聖書メッセージ60 |K姉妹を天国に送る
K姉妹を天国に送る
2022年8月2日に、大津キリスト集会に集っておられたK姉妹の召天式が行われました。当日はコロナ感染拡大下でありましたが、約50人の親族、親戚、近所の方が参加され、K姉妹を偲ぶと同時に、福音メッセージが語られました。その内容を下記に収載いたします。T兄の司会で召天式が始まって、岸本姉妹の長女の方が信仰の証をされ、式の終わりの喪主挨拶で長男の方が、涙ながらにお母さんのことを語って下さいました。お二人の言葉を通して、いかに岸本姉妹がご家族の中で愛されていたかが伝わってくるようでした。
【あいさつ】
大津キリスト集会の責任者をしています古賀と申します。神の教会ではキリストにあるクリスチャンのことを互いに兄弟、姉妹と呼び合いますので、この召天式でも、故人をK 姉妹と呼ばせていただきます。K姉妹とは、2018年6月頃、娘さんと一緒に集会にこられた時に、初めてお会いしました。娘さんはシンガポール在住のクリスチャンで、お母さんにイエス・キリストを信じて、天国の国籍を得てほしいと願っておられ、帰国されるとイエス・キリストのことを熱心に語っておられました。それから約2年間の求道生活の後に姉妹は2020年9月にイエス・キリストが自分の罪のために死に、三日目によみがえられた救い主として信じ、憧れの琵琶湖でバプテスマを受けられました。クリスチャンになられたK姉妹の証【大津集会HP 救いの証2020年9月15日】を、受付でお渡しましたので、是非、後で読んでいただければ幸いです。
K姉妹のバプテスマの時には、約8か月後に末期がんの診断を受けられるとは考えられませんでした。しかし今から考えると、K姉妹が末期癌を患われ、召天される前にイエス様を信じ、永遠のいのちを受けられたことは、神のみわざと思わざるをえません。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者の書3:11)
K姉妹は、末期癌になられても、体調の良い時は、礼拝に来られることを喜ばれ、ご主人に送ってもらって集会に来ておられました。病気のことを嘆かれることもなく、ご自分のいのちが短いことも信仰によって受け入れておられ、一切の延命治療をしないと言われていました。
死期を感じられたK姉妹は、2022年2月に手紙をくださりました。そこには大津キリスト集会で葬儀をしてほしということが記されてありました。ご遺族もそのことを快諾してくださいました。姉妹はO病院で7月30日に永眠されました。ご長男の方から連絡を受けました。
【死の準備】
K姉妹に限らず死はいつかは私たちを襲ってきます。今、私たちは見送る側ですが、いつ見送られる側になるかわかりません。しかし、私たちは、死を真剣に考えようとはしません。それは、死の事を考えると怖いからです。フランスの有名な哲学者パスカル(1623-1662)は『パンセ』の中で、「人間は絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるようなものを前方においた後、安心して絶壁の方に走っていくのである」と書いています。
しかし、葬儀の時には、私たちはいやでも死と直面せざるをえません。聖書の中に、「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行く方が良い。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者が、それを心に留めるようになるからだ。」(伝道者の書7:2)とあります。そこには、人生の真実が示されています。
聖書は、私たちに終活をすすめています。就職の活動ではなく、私たちの終わりの準備です。一般に、日本人は、「終活」というと、遺書を書くとか、葬儀や遺骨を納める墓を準備するすることを考えます。しかし、真の「終活」は、死んだあと人間はどうなるかを知り、死の準備をすることではないでしょうか。
死がすべての終わりであれば、そこに希望はありません。すべてのものが死に飲み込まれてしまいます。死の前には、どんな立派な人も、どんなにに強い人も、どんな名医も無力です。しかし、死に勝利する秘訣があります。死に飲み込まれるのではなく、死を飲み込む秘訣があります。それは、どうして可能でしょうか。
【死を超えた希望】
K姉妹は、末期がんを宣告され、この地上の生涯を終えられる前に、イエス・キリストを信じられ、死を超えた希望をもたれました。死ですべてのものが終わりではなく、死は、天国に至る門に過ぎないことを知られました。イエス・キリストを信じるものの人生の終着点は、死ではなく、死を超えた天国、永遠の命です。クリスチャンの国籍は天にあります。
岸本姉が信じられたイエス・キリストというお方は一体どのようなお方でしょうか。聖書66巻は、イエス・キリストについて書いています。聖書は、罪あるものは、そのままでは永遠の滅びに至ると語っています。しかし、神の子イエス・キリストはこの地上に来られ、私たちのすべての罪を負って十字架にかけられ、三日目に墓を打ち破ってよみがえられました。つまり死に勝利されました。そしてイエス・キリストを救い主として信じる者は、罪が赦され、永遠の命が与えられることを約束されました。それは私たちに対する確固とした神の契約であり、今日においても有効な約束です。
イエス・キリストは「私はよみがえりです。命です、私を信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネの福音書11;25)と語られました。キリストの命は、死を克服したいのちであり、キリストを信じる人は、肉体的には死にますが、その魂と霊は天国に行き、キリストとともに永遠に生きるのです。このキリストの復活のいのち、永遠のいのちを持って居るかが人生の分岐点です。
それでは、K姉妹が行かれた天国とはどのようなところでしょうか。天国は願望や幻想ではなく、霊的事実です。K姉妹をこよなく愛し、その人生を導きかれたイエス・キリストがおられるところです。天国とは、イエス・キリストと共にいるところで、イエス・キリストなくして天国は存在しません。そして黙示録21章の中では、より具体的に「神ご自身が、彼等の神として、ともにおられる。神は彼等の目から、涙をことごとくぬぐい取って下さる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからです。」(黙示録21;3-4)と記されてあります。
K姉妹は、一年間の闘病生活の中で、悲しみ、痛み、肉体的・精神的苦しみを経験されました。私自身、K姉妹がなくられたことは本当に残念で、もっと長く生かされて、交わりをしたいと思う気持ちでいっぱいで、それを考えると涙がこぼれます。しかし、熾烈な闘病生活の後に、もはや苦しみも痛みもないイエス様の所にいかれて、平安を得られていることは本当に幸いと思います。人が持ちうる真の希望は、死をこえた希望、死に飲み込まれるのではなく、死を飲み込むような希望ではないでしょうか。死を越えた希望を持つことによって、私たちは苦難に押しつぶされることなく、この地上の生活を喜びと希望をもって生き抜くことができます。
【内村鑑三の長女ルツ子の死】
1911年に、日本の有名なキリスト教指導者で多くの人々に影響を与えた内村鑑三(1861-1930)の長女ルツ子さんが19歳で天に召されました。ルツ子さんは、「もう行きます」といって、息を引き取られたそうです。内村は病気がいやされるように徹夜して祈りましたが、その祈りは聞かれませんでした。しかし内村には天国でルツ子と再会できる希望がありました。彼は葬儀の場で、「今日はルツ子の告別式ではない。結婚式である。」と語りました。それは、花嫁であるルツ子さんが花婿であるイエス・キリストと一つにされるという意味です。また彼は、東京の雑司ヶ谷の納骨式において、一握りの土をつかんだ手を高く差し上げて、「ルツ子さん万歳」と声高く叫んだそうです。ルツ子の墓石には、「また逢う日まで」という言葉が刻まれています。
【聖歌640番】
今日は、告別式です。しかし、日本語の「さようなら」は、英語で See you again(また会いましょう)です。ドイツ語でもAufwiedersehen(wiederは再び、sehenは会う)です。
この地上では会えなくても、罪赦され、イエス・キリストを信じている人は、天国において再会できる希望があります。そしてイエス・キリストが再び来られる時に、朽ちない栄光のからだに変えられることが約束されています。
最後に聖歌604番の1番を紹介して、終わりたいと思います。
“いつかは「さらば」とわが友すべてに
言う時ありとも我がこころ安し。
み顔【イエス・キリスト】を拝して、われ告げまつらん
「恵みにわが身も 贖われたりと」“
#贖われるー イエス・キリストを信じて、罪赦されること