聖書メッセージ10「キリストの愛こそ人生を変える秘訣」
第10回「キリストの愛こそ人生を変える秘訣」
最近、船越昌著「ひたむきに愛を求めて」(主婦の友社、1971年)を感動を持って読みました。彼が結婚し、最初に生まれた子どもが脳性麻痺で3年間生きて、亡くなります。船越昌は、一所懸命働きながら、再婚した女性との間に生まれた英和という脳性まひの子どもを育てます。しかし、心の中では、「やれやれ、英和が死んでくれたら、妻も私もらくだ。」と思うようになります。船越の妻は、英和がなくなった後、「あの子、いつもほっといて、十分みてやれなかった。ほんまに英和にはすまなかった。」と罪責感を表わします。この妻の言葉を聞いて、船越は「この時に神から刃をつきつけられたような感じがした。」と告白しています。「船越昌よ、お前は英和のために、自分の命を注いで愛したことが一度でもあるのか。お前は英和の臨終の時ですら、やれやれと思ったではないか。このわが子殺しの罪を何とする。」という内なる声が聞こえてきました。彼はその時に次のように神様に祈ったそうです。
「御自愛に富みたもう父なる神様、あまりにみせつけられた私の罪におそれおののいています。この罪から解放されなければ、私は生きていくあてもありません。わが子に対してさえ、息をひきとろうとしているのに、『やれやれ』と死を喜ぶような恐るべき罪人です。どうかこの罪を赦してください。」
そして彼は、聖書を開いて、イエス・キリストの十字架の意味を知ります。そしてその喜びを、次のように表現しています。
「イエス・キリストは、私の罪を背負ってくださった。十字架の血のしたたる苦しみの中から私のために、とりなしの祈りをしてくださった。これが十字架の意味であった。当然に赦されることのない、わが子殺しの大罪人である私のために、「父なる神よ、かれらの罪を赦してやってください。彼らは何をしているのか、わからずに罪を犯しているのです。(ルカ23:34)と」
そして船越は、息子である英和の死の意味を、次のように述懐しています。
「聖なる神様、わたしたちに賜りました英和は、あなたの意志によりまして、今日あなたのおそばに召しだして下さいました。—-英和が脳性麻痺として与えられたことは、この罪人のかしらの私を神に結びつけるためであったことを、ようやく覚ることができました。どうか神様、立派な任務を果たした英和を、あなたのみもとに抱きしめて、いつまでも御愛を注いでくださいますように。どうか英和と顔と顔を合わせるその日まで、この地上にあって多くの悲痛にあえぐ人々の慰めてとなり、真実の愛をもって仕えるものとしてください。」
船越昌は、息子英和の葬儀の日が、自分の古い人生の葬儀の死であったと述べています。彼は、これからの人生をキリストを望みとして生きていくことを決意します。彼を信仰に導いたのは、クリスチャンで愛農学園の創始者小谷純一という人でした。小谷は、船越に言ったそうです。「船越君、どんなことがあっても、聖書をしつかり読むんだよ。そうして、苦しい時も悲しい時も、困ったときも、嬉しい時も、十字架につけられたイエス・キリストをじっとみつめるのだよ。十字架から目を離したら、だめになるよ。」この言葉が、昌の心に深く刻み込まれました。
後に船越には、第二子いずみちゃんが健康に生まれます。しかし、第三子めぐみちゃんが、一年後に脳性麻痺にかかります。更に、重度心身障碍児のみぎわちゃんが生まれます。こうした逆境の中で、昌は、キリストの愛をもって、子供たちを愛し、育てていくのです。
この本の序を書かれたのは三浦綾子さんですが、三浦さんは「これほどまでに一人の人間を変わらせたものはなにか」と感動をもって書いておられます。
聖書の中に、「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、この私(神様)はあなたを忘れない。見よ。私は手のひらにあなたを刻んだ。」(イザヤ書49:15,16)という言葉があります。
あなたもキリストの愛を求められませんか。キリストの愛こそあなたの人生を変える秘訣です。大津集会は、愛 に渇いている方を心から歓迎いたします。