第15回 「聖書入門ーキーワードで読む」

第十五回 永遠のいのち(everlasting life,ζωή αἰώωιος,ゾーエ―・アイオーニオス)

「聖書における永遠のいのち」 

「永遠のいのち」という言葉は、新約聖書で43回使用されており、大半はヨハネの福音書の中にあります。なぜならヨハネは、ヨハネの福音書を書く目的を「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」(ヨハネ20:31)と書いているからです。
ちなみにここでいういのちは、「永遠のいのち」です。

「二種類のいのち」 

聖書でいのちと訳されるギリシャ語には、肉体的いのちを意味する「ψυχή,プシュケー」と永遠のいのちを意味する「ζωή、ゾーエ―」があります。「プシュケー」は、魂と訳されることがありますが、基本的に衣食住による肉体的いのちを意味します。プシュケーが使われている有名な聖書のことばは、イエスの次のことばです。
「ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようかと、いのち(プシュケー)のことで心配
したり、何を着ようかとからだのことで心配するのはやめなさい。」(ルカの福音書12:21-22)
それに対して「ゾーエ―」は、肉体的、生物学的いのちではなく、永遠に続く神のいのち、質的に新しいいのちを意味しています。本来、人間が生まれながらに持っているいのちではありません。イエス自身が自分は「いのち」であると語られました。二つの聖書の箇所を紹介します。
「イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのち(ゾーエー)です。わたしを信じるも
のは死んでも生きるのです。」(ヨハネの福音書11:25)
「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのち(ゾーエ―)なのです。わたし
を通してでなければ、だれも父のみもとにいくことはできません。」

 「永遠のいのち」 

「いのち」に「永遠の」(アイオーニオス)が加えられると「永遠のいのち」となります。しかし、すでに「いのち」(ゾーエ)が永遠の性質をもっているので、「いのち」と「永遠のいのち」は同じものであると言ってもいいでしょう。永遠のいのちは、時間と対比されると永遠、人間性と対比されると神性を示しているので、「永遠のいのち」は、神ご自身のいのちを意味します。
「永遠のいのち」を誤解して永遠に続くいのちだけを理解すると大変なことになります。というのも自殺する人は、今の自分の苦しみや悩みから解放されたいと願って自分のいのちを断つからです。苦しみが永遠に続くことはまさしく地獄の苦しみ以外のなにものでもありません。永遠に続くいのちが、神のいのち、キリストのいのちであることが大事です。そこに愛があり、喜びがあり、希望があります。

「永遠のいのちを受ける条件」

それでは、どうしたら私たちは、神から、「永遠のいのち」を受け取ることができるでしょうか。それは人間が自分で努力して勝ち取るものではなく、神の恵みによって与えられるものです。この「永遠のいのち」こそ神が私たちに与えようとしておられるものです。
「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書 3;16)
このように、永遠のいのちを受ける条件は、ただイエス・キリストを救い主として信じ、受け入れるだけです。「御子(イエス・キリスト)を信じる者は、永遠のいのちを持っている」(ヨハネ3;36)とある通りです。

「永遠のいのちー神との交わり」 

同時に、イエスを救い主と信じ、永遠のいのち、神のいのちを受けたものは、神と御子イエス・キリストとのいのちの交わりを持つようになります。神のいのちを受けたものだけが、神とイエス・キリストとの親しい交わりを持つことができます。イエスは語られました。
「永遠のいのちは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストを知ることです。」(ヨハネの福音書17;3)
ここで「知ること」「(γινώσκω,ギノスコー)とは、単に頭で知るとか、知識として知ることではなく、人格的な交わりを持つことを意味します。私たちは、ある講演会に出て、講演者が紹介されて、その人の経歴や業績を知りますが、本当の意味ではその人を知っていません。頭で知っていますが、心で知ってはいません。「知る」とは、体験的、人格的に知ることで、親しい人格的な交わりを意味します。イエス・キリストを信じた人は、神とキリストとの親しい関係に入るのです。
ヨハネは、「私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。」(1ヨハネの手紙1:3)と喜びをもって語っています。イエス・キリストについて知るだけではなく、イエス・キリストを知ることが大事です。
ちなみに、永遠のいのちを受け神のいのちを与えられることは、とりもなおさず、「神の国」に入ることと同じ意味です。
イエス・キリストを信じ、彼を心の中に受け入れた者は、罪が赦されるだけではなく、永遠のいのちを与えられ、永遠に神とキリストとの交わりに生きることができます。「永遠のいのち」は将来与えられるのではなく、現在すでに信じる者に与えられています。クリスチャンは、神のいのちによって生かされいる存在です。同時にクリスチャンは「永遠のいのち」を持っていることによって、将来イエス・キリストの再臨の時に、復活の栄光のからだに変えられ、永遠にキリストと共に住まうという望みを持つことができます。
是非、この「永遠のいのち」のすばらしさを理解し、それを求めてください。

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