聖書メッセージ08「仲介者イエス・キリスト」
「仲介者イエス・キリスト」
2017年1月20日トランプ大統領の就任演説がありました。その時、祈祷した一人が有名な伝道師ビリー・グラハムの息子フランクリン・グラハムです。グラハムは、「神と人の間の仲裁者はキリスト・イエス」で、キリストなくして罪の赦しはないと祈りました。
しかし、夫と妻の関係、兄と弟の関係、国と国の関係より、人生にとって重大な関係は、神と人との関係です。聖書によれば、創造者である神と人間との間には、罪という壁があり、交わりが立たれています。コミュニケーションが存在しないのです。聖書は、神と人との関係を次のように指摘しています。
「見よ。主(神)の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがた咎があなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」(イザヤ59:1、-2)と記されています。
はたして、人から神へあるいは神から人への「架け橋」は存在するのでしょうか。この質問に対する答えはNoでありYesです。Noというのは、私たちから神に近づく道は存在しないからです。人がどんなに努力をし、修行し、愛の実践をして、自分の罪を清算しようとしても、聖なるの前では、罪の意識が深まるばかりです。「ああ、われ悩める人なるかな」と叫ばなければなりません。それは、パウロの経験であり、また宗教改革者M・ルターの経験でもありました。Yesというのは、神自身から「人に橋を架けて」下さり、私たちが神にたち帰り、神との交わりが回復する道が開かれたからです。
この「神と人との懸け橋」こそ、イエス・キリストです。この方は、全く罪がない神の御子であるにもかかわらず、私たちのすべての罪を負って十字架にかかり、身代わりとして聖なる神の裁きを受け、そして三日目に墓を打ち破ってよみがえられました。イエス・キリストが神と私たちの「架け橋」となってくださったのです。まさに2月の聖書のみことばにあるように、「神と人との仲裁者は唯一であり」、このお方こそ、イエス・キリストなのです。
イエスは言われました。「私が道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してでなければ、だれひとり、神のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書14:6)
大津集会は、人生の重荷を負っておられる方、神様を求めておられる方が、教会のドアをノックして下さることを心から歓迎いたします。是非、イエス・キリストにある豊かな人生を見出してください。