聖書のことば|9月

“主(神)はいつくしみ深い。主に望みを置く者、主を求めるたましいに。 主の救いを、静まって待ち望むのは良い。 人が若いときに、くびきを負うのは良い。” (哀歌3:25〜27)

“The Lord is good to those whose hope is in him.It is good to wait quietly for the salvation of the Lord.It is good to bear the yoke while he is young.”(Lamentations3:25〜27)

特別企画|絶望のとなりに希望がある

特別企画|202509 絶望のとなりに希望がある

聖書特別メッセージ

特別企画|絶望のとなりに希望がある

日時:2025年9月21日(日) 14:00〜15:00
場所:大津キリスト集会
入場無料:どなたでもお越しください。

[続きを読む]

お知らせ

当集会では聖書からわかりすくお話をしております。初めての方も大歓迎です。また消毒, 換気、social distance を取るなどの感染症対策を行っていますので、安心してお越しください。ただし、マスク着用に関しては、参加される方も当集会のクリスチャンも自由になっています。

読書会のご案内

●古賀敬太著『28名の著名人と聖書』(伝道出版社) 
●講師:古賀敬太    ※読書会は終了しました。

これまでの研究会の内容は、下記の動画から御覧下さい。

すべての動画をYouTubeで見る     

新・聖書入門講座のご案内

聖書をわかりやすく読むために、新聖書入門講座を設けました。今回の講座は、集会所に集まって対面で行うものではなく、大津キリスト集会のHP にアップされる動画を見て、視聴者のかたがたが聖書に親しむ方式です。

現在まで
  ●マタイの福音書NO.1〜NO.30
  ●ヨハネの福音書NO.1~NO.24
  ●ルカの福音書NO.1~NO.48 の動画を入れています。

全部で合計102の動画が収載されています。以下のアドレスをクリックして、ご覧ください。

すべての動画をYouTubeで見る

なおご質問、ご感想があれば遠慮なくBible.otsu02@gmail.com までメール頂ければ幸いです。

お問合せフォーム

「聖書入門―キーワードで読む聖書」

第三十四回 からだ(body,ϛῶμα, ソーマ)
ソーマ(ϛῶμα)という言葉は新約聖書で142回用いられています。その用い方を三つのポイントで考えてみたいと思います。

[続きはこちらをご覧ください。] 


第三十三回 肉体、肉サルクス(fresh,ϛ ὰ ρξ、サルクス)
新約聖書で出てくるギリシャ語のサルクスには、主に三つの意味があります。サルクスという言葉は新約聖書に147回出てきており、その内パウロの手紙で、90回使われています。

[続きはこちらをご覧ください。] 


第一回〜過去の記事を読む 

新刊紹介

『28名の著名人と聖書-聖書の扉を開く』古賀敬太

これまで多くの著名人が、聖書の影響を受けてきました。この書物は、できるだけ多くの人に、聖書が彼らの生涯や著作に及ぼした影響を知ってもらいたいと思い、執筆しました。彼らの中にはクリスチャンもクリスチャンでない人も含まれていますが、人間のエゴイズムや死、生きる意味、神の存在など、人生の根本問題と格闘しつつ、聖書に触れた人々です。
著者:古賀敬太
価格:1,320円(税込)
ISBN978-4-901415-41-5
発売:伝道出版社

[続きを読む]

聖書メッセージ87

聖書メッセージ87 「神への叫び」

意識するとせざるとにかかわらず、誰しも心の底では神に対して叫んでいます。困難や苦しみが襲ってきたとき、自分の力ではどうすることもできない時、「神様、助けてください」と叫んでいます。皆様ご存じのように、ノールウエーの画家にエドヴァルド・ムンク(Edvard Munch 1863年- 1944年)という国民的な画家がいます。彼は、『叫び』という世界的に有名になった詩で、生と死の不安と恐れに駆り立てられて異常な叫びを発している人物を描いています。

「ひとりの盲人とイエスとの出会いー聖書から」

異様な叫びを発している一人の盲人が、ルカの福音書18:38〜43に描かれています。場所はイスラエルの繁栄した町エリコです。一人の盲人が道端にすわり、物乞いをしています。そこにイエスが通られますが盲人は「ダビデの子のイエス様、私を憐れんでください」と叫んでいます。実は、「ダビデの子」というのは、ヘブル語でメシア、ギリシャ語ではキリストの称号で、キリストはダビデの子孫として生まれ、この地上に救い主として来られるという旧約聖書の預言がありました。それは、キリストが来られる時に、「その時、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開かれる。そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口の聞けない者の舌は喜び歌う。」(イザヤ書35:5〜6)という預言が実現すると信じられていました。この盲人はなんとイエスが旧約聖書で預言されたキリストであることを信じ、告白したのです。
盲人が叫んでいた時には大勢の群衆がイエスの所に押しかけていましたが、その中の人々が盲人をいさめて黙らせようとしました。彼らにとって盲人の異様な叫びは、イエスとの出会いという大事な瞬間を台無しにするものと思われたのです。しかし盲人 はますます激しく叫び続けました。イエス様はどうされたでしょうか。聖書では、「イエスは立ちどまって、彼を連れてくるように命じられた」(40節)と記されてあります。イエス様のこの盲人に対するいつくしみと愛を見る思いがします。群衆は冷たい、排除するようなまなざしを盲人に向けましたが、イエス様は苦しんでいるこの盲人にいつくしみの温かい視線を注がれ、自分を必要としている人の叫びに応答されたのです。それだけではなく、顔と顔とを合わせて話せるように、この盲人を自分のところに連れてくるように命じられました。
私の母は、15年ほど前に滋賀県の近江八幡にあるヴォーリス老健施設に入所していましたので、時々訪問していました。私の属している大津キリスト集会の姉妹たちも家内と一緒に度々訪問し、一緒に賛美歌を歌ったり、お祈りをしていました。ある時私が施設に入ると中年のご夫妻がおられ、奥様の方が施設内に響くほどの異様な声で叫んでおられました。精神的疾患をわずらっておられるようでした。その時、ご主人は奥様を制することはしないで、温かく受け入れておられました。通常は周りの人の迷惑になるために、奥さんを制して、「静かに!」と言うのが普通ですが、このご主人は違いました。私は彼にイエス様の姿を見るような思いがしました。

「盲人がイエスに訴えたこと」

盲人がイエスのところに来た時に、イエスは盲人に「わたしに何をしてほしいのですか」と尋ねられると、その人は「主よ、目が見えるようにしてください」とお願いしました。イエスは「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救いました。」(41〜42節)と言われました。そして盲人は目が開かれ、「神をあがめながら、イエスについていった。」(43節)と記されてあります。この盲人は、目が開かれただけではなく、霊的にも目が開かれ、イエスに自分の人生のすべてをかけて従う道を選択しました。彼の人生の大転換の瞬間でした。イエスとの出会いは、その人の人生に大きな変化を引き起こします。

エル・グレゴ「盲人の治癒」(1570年、メトロポリタン美術館)

エル・グレゴ「盲人の治癒」

「神に叫ぶ必要性」

人間は、意識するとせざるとにかかわらず、この盲人のように心の中で神に叫んでいます。戦争の犠牲になっている人々、大震災で家をうしない、家族を失った人々、
いじめやネグレクト、家庭内虐待を受けている人々、逆に家庭内暴力に怯えている人々など、叫ばずにはおられない方々が多いのではないでしょうか。そして神は、私たちの叫びを聞いておられ、その叫びに応えてくださるお方です。

「八木重吉の詩」

私は、この盲人の記事を読むと、詩人八木重吉を思い起こします。東京の町田市に小さな八木重吉記念館があります。私は2025年5月にこの記念館を訪問しました。予約制で、水曜日だけ入館できます。町田駅からタクシーで20分ぐらいの距離にあります。普通の民家の二階建ての建物に、八木重吉の写真や著作が展示されていました。重吉は肺結核で1927年23歳の若さで病死しています。彼の人生は、悲しみの中で、神に叫び求めた人生でした。彼はクリスチャンで、聖書を読むことを楽しみにし、イエス様を心から愛した人物でした。八木重吉の最も有名な詩が、「みんなも呼びな」という詩です。

【みんなも呼びな】
“ さて、あかんぼは、
なぜにアン、アン、アン、アン 泣くのだろう
ほんとにうるせいよ
アン、アン、アン、アン
アン、アン、アン、アン
うるさかないよ
うるさかないよ
呼んでるんだよ
神様を読んでるんだよ
みんなも呼びな
あんなに しつこく呼びな

八木重吉にはあの盲人と同じようにイエス・キリストに対する熱い信仰がありました。それはイエスが私たちの罪をすべて負って十字架にかかり、罪の赦しの道、神に立ち返る道を開いてくださったという信仰です。彼は「解決」という詩、また「病床ノート」でそのことを吐露しています。

【解決】

キリストが解決しておいてくれたのです
ただ彼の中に入ればいい
彼に連れられていけばいい
何の疑いもなく、こんなものでも
たしかに救ってくださると信ずれば、ただ有難し
生きる張り合いが自然とわいてくる
難しい路もありましょう
しかしここに確かな私にもできる路がある
救ってくださると信じ、私を投げ出します

【病床ノート】

重吉は、入院中に書いた病床ノートの裏表紙に、「主の十字架により、我らの罪赦されたり。」「自らは完全に悪い人間だけれど、ただキリストを信じているゆえにのみ、「天国に入れてもらえる」、「キリストが生きていなさると思うと、からだが踊り出す。」と書き込んでいます。

MENU