主と共に歩む素晴らしい人生

救いの証し N姉妹

主と共に歩む素晴らしい人生

2011年1月30日 バプテスマを記念して

私は何なのか、これから先どこに行くんだろう

N姉妹のイラスト

私は1989年に生まれ、高校卒業後は働くために滋賀県大津市に来ました。3年目になって去年と違う自分に気付きましたが、私の中で何が変わってきていたのかはその時は分かりませんでした。その変化は身体に症状として表れ、顔面神経麻痺になってしまいました。その頃の私は人の意見に左右されて、「私は何なのか、これから先どこに行くんだろう」と、答えが出て来ないことに悩んでいました。以前から、周りの人に「頭でっかち」と言われ、そういう私が嫌で直したいと思うのに、自分ではどうする事も出来ないでいました。

韓国で友達になった人がクリスチャン

私が高校2年の時に、修学旅行で行った韓国で、友達になった人がいました。その人はクリスチャンで、手紙でのやり取りでしたが、すごく心の温かさが伝わってきて、キリスト教というのはどういう風に考えるのだろうという気持ちが湧いてきました。キリスト教なら私を助けてくれるかもしれないと勝手に思っていました。インターネットで「大津キリスト」で調べましたら、そこに大津キリスト集会を見つけました。

アダムとエバの話

その日はちょうど日曜日でした。早速自転車で行きましたが、集会は終わっていて閉まっていました。次の週はもう少し早く行ってみました。集会の途中から参加させてもらったのを覚えています。
2回目に行った時に聞いたのは「アダムとエバ」の話でした。神との約束を破った彼らの行動は、もし私も悪い事をしてしまったら同じ行動をとるだろうなと思い、子供の頃親に怒られると思ったらコタツの中に隠れていた私を思い出しました。何千年も前の事なのに今の私と変わらない事をしていた……聖書に凄く興味が湧いてきました。さらに「罪」について学びましたが、行動であらわれる罪以外に、心で思う罪もあると知った時は、本当に私は罪人であるという自覚が湧いてきました。聖書を読んでいくうちに、イエス・キリストが死ぬために生まれてきて、自分が十字架に磔(はりつけ)にされると知っていながら、死ぬと分かっていながら、それでも私たちを愛して下さっていた。私の罪も背負い、罪人の私に代わって死んで下さり3日目によみがえって下さったイエス様を信じたいと思いました。しかし言葉にはすぐ出来ませんでした。

ファイヤーストームの上映会

ファイヤーストームの上映会 集会に行くようになって2カ月くらい経った頃に、集会で「ファイヤーストーム」の上映会がありました。私自身は同僚とトラブルがあり関係が悪くなっていました。相手が謝ってきても、どうしても許す事が出来なくて相手を拒否していました。私が一番傷ついて可哀そうだと思っていました。そういう状態で「ファイヤーストーム」を観始めました。

ケイレブとキャサリン

出てくる主人公ケイレブの職業はレスキューで人の命を助ける仕事をしていて24時間働いて1日休みでした。妻のキャサリンは病院の唯一の広報担当として働き、週末には両親の所へ介護に行き、買い物も洗濯も家事はすべてしていました。休みの日に何もしないケイレブにキャサリンは不満を募らせます。しかしケイレブは気付かず、自分中心に自分勝手な事ばかりキャサリンに要求していました。とうとうキャサリンの不満が爆発して離婚を申し立てます。なんとかしようとケイレブは父親の勧めもあり行動を起して行きますが、心が伴わない行動は見抜かれ、逆に悪影響になりなかなか道が開かれませんでした。行動だけではどうする事も出来なくなったケイレブは、妻に対して自分が本当に自分勝手であった事を認め、神様の前に自己中心である事を認めて、その罪の為に死んで下さったイエス様を救い主と信じ受け入れました。

私への救い

観ていくうちに、ケイレブが私の姿と重なりました。自分勝手に要求ばかりしている姿、自分が一番苦しい思いをしているんだという自己中心的な考え、仲間の忠告を受け入れない、見返りを求めている姿。同僚のその子を私が許す事が出来なかったのは、弱い自分が傷つくのが怖いだけでした。それ位私は弱い醜い人間でした。そんな私までも愛して死んで下さったイエス様。十字架は本当に苦しかったと思いますが、それほどまで愛して下さった方がいらっしゃったというのは私への救いでした。

ヨハネの福音書3章16節

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちをもつためである。」(ヨハネ3:16)

信仰告白したのは2010年10月

この言葉は私の心に響きました。今でも好きなみことばです。私は救い主イエス様に従っていきたいと思いました。自分の罪が示され同僚とも和解する事ができました。今思えばそれも主の導きの中にあったのだと思います。  信仰告白したのは2010年10月31日でした。 「私は今まで自己中心的に自分勝手に生きてきましたが、その私の罪の為に身代わりに十字架で死んで下さったイエス様に感謝します。そして、3日後にはよみがえって今も生きていることを信じます。」

聖書の約束のことば

告白した後には、心に詰まっていたものがスーッと無くなっていき、すごく軽くなるのを感じました。
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:9〜10)

主と共に歩む素晴らしい人生

その通りに聖書のみことばが実現しました。救われても地上にいる間は失敗し、悩み落ち込む時もあると思います。しかしこれからは、慰め励まし、勇気を与えて下さる方がいらっしゃいます。その主に全てをゆだね、喜んで従って、主と共に素晴らしい人生を歩んで行きたいと思います。

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