聖書メッセージ61 |コーリー・テン・ブーム(1892-1983)と聖書ー『隠れ家』

コーリー・テン・ブームと聖書ー『隠れ家』

「ユダヤ人を救った人々」

オランダといえば、アムステルダムの「隠れ家」に潜んでいたが、見つけられてベルゲン・ベルゼン収容所で死んだアンネ・フランク(1929〜1945)が有名です。私も家内と一緒にアムステルダムを訪れ、アンネの隠れ家を見て、当時の状況を想像することができました。

今日紹介するのは、オランダ人で、ユダヤ人をナチスの迫害から救おうとして捕まえられ、強制収容所に送られたテン・ブーム一家の記録です。

「コーリーとべッツィー」

ナチス・ドイツが1940年オランダに侵攻し、ユダヤ人迫害を開始します。コーリー(コルネリア)・テンブームはオランダのハールレムという町の時計屋さんですが、彼女と姉のベッツィー、そしてお父さんは、ユダヤ人をナチスの迫害から匿い、彼らの家が、ユダヤ人の「隠れ家」(hiding place)となります。しかし、「隠れ場」は、1944年2月28日にゲシュタポによって発見され、コーリーとベッツイーの姉妹、そして父親は、一旦ハーグ近郊のシュペニンゲン州刑務所に収容されますが、父親は十日後になくなります。当時コーリーとベッツィーは、50歳代の独身の女性でしたが、ここから、ブクト収容所を経て、ベルリン近郊のラベンスブルックの女囚絶滅収容所に収容されます。

この収容所に入る時に、一切の持ち物が剥奪されますが、幸いなことにコーリーは、聖書を隠して監視員の間を通り抜けることができました。この聖書の言葉によって、コーリーとベッツイーは、収容所の苦難の中で希望を失わずに、生き抜くことができました。

「絶滅収容所で語られる聖書の言葉」

収容所ではコーリーとベッツイーの周りに囚人が集まり、苦しみ、絶望している人々に聖書の言葉が語られます。実は収容所内では、聖書の話をすることは禁じられており、規則を破ると厳しい刑が課せられましたが、収容所内はシラミが多く不潔だったので、幸いなことに看守たちは近寄ろうとはしませんでした。ベッツィーが開いた聖書の箇所は、「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは、御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)という有名な聖句です。ベッツィーは、どんなに深い地獄の深い穴の中でも、神の愛は浸透してくると語ります。それはどんなに闇が深くても、光は闇を照らすことができるという確信です。

多くの囚人はこのような地獄のような収容所に神がおられるはずがないと思っていましたが、ベッツィーは、ここにも、否ここにこそ神はおられると確信していました。彼女は、苦難に打ち勝つ秘訣としてローマ書8章を読みました。この言葉が読まれた時に、周りに集まっている囚人に希望の光が灯されました。

「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか。迫害ですか、飢えですか。危険ですか、剣ですか。——しかし、私たちは私たちを愛して下さった方によって、これたすべてのことにあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ書8: 45、37)

ベッツィーとコーリーを中心とした交わりは、まさに生き地獄における天国への門となっていきます。
「ベッツィーとわたしは肩を並べて、神の遣わされたのみのいる聖所で、神のことばをもって部屋中の人全員に奉仕しました。私たちが死の床のそばにすわると、そこは天国の門となりました。私たちは、なにもかも失った婦人たちが、希望に輝き、精神的に豊かになっていくのを見ました。二人が入れられている第二十八号棟は、ラベンズブルックにおける祈りの心臓部になりました。私たちは、収容所の全員のためにベッツィーの勧めによって、囚人だけではなく、看守のためにも、とりなしの祈りを捧げました。」(『私の隠れ家』)
収容所で苦しんでいる同じ囚人のために祈ることはわかりますが、自たちを苦しめ、虐待する看守 のために祈ることは普通では考えられないことです。コーリーでさえも、強い抵抗感がありました。しかし、ベッツィーにとって、心が憎しみと敵意で支配されている看守たちこそ、救われなければならない哀れな罪人だったのです。

「ベッツィーとコーリー」

ベッツィーは、妹のコーリーと比べて身体が弱く、繊細ですが、純粋な深い信仰を持っている女性でした。収容所内の非人間的なナチスの蛮行にコーリーは憎しみで一杯になりますが、ベッツィーは、キリスト・イエスの愛に押し出されて、敵を赦すようにとコーリーにアドヴァイスをします。人間は自分の力で人を赦すことはできませんが、キリストの愛に迫られて初めて赦すことができるように変えられていきます。キリスト自身が、自分を十字架につける者のために、「父よ、彼らの罪を御赦しください。彼らは何をしているのかわからないのです」(ルカの福音書23:34)と祈られました。コーリーは最初はベッツィーに反発しますが、ベッツィーの信仰に次第に心を動かされ、憎しみの心が溶かされていきます。

「相異なる神の導き」
身体の弱いベッツィーは、強制収容所で安らかに天に召されていきます。他方、コーリーは、1944年12月に奇跡的にラベンスブルック強制収容所から解放されます。それは、事務上のミスによるものでした。彼女が出所して一週間後に、彼女の年配の婦人たちは全員ガス室に連れていかれたそうです。
コーリーが解放されるときに、テイニーという若い女囚に語った言葉が印象的です。二人の会話を紹介します。

コーリー 「わたしはコーリーよ。ここに来てどれくらいになるの?」
テイニー 「二年。」
コーリー 「聖書を読んだことがある?」
テイニー 「いいえ、一度も」
コーリー 「神様の存在信じている?」
テイニー 「信じています。神様についてもっと知りたかったわ。
     あなたは神様をご存知ですか? 」
コーリー 「ええ。神の御子、イエス様はわたしたちの罪を取り除くために、この世に来られたのです。そして十字架の上で死なれ、死人の中からよみがえられて、私たちと一緒にいると約束してくださいました。わたしの姉はここで死にました。姉はとても苦しみました。私も苦しみました。でもイエス様は私たちと一緒にいらっしゃるのです。わたしの敵に対する憎しみと恨みを奇跡のように、取り除いてくださったのです。イエス様は私たちのこころのなかに、聖霊によって神の愛を注いでくださるのです。」
(『主のための放浪者』)

「真の隠れ家」

コーリー・テン・ブームは、自分の収容所経験を基にして、『私の隠れ場』を書きました。コーリーにとって「隠れ家」とは一体何だったのでしょうか。コーリーたちが用意したユダヤ人のための隠れ家は結局は発見され、ゲシュタポによって破壊されてしまいました。しかし、何者にも破壊されず、侵害されない「隠れ家」、絶滅収容所中で唯一逃れることのできる所、それは、コーリーにとってイエス・キリストそのものでした。ナホムという預言者は、「主【神】は、いつくしみ深く、苦難の日の砦。ご自分に身を避ける者を知っていてくださる。」(ナホム1:7)と書いています。

「解放後のコーリー」

コーリーは、解放されてから神の愛の証人として、53歳から32年間、実に60カ国を訪問して、福音を宣べ伝えます。コーリーは、自分が解放されたのは、キリストの愛を多くに人々に伝えるためであると確信し、全身全力で全世界を駆け巡り、キリストの愛を伝えるのです。

【参考文献】
コーリー・テン・ブーム『わたしの隠れ家』(いのちのことば社、1975年)
コーリー・テン・ブーム『主のための放浪者ーわたしの隠れ家 続編 』(いのちのことば社、2009年)
映画 「隠れ家」(1977年)

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