聖書メッセージ13「ある学生との対話」

第13回「ある学生との対話」

一人の学生が、私の研究室を訪ねてきた。彼は、私の机にあった新約聖書を見るや否や、「先生はクリスチャンですか」と聞いてきた。私が「そうです」と答えると、彼は間髪を入れずに、挑戦的な眼差しで、「僕は、キリスト教が大嫌いです」と強い口調で迫ってきた。「なぜそう考えるのですか」と聞くと、彼は、「目に見えないものを信じることは、形而上学的です。僕は目に見えるものしか信じません。」と断言した。その勢いに幾分圧倒されながらも、「なぜ目に見えないものが存在しないと言い切れるのですか。目に見えないものでも存在するものがあるのではないですか」と答えると、彼は、幾分驚いた様子であった。更に彼は、「もし、神が存在するなら、なぜ戦争や苦しみが、この世界に存在するのですか?」と問うてきた。私は、「なぜすべての悲惨さや苦しみを神のせいにするのですか。子どもが自分のした行為の全責任を親に転嫁するようなものではないですか。人間は、神のロボットではなく、自由意思を持つものとして創造されているのです。」と答えた。その後も、聖書の信憑性について、人間は死後どうなるのかなどについて、彼との間に真剣な対話が続けられた。彼が、研究室を後にする時に、日本語と英語の対訳の新約聖書を渡し、一緒に聖書を読むことを約束して別れた。

彼が去って行く後姿を見て、私は聖書の一節を思い起こした。それは、「あなたがたが、私を呼び求めて歩き、私に祈るなら、私はあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くして私を探し求めるなら、私を見つけるだろう。」(エレミヤ書29:12-13)という神の約束である。たとえ疑いをもってであろうと、反抗してであろうと、真剣に神を尋ね求める者を神は軽んじられないのである。

作家でニュー・メキシコ州の知事もつとめたルー・ウオーレス(1827-1905)という人がいます。彼は、キリスト教が大嫌いで、「キリスト教撲滅論」という本を書くことを計画しました。そのために彼は、イスラエルを訪問したり、アメリカやヨーロッパの図書館を回り、聖書に関する資料を集めましたが、読めば読むほど、聖書の真実性を否定することができなくなりました。また彼は、イエス・キリストが御自分を迫害し、十字架につけたユダヤ人やローマ人に対して十字架上で祈られた祈り、「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)を通して、キリストの測り知れない愛に触れ、神に背をむけてきた自分の人生を悔い改めて、キリストを信じました。その後、彼が書いた書物が、映画化されて世界的に有名になった「ベン・ハー」なのです。

大津集会では、聖書をわかりやすく学んでいます。是非勇気をもって、教会のドアをノックして下さい。

Follow me!