聖書メッセージ04「三種類の壁」

第4回「三種類の壁」


人間は、古今東西、人と人、民族と民族を隔てる壁を築いてきました。古くは秦の始皇帝がB.C.215年に異民族から守るために築いた1800キロの万里の長城、新しくは冷戦の時代の1961年に築かれた、東ベルリンと西ベルリンの人々を隔てる155キロの「ベルリンの壁」、そして2002年からユダヤ人とパレスチナ人を区別するために築かれ始めた700キロの「分離壁」(イスラエルからすれば防御壁)がある。昨年にはハンガリーのオルパン大統領はシリアからの難民の入国を阻止するためにハンガリーとセルビアの国境に175キロの有刺鉄線の壁の建設を計画しました。そして現在、アメリカの共和党大統領候補のトランプ氏は、不法移民を阻止するために、米国とメキシコとの間に3200キロの壁を築くことを公言しています。人類史は絶え間なく、壁によって民族が分断されてきた悲劇の歴史なのです。

しかし、民族と民族、国家と国家との壁に劣らず悲惨なのは、人と人との「心の壁」です。実際、1989年に「ベルリンの壁」が崩壊した後も、西ドイツ人と東ドイツ人の心の壁は長い間存続し続けました。お互いがオッシー、ベッシ―といって軽蔑していたのです。この心の壁は、最も密接な関係にあるはずの夫婦や家族にも存在し、相互のコミユー二ケーションの分断をもたらしています。物理的に同居しても、心と心の触れ合いが皆無なのです。

しかし、聖書は、それ以上に悲惨な壁がこの地上に存在するというのです。そしてその壁が実は、国と国、民族と民族、人と人,夫婦の壁を作る根本原因となっているというのです。その壁を取り除くことがなければ、人と人との壁、民族と民族の壁を取り除き、平和をもたらすことはできないのです。それでは、その根本原因となっている壁とは何でしょうか。
この点について上記の聖書のみことばは、「あなたがたの咎があなたがたとあなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ」と鋭く私たちに迫っています。

つまり神と私たち人間との間に罪という壁があり、この壁が打ち壊されない限り、人は命の源である神に近づくことはできないというのです。それだけではありません。この神に対する背信という罪ゆえに、聖なる神の裁きを受けなければならないというのです。人は、人生の総決算として、最終的に神の前に立たなければなりません。

しかし、人間はいかに努力しても、この罪を自分の力で壊すことはできません。清算することはできないのです。努力すればするほど、自己の内面に巣食う醜さが顔を出してきます。パウロという人は、罪との壮絶な戦いの中で、「私はほんとうにみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と絶望的な叫びをあげています。
しかし、救いは人間からではなく、神からきます。この最も重大な壁を打ち壊すために、神はひとり子イエス・キリストこの地上に遣わされました。そしてこのイエス・キリストに私たちのすべての罪を負わせ、身代わりとして神の聖なる裁きを下されたのです。キリストの十字架によって神と人とを隔てる隔ての壁が取り去られ、何の隔てもなく、神に立ち返る道が開かれました。

1989年に「ベルリンの壁」が崩壊した時、壁のこちら側と向こう側に住む人は、本当に喜び、一つとされていることに感謝しました。そえは、最高の時でした。同様に私たちもイエス・キリストを救い主として信じる時、罪赦され、神との親しい交わりの中に入ることができます。同時に、キリストによって人と人の心の壁も崩壊して、和解と赦しが生み出されていくのです。人間の罪は分裂・分断をもたらしますが、キリストはその関係を修復し、和解をもたらすお方なのです。キリストは言われました。

“私が道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してでなければ、だれ一人父のみもとに来ることはありません、”(ヨハネの福音書14:6)

大津集会は、神様を探し求めておられる方々を心から歓迎いたします。

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