聖書メッセージ34

ミヒャエル・エンデの『モモ』と聖書

―奪われた時間―

2020年7月30日現在、コロナの感染拡大がとまりません。私もやもなくオンライン授業を続けています。しかし、実際の対面授業と異なり、学生の顔が見えず、授業に対する反応もわからず、授業後、質問に来る学生もいないので、コミユニーケーション不足に陥つています。できるだけ授業の効率を高めようと、パワーポイントに音声をつけ動画を作成し、課題を提供し、回答したりと悪戦苦闘していますが、大事な触れ合いの時間が奪われているような思いがしてなりません。学生も友達と出会い、新しい考えに触れ、真剣に議論するキャンパスからロックアウトされ、ひたすらオンライン授業に耳を傾ける閉ざされた空間にフラストレーションを感じているのではないでしょうか。

その時思い出したのが、多くの人に愛読されてきた、ミヒャエル・エンデ(1929-1995)の『モモ』です。モモは、ローマの円形劇場の廃墟で生活している少女です。この円形劇場でモモや観光ガイドのジジや道路掃除夫のペッポ、そして子供達が貧しくても心豊かに、悲しみも喜びも共にして、いきいきとした生活を送っています。彼らにとって時間とは、機械的に過ぎて行く、測ることのできるものではなく、心の時間、つまり人間が、人間として生きていくことができる豊かな時間なのです。

そこに、時間貯蓄銀行の灰色の男たちがやってきて、彼らの豊かな時間を奪ってしまうのを、モモが奪い返してくれるというストーリーです。灰色の男たちは、効率、成功、有名になるという目的のために、人々を忙しくさせ、彼らの豊かな時間を奪うのです。家族や友人との親しい団欒、悩んだり、考えたり、工夫したりする貴重な時間も奪われます。そして、その奪った時間で生命をつないでいるのが灰色の男たちです。表向きは、時間を貯蓄銀行に預けるように触れ回るのですが、預けた時間はもう絶対に帰ってきません。灰色の男たちは、モモに、次のように言い聞かせます。

「人生で大事なことは1つしかない。それは、何かに成功する事、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れることだ。他の人より成功し、えらくなり、金持ちになった人間には、そのほかのもの、友情など、愛だの、名誉だの、そんなものはなにもかも、ひとりでに集まってくるものなのだ。」

モモの仲間の観光ガイドのジジも灰色の男たちの誘惑に負けて、有名になり、大成功を収め、何人もの秘書をやとい、飛行機で外国を飛び回っていますが、実はいかさま師で、聴衆の奴隷で、操り人形にすぎなくなっており、大切な人間としての時間を奪われている の です。エンデは、「時間とは生きることそのものです。そして人のいのちは、こころをすみかとしているのです。人が時間を節約すればするほど、生活はやせ細っていきます。」と語っています。

またジジと同じくモモと仲良しの道路掃除婦ペッポも、灰色の男に、総額十万時間を貯蓄すれば、莫大なお金をもらえるという誘惑に負けて、ただ掃除をするという行為だけを、休む暇もなく、機械のように続け、疲れ果ててしまうのです。自分の仕事に対する愛情や使命感、人の役に立っているという喜びも失い、仕事人間に堕していきます。ペッポについては、次のように記されてあります。

「彼はほうきを出し、それを持って町へ行き、道路を掃除し始めました。せかせかと、 仕事への愛情などを持たずに、ただただ時間を節約するためだけに働いたのです。彼には、苦しいほどはっきりとわかっていました。こういう働き方をすることで、彼は自分の心の底からの信念を、いやこれまでの行き方全部を否定し、裏切ったのです。」

時間とは生きることそのものなので、時間を節約しようとすればするほで、私たちの生活はやせ細ってしまいます。大事な時間を奪われて、成功と名声に溺れて、本当の自分、大切な自分を失っていくジジ、働くことに時間を奪われ、疲労し、倒れていくペッポ、それではだめだと思いながらも、そこから抜け出せない二人、またいきいとした遊びを奪われて、大人の敷いたレールを歩み、将来のために現在の瞬間を犠牲にするこどもたち、それは、実はわたしたちの偽らざる姿ではないでしょうか? そのことに私たちが気づく時、奪われた時間を返してほしいと叫んでいる自分がいます。『モモ』では、モモが奪われた時間をペッポやジジ、子供達に返してあげるという構成になっていますが、実は現実の世界では、奪われた時間は返ってこないのです。灰色の男は、私たちの外側にいるのではなく、私たちの、内側にいるのです。こんなはずはない、大切な時間が奪われてしまっている、今までの自分は一体何だったのだろうか憂えている方は多いのではないでしょうか。

聖書は、私たちに次のように語っています。
「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは労苦とわざわいです。瞬く間に時は過ぎ、私たちは飛び去ります。—どうか教えてください。自分の日を数えることを。そして私たちに知恵の心を得させて下さい。」(詩篇90-10、12)

詩篇の記者は、あっというまに過ぎ去っていく私たちの人生という時間の中で、立ちどまって「知恵の心」を知るようにと訴えています。

「知恵の心」とは、神を知る心であり、神の愛を知り、新たな人生を生きるに必要な神との出会いです。神との出会いの時こそ、もっとも豊かな時であり、最高に幸せの時なのです。また私たちは神を知ることによって、失われた人と人の絆、人と自然の絆を取り戻すことができるのです。

旧約聖書でよく知られている「伝道者の書」(「コヘレトの手紙」)には、失われた時間を嘆いている伝道者の叫びが記されています。
「 私は自分の事業を拡大し、自分のために邸宅を建て、いくつものぶとう畑を設け、いくつもの庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。—私は、男女の奴隷を得、家で生まれた奴隷も何人もいた。私は、私より前にエルサレムに
いた誰よりも、多くの牛や羊を所有していた。私はまた、自分のために銀や金、それに王たちの宝や諸州の宝も集めた。男女の歌い手を得、人の子らの快楽である、多くのそばめを手に入れた。—-自分の欲するものは何も拒まず、心の赴くままに、あらゆることを楽しんだ。しかし、私は自分が手がけたあらゆる事業と、そのために骨折った労苦を振り返った。見よ、全てがむなしく、風を追うようなものだ 。」(伝道者の書2:4〜11)

そして彼は、「空の空、全ては空」と叫び続けるのです。空(vanity)という言葉が、「伝道者の書」で37回も使われてます。どうしたら、虚しさから解放され、真の時間を取り戻すことができるでしょうか?「伝道者の書」の著者は、自分の奪われた時間を反省しつつ、若い人々に対して遺言として、次のように語っています。

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ(remember)。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」という年月が近づく前に。」

創造者を覚えること、つまり、この世界を創造し、私たちにいのちを与え、生かしておられる神,また、歴史を導き、支配しておられる神、なかんずくひとり子イエス・キリストを十字架につけるほどまでに私たちを愛しておられる神に立ち帰ることは、真に私たちに与えられた時間を豊かに生きることの秘訣なのです。そしてその時間は永遠につながっているのです。

パスカルは、「人間の心の中には神の形をした空洞がある」と言っていますが、創造者である神との出会いを経験するときに、人はむなしさから解放されて、真の時間を取り戻すことができます。他の如何なるものによっても私たちの心は満たされることはありません。創造者である神を知ることこそ、私たちが質的に新しい豊かな時間に入る転換点なのです。パスカル自身、この神との出会いを経験しました。その時以来、彼の人生は180度変わりました。彼の遺稿集に、彼の回心を記録した「メモリアル」という断章があります。そこに彼の新しい人生の時間が始まったことが喜びのうちに記されています。私たちも同じ経験をすることができれば何という幸いでしょうか!

「恩寵の年、1654年11月23日
夜10時半より零時半まで
アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神
哲学者および学者の神ならず
確信、確信、歓喜、感激、歓喜、平和
イエス・キリストの神
神以外のこの世、及び一切のものの忘却
神は福音に示された道によってのみ見出される。
人間の魂の偉大さ
歓喜、歓喜、歓喜の涙
私はイエスから離れていた。彼から逃れ、
彼を捨て、彼を十字架につけた。
もう二度と、彼から離れませんように 」

参考文献 ミヒャエル・エンデ『モモ』(大島かおり訳、岩波書店、1976年)

*大津集会では、徹底したコロナ感染対策を取りながら、聖書メッセージを行なっています。心の時間を取り戻すために、集会のドアをノックしてください。大歓迎です。