聖書メッセージ55|メーテルリンク (1862〜1949) と聖書ー『青い鳥」
メーテルリンク (1862〜1949) と聖書ー『青い鳥」
『青い鳥』の主題
メーテルリンクは、ベルギー出身の詩人、劇作家で1906年に『青い鳥』を発表し、1911年にノーベル文学賞を受けています。『青い鳥』の副題は、「生と死の意味』です。青い鳥が幸福の象徴であることは言うまでもありません。チルチルとミチルは、青い鳥を探すための旅路に出ます。二人は、幸福を見出すことができたでしょうか。その足跡を追ってみたいと思います。
「構成」
チルチルとミチルは青い鳥を探しに木こりの部屋を出て、最初に「思い出の国」(第ニ幕第三場)、次に「夜の御殿」(第三幕第四場)、そして「森」(第三幕第五場)、「墓地」、「幸福の花園」(第四幕第九場)そして「未来の王国」に行き、最後に自分の家に戻ってきます。しかし、どこに行っても青い鳥を捕まえることができませんでした。それぞれの場面に意味がありますので、跡をたどってみたいと思います。
「思い出の国」
「思い出の国」では、すでに死んでしまったおじいちゃんやおばあちゃん、弟と妹、愛犬に会い、青い鳥を見つけますが、「思い出の国」を去ると青い鳥が黒い鳥に変わっているのです。過去を懐かしむだけでは、幸福を見出すことはできないというメッセージでしょうか。チルチルは、「青い鳥なんてこの世にいないのか、もしいたとしても籠にいれると色が変わってしまうものと考えるほかはありませんよ。」と述べています。
「夜の御殿」
ここの扉の中に潜んでいるのは、幽霊、病気、戦争、陰、沈黙、恐れなどで、ここでは青い鳥は死んでしまいます。生き残れないのです。現在でもウクライナにロシアが侵攻して戦争になり、たくさんの犠牲者、難民が発生していますが、そこでは幸福も一瞬にして失われ、不幸と苦しみが襲ってきます。
「森」
この森には、ポプラ、マロニエ、柳、モミなどの樹木や、羊、豚、牡牛、ろばなどがいますが、チルチルとミチルといった人間に敵対的です。それもきこりよって伐採されたり、食肉にされたことに対する恨みがあるからです。現在、森の木々が伐採され、自然の循環が破壊されて、気候温暖化により、植物や動物も悲鳴をあげています。 チルチルとミチルは、人間が破壊している自然の中に「青い鳥」を見出すことはできません。
「幸福の花園」
ここには二種類の幸福が登場します。つまり、物質的な幸福と精神的な幸福です。最初は、贅沢、虚栄、飽食、怠惰、豪華な宴会といった偽りの幸福が登場します。そこには一時的で表面的な幸福はありますが、真の永続的な幸福はありません。しかしそこで、ダイヤモンドを回すと、健康の幸福、両親を愛する幸福、清い空気の幸福、青空の幸福、また様々な大きな喜び(正義である喜び、善良である喜びなど)という精神的幸福現れます。しかし、チルチルとミチルは、幸福の花園の中にも青い鳥を見出すことはできません。
「未来の王国」
チルチル、ミチルは、「未来の王国」でも青い鳥を見つけます。ここでは、世の中を幸せにしようとしたり、長寿の薬を発明しようとしたり、羽根がなくても飛べる機械を発明しようとする子供たちがいます。しかし科学技術の進展が人間を幸福にするのでしょうか。未来はバラ色に輝いているのでしょうか。ここで発見した青い鳥は、赤い鳥に変わってしまいます。黒い鳥と赤い鳥の違いは何でしょうか。普通に考えると、黒い鳥よりも赤い鳥の方が見栄えが良いものに思われますが、実はもっと怖ろしいものです。技術が発展すればするほど、それが悪用されれば、核兵器のように人類を破壊する手段となりますし、SNSがフェイクニュースを増産して健全な政治的判断力を失わしてしまうことになりかねません。
「家の青い鳥」
チルチルとミチルは、家に帰ってきて、青い鳥が自分の家の鳥かごにいることを発見します。ここから、幸福は遠くに行って探すものではなく、身近な日常生活中にあるものという教訓が語られることが一般的です。
しかし原作は、そこで終わっているのではなく、家にいた青い鳥も結局どこかに逃げてしまいます。最後は「誰か、青い鳥を探してください。私たちには、青い鳥が必要なのです。」というチルチルの切なる叫びで終わっています。メーテルリンク 自身も、幸福を追求したが、見出していなかったのではないでしょうか。メーテルリンクは、幸福を追求しても見つけることができない永遠の求道者なのでしょうか。
「ヘレンケラーとの出会い」
ヘレンケラーは、メーテルリンクの『青い鳥』を読むのが好きて、その全部を暗記していたと言われています。メーテルリンク夫人(実際には、1895〜1918年までメーテルリンクと恋愛関係にあったジョルジュエット・ルブラン)は、1904年に当時ボストン近郊のラトクリフ女子大学(現在のハーバード大学ラドクリフ・キャンパス)に通っていたヘレン・ケラー(1880〜1968)の家を二度訪問し、「あなたは幸福ですか」と質問したそうです。ヘレンケラーは、よく知られているように、見えない、聞こえない、話せないの三重苦を経験していました。この質問に対して、ヘレンケラーは、「もし私が幸福でないなら、私の人生は失敗だったでしょう。私は本当に幸福です。」(p、152)と答えたそうです。メーテルリンク夫人は、この言葉に心打たれ、「こんな問いを出した私が悪かったのです。ごめんなさい。本当にあなたは幸福です。はじめてあの青い鳥の幸福を見つけた人です。」と語っています。この言葉にヘレン・ケラーは狂喜して、「そうです。私が青い鳥を見つけたのです! 私が青い鳥を見つけたのです!」と叫んだそうです。真の幸福は苦難が来ると吹っ飛ぶようなものではなく、苦難の只中でも光り輝いているものです。
ヘレン・ケラーは、メーテルリンク夫人に「あなたには宗教がありますか?私は神を信じています。」と幸福の秘訣について語っています。
メーテルリンク夫人はフランスに帰り、ジョルジエット・ルブラン(メーテルリンク夫人)という著者名で「青い鳥を見つけた少女」( The Girl who found the blue bird )という本を書き、1914年に刊行しました。この本にメーテルリンク自身がサインして、二人の写真を添えてヘレンケラーに送りました。そこには、「青い鳥を見つけた少女に、青い鳥の著者より」と記されてありました。
誰かがヘレン・ケラーに「あなたは真っ暗な世界をかって恐れたことがありますか、怖いと思ったことがありますか。」と質問したそうです。それに対してヘレンケラーは、「いいえ、わたしの前、そして後には神様がいらっしゃる。わたしは、ちっともこわいと思ったことはありません。わたしには、全てが幸いです。」と答えました。たとえ苦難が襲ってきたとしても、神と共にある人生、ここにヘレンケラーの幸いの秘訣があるのではないでしょうか。筆者には、『青い鳥』のチルチルとミチルが「幸福の花園」において青い鳥を見つけることができなかったことは、大きな意味があると思います。人はたとえ苦難の中にあっても、神が共におられることを 知る時に、幸福に満たされるのです。
「聖書のことば」
神殿礼拝で神への賛美を指導していたアサフは、真の幸福について次のようにかたっています。
「しかし、私にとって神のみそばにいることが幸せです。
私は神である主を私の避け所とし、あなたの全てのみわざを語り告げます。」
(詩篇73:28)
参考文献
モーリス・メーテルリンク『青い鳥』(堀口大学訳、新潮文庫、1960年)
メーテルリンク夫人の『青い鳥を見つけた少女』の英語全文は、
1nternet Archive Details – The girl who found the blue bird(英語)
http://www.archive.org/details/girlwhofoundblue00lebliala
五木寛之『青い鳥のゆくえ』(朝日出販社、1995年)