」
聖書の中でもっとも重要ですが、同時に最も理解されていないのが罪という概念です。聖書のメッセージを聞かれた方が、「あなたは罪人です」と言われると、「そんなはずはない」と反感を露わにされるか、「みんな、同じだ、私だけではない」と開き直られるかどちらかです。

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第四回 人間(ἂνθρπος、アンスロポス)(2023、4、1)
「人間と動物の違い」
人間とは一体、どのような存在でしようか。ひとつの答えは、言葉を持っているかどうかです。私たちは、それぞれの母国語や習得した外国語で、同国人や外国人と会話し、考えを共有します。

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第三回 神(θεός、テオス)(2023、3、1)
「聖書における神の翻訳の歴史」
神は、聖書ではどのように翻訳されてきたのでしょうか。日本人で神を信じるという方は少なからずおられます。「何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という西行法師

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第二回 契約(2023.2.1)
「聖書をどのように読むか」 
聖書は、旧約聖書39巻、新約聖書27巻によって構成されています。私たちは、聖書をどのように読んだらいいでしょうか。約2000年前に書かれた古典の書として読まれる方もおられます。あるいは人間がどのように行動すべきかの道徳の書として読まれる方もおられるかもしれません。

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第一回 クリスチャン(2023.2.1)
「クリスチャンとは何か」
クリスチャンとは一体どのような存在でしょうか。クリスチャンとクリスチャンではない人の違いとは一体何でしょうか。多くの人は、洗礼(バプテスマ)を受けているかどうかの違いと考えられると思います。洗礼が、クリスチャンかそうではないかの試金石だと思われるのです。

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新刊紹介

『28名の著名人と聖書-聖書の扉を開く』古賀敬太

これまで多くの著名人が、聖書の影響を受けてきました。この書物は、できるだけ多くの人に、聖書が彼らの生涯や著作に及ぼした影響を知ってもらいたいと思い、執筆しました。彼らの中にはクリスチャンもクリスチャンでない人も含まれていますが、人間のエゴイズムや死、生きる意味、神の存在など、人生の根本問題と格闘しつつ、聖書に触れた人々です。
著者:古賀敬太
価格:1,320円(税込)
ISBN978-4-901415-41-5
発売:伝道出版社

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聖書メッセージ78

ハリエット・ビーチャー・ストウ(1811〜1896)と聖書
ー『アンクル・トムの小屋』ー

「ストウ夫人のプロフィール」

『アンクル・トム』の作者であるハリエット・ビーチャーは、父で牧師のライマン・ビーチャーと母ロクサーナ・フート・ビーチャーの子として一八八一年にコネチカット州のリッチフィールドに生まれ、ハートフォードの女子神学校入学します。兄弟には、有名な牧師のチャールズ・ビーチャーとエドワード・ビーチャーがいます。彼女は、一八三六年に神学者のカルヴィン・ストウと結婚し、七人の子供をもうけている。ハリエットは、奴隷解放論者の父親の影響もあり、また一八五〇年に制定された逃亡奴隷法に反対をして、八五ニ年に『アンクルトムの小屋』を執筆し、ベストセラー作家となった。彼女は、一八九六年に85歳で死去し、マサチュウセッツ州アンドーヴァーのフイリップス・アカデミーにある墓に葬られている。

「奴隷解放の書 『アンクル・トム』」

『アンクル・トム』が刊行されてから十年後、リンカーン大統領は奴隷解放宣言を行います。リンカーンはストウ夫人をホワイトハウスに招き、「この小さなご婦人が、この大戦争を引き起こした本を書いたのですね」と述べたそうです。『アンクル・トム』の影響の大きさを物語るエピソードです。実際『アンクル・トム』を読む人は、奴隷制度の過酷さと奴隷の悲惨な状況に激怒せざるを得ません。奴隷が、人間ではなく家畜同然の取り扱いを受け、女奴隷は性的に搾取されていました。奴隷の家族はバラバラに売られ、引き離され、過酷な奴隷商人の手に渡ることは死んだも同然でした。ストウ夫人は、本書の目的を次のように述べています。

「本書の目的は、わたしたちの社会で現に生きているアフリカ人種に対する共感や思いやりを呼び覚ますこと、そしてアフリカ人種のために善を為そうとする良き友人たちの努力をことごとく踏みにじる残酷で不正きわまりない奴隷制度のもとでアフリカ人種が被ってきた不当な扱いや悲しみを読者の眼前に示すことである。」(上、10頁)

『アンクル・トムの小屋』には、奴隷制度が告発されていると同時に、クリスチャンとして暴虐な主人にも誠実に仕えるアンクル・トムの信仰の姿がリアルに描かれています。その苦難は、まさにイエス・キリストが歩まれた苦難の生涯を思い起こさせるものです。ここでは、後者の側面に光を当て、アンクル・トムの信仰と生き様を考えることにします。

「シェルビー氏の家におけるアンクル・トム」

アンクルトムは、最初は料理人で妻のアント・クロウィと一緒に奴隷に優しいシェルビー家に奴隷として仕え、幸せな生活を送っていました。アンクルトムの小屋では、定期的に集会が開かれ、聖歌が歌われ、聖書の朗読があり、説教があり、祈りが捧げられていました。この集会でトムは皆から尊敬され、聖書の御言葉を感動的に語り、彼の祈りは皆の心を真っ直ぐに神に向かわせました。なおアンクル(おじさん)はアント(おばさん)と同様に年配の黒人男女に対して使われていた呼称です。

「リグリーに売られるアンクル・トム」

しかし、シェルビー氏が奴隷商人に多額の借金をしていたので、アンクルトムとハリーというイライザの息子が奴隷商人に売られることとなり、イライザは子供を守るために、夫のジョージと一緒にカナダに逃亡します。他方トムはアント・クロウィと子供達から引き離されて、奴隷商人に売られ、最終的に最も残忍な奴隷主リグリーに引き渡されます。リグリーは、アンクルトムに対して肉体も魂も全部お金で買い取ったのだから、全面的に服従することを命じ、奴隷の女に鞭打つことを命じます。それに対して、アンクルトムは自分の信仰の良心に照らして拒否します。その時、彼は次のように述べています。

「いいえ、いいえ! そうじゃねえです!旦那様、わしの魂は旦那様のもんじゃねえです。旦那様は魂まで買ったではねえです。魂を買うことはできねえです!わしの魂はそれを守ることのできるお方がすでに贖われたです。何をしても、どんなことをしても、わしの魂を傷つけることはできねえです。!」(下、335頁)
アンクルトムにとって、「神の御子イエスが、血と苦悶によって贖われた不滅の魂」を奴隷主人であれ、誰であれ、支配することはできませんでした。彼はそれほどまでに、イエスの十字架の犠牲によって罪が許され、救われ、神の子とされていることに感謝せざるを得ませんでした。リグリーが彼に暴力を振るおうとする時は、彼の心の中に、イザヤ書のことば「恐れるな、わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」(イザヤ書43:1)がよみがえり、彼に励ましと忍耐を与えました。(下、290頁)
アンクルトムの不屈の姿を見て感動した他の奴隷たちが、トムからイエス様の話を聞くようになり、祈り、賛美歌を歌い、信仰の輪がひろがっていきます。本書には「哀れな奴隷たち、先の見えぬ人生に向かってわびしい日々をおくるしかない者たちにとって、自分に同情してくださる救い主や天国の話を聞く素朴な喜びは言葉に尽くせぬものがあった。」(下、424頁)と記されてあります。

「アンクル・トムの死」

アンクルトムは、リグリーの暴力や過酷さに義憤を抱きつつも、リグリーが救われるために祈っていました。私たちにとって考えられないことです。自分を苦しめる者に対しても愛を示すトムの姿は、イエス・キリストの姿でもあります。最後の一滴までトムの血を流させてやるというリグリーに対して、トムは次のように語っています。

「旦那様、もし旦那様が病気だったり、困っていたり、死にそうだったりしたなら、そんで、わしの命と引き換えに助けることができるんなら、わしの血の一滴までさしあげます。この年寄りの血を最後の一滴まで搾り取ったら旦那様の大事な魂が救われるっちゅうなら、喜んで差し上げます。主が御自らの血でわしを贖ってくださったように。ああ旦那様! 旦那様の魂にこんな大きな罪を負わせないで下さい! わしよりも旦那様のほうが深く傷つくことになります! 旦那様ができる最悪のことをしたならば、わしの苦しみはじき終わります。けども、悔い改めなかったなら、旦那様の苦しみは永遠に終わらねえです!」(下465〜465)

トムは、リグリーの暴行によって死んでしまいますが、実際に手を下したのは、奴隷のサンボとキンボでした。いつもリグリーは自分で手を下さずに、奴隷を使うのです。二人は、トムの毅然とした姿と二人に示す愛に感動し、死ぬ間際のトムに対して、「ああ、トム!イエス様っちゅうのはどういう人なのか、教えてくれんか」サンボが言った。今夜ずっとあんたのそばに立つとあんたのそばにたっとったらしいイエス様のことだよ!何者なんだ?」(下、469頁)

これにに対してトムが、イエス・キリストの十字架の苦しみによる罪の赦しを語ると、二人は、「ああ信じるとも,! ——-主イエス様よ、おらたちを憐れんでくだせえ!」と叫ぶのです。(下、470頁)

「聖書の言葉」

「キリストは自ら十字架の上で、
私たちの罪をその身に負われた。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。
その打ち傷のゆえに、あなた方は癒された。
あなたがたは羊のようにさまよっていた。
しかし、今や、自分の魂の牧者であり、
監督者もとに帰ったのです。」(ペテロ第一の手紙3:24〜25)

参考文献
ハリエット・ピーチャー・ストウ『アンクルトムの小屋(上)(下)( 光文社、2023年)

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