「主に引き寄せられて」

救いの証し T兄弟

「主に引き寄せられて」

2021年8月8日琵琶湖でのバプテスマを記念して

クリスチャンホームで育まれた信仰

私の両親は、私が小さい頃にクリスチャンとなってキリスト集会に集っていました。クリスチャンホームに育った私は、物心ついたときから神様とイエス様がいるということを当たり前のように信じていました。もちろん、三位一体という概念を理解していたわけではありませんが、神様がいて、神様とは別に人間の形となられた神であるイエス様がいる、神様はどちらかというと厳しい父親のような存在で、イエス様は優しい母親のような存在である、と感じていたように思います。
私は、子供の頃から聖書が神のみことばであって、真理であるということに全く疑いを持つことはなく、イエス・キリストが救い主であると信じており、その信仰は現在に至るまで持ち続けています。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(伝道者の書12:1)という聖句にあるとおり、小さい頃から創造主である神を信じる心を与えられたことは、本当に幸いです。主に感謝します。

集会(教会)から離れる

しかし、若い頃は決して熱心な信者であったわけではありません。むしろ信仰心は薄く、ほとんど未信者と変わらないような人生を歩んできました。就職するまでの間は、両親とともにKキリスト集会に集うこともありましたが、どこか義務感が先に立って行くのが面倒だなと感じておりました。礼拝の重要性を頭では理解していたものの、正直に言ってつまらない儀式のような感覚を持っていました。就職してからは、k集会にも行かなくなり、神様からも離れるようになりました。

神からの試練による信仰の復活

しかし、好き放題に生きていた若い頃、主から家庭生活や仕事において大きな試練を与えられ、自分がいかに罪深い人間であるかを気付かされました。イエス・キリストが十字架の上で私たちの罪を負われ(第1ペテロ2:24)、身代わりとなって死なれたということは、もちろん知識としては知っていました。ですが、試練を与えられたときに、初めてイエス・キリストの十字架の意味を体感的に理解できたように思います。今から思えば、「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。」(黙示録3:19)というみことばにあるとおり、私は主から懲らしめられ、主の下に立ち帰るように招かれていました。そして、苦難の中で久しぶりに聖書を読み、次のみことばを与えられました。「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5:4)この聖句を読んだとき、思わず涙が溢れました。まるでイエス・キリストが優しく自分に語りかけているような気がして、聖書を読んで初めて泣きました。
そのような経験をして以降、聖霊を通じてイエス・キリストに従って生きていきたいという思いを与えられ、しばらくの間は聖書を通読するなどして信仰心に燃えていた時期もありました。しかし、仕事と家事育児に追われるようになってくると心に余裕がなくなり、静まって聖書を読むような時間がなくなりました。教会や集会に集って他のクリスチャンと交わりたいと思うこともなく、ほとんど主のみこころを求めることもないまま、約10年が過ぎました。

コロナ感染拡大における神の導き

ところが、令和2年4月に大阪府に単身赴任することになり、しかも新型コロナウイルスの影響で出勤日数が大幅に減らされると、それまでの生活と打って変わって暇な時間が増えました。時間を持て余すようになった私は、なぜか分かりませんが聖書のことを深く知りたいと思うようになりました。そして、Youtubeでキリスト教関連の動画を探して手当たり次第に見るようになりましたが、その中でもハーベストタイムミニストリーズとH キリスト集会の動画に強く興味を惹かれ、聖書の解説メッセージなどを視聴するうちに、聖書研究の奥深さや面白さを感じるようになりました。自分がどれほど聖書を十分に理解できていなかったかを痛感し、もっと聖書を深く知りたいと思いました。そうしているうちに、「あなたがたは、キリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(Iコリント12:27)、「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」(へブル10:25)というみことばを主から与えられ、同じ「キリストのからだ」であるクリスチャンの方々と交流を持ちたいという思いが生まれてきました。そこで、単身赴任先から近かったHキリスト集会に行ってみようと思い立ち、令和2年の夏前頃からHキリスト集会に通うようになって、兄弟姉妹と交わる機会を与えられました。また、集会に集っているうちに、いつか受けようと思いながらも受ける機会がなかったバプテスマをぜひ受けたい、周囲の人々に福音を伝えていきたい、という思いが湧いてきました。

大津キリスト集会に導かれ、バプテスマを受ける

そして、令和3年4月、妻の仕事の関係で家族が滋賀県大津市に引っ越すこととなり、週末には単身赴任先から大津の自宅に戻る生活が始まりました。日曜日にHキリスト集会に通うのが難しくなったため、兄弟姉妹に紹介された大津キリスト集会に集うようになって現在に至ります。バプテスマを受けたいという祈りがかなえられ、琵琶湖という素晴らしい場所でバプテスマを受けられる祝福を主から与えられたことに感謝します。信仰生活が長いとはいえ、これまでクリスチャンとして情けない生き方をしてきた自分ではありますが、これからは神の栄光を現すことができるように、イエス・キリストの体なる教会の一つの器官として、大津キリスト集会で主に仕えていきたいと思います。今日、このようなバプテスマの式を祈りつつ、準備して下さった大津キリスト集会の兄弟姉妹に心から感謝します。コロナの感染拡大、台風の接近という困難な状況にもかかわらず、晴天の中でバプテスマを受けることのできる格別の恵みを主に感謝します。

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