「アルプスの少女ハイジと聖書」

―神と和解すること―


「 著者、ヨハンナ・シュピリについて」

『アルプスの少女ハイジ』の著者ヨハンナ・シュピリ(1827-1901)は、スイスのチューリッヒの近郊ヒルツエルという村に、7人兄弟の4番目として生まれました。彼女は、母方の祖父は牧師、父親のヨハン・ホイサーは開業医、そして母親のメタ・ホイサーはプロテスタントの宗教詩人ですので、信仰的雰囲気の中で育てられました。母親が作詞した賛美歌「おおイエス・キリスト、わがいのちよ、苦難の中のなぐさめよ」は、今でもスイスの教会でうたわれているそうです。実際、『アルプスの少女ハイジ』には、聖書がよく引用されていますし、賛美歌も多く紹介されています。日本人がこの書物を読む時には、こうした信仰的な側面を軽視してしまうことが多いのですが、そのことを知ることが、『アルプスの少女ハイジ』のメッセージを正しく理解するために必要なことです。

シュピりは、1880年53歳の時、「ハイジの修行と遍歴の時代」、そして一年後に、「ハイジは習ったことを役立てられる」を発表します。この二つのものが、『アルプスの少女ハイジ』を構成しています。本書におけるハイジの年齢は5歳から10歳までです。シュペリは、1884年57歳の時、夫と長男を同時に失うという悲劇を体験しています。彼女は、1901年74歳でチューリッヒで永眠しますが、チューリヒの彼女の墓には、「主よ、今わたしは何を待ち望みましょう。わたしの望みはあなたにあります」(詩篇39篇7節)という聖書の言葉がが刻まれています。

「『アルプスの少女ハイジ』のあらすじ」

主人公のハイジは、父親も母親も死んでしまった孤児です。西洋の文学、特に女流作家の作品には孤児を主人公とするものが多くあります。シャーロット ・ ブロント(1816-1855)の『ジェーン・エア』、ルーシー・モード・モンゴメリ(1874-1942)の『赤毛のアン』に登場するアン、ジーン・ウエブスター(1876-1916)の『あしながおじさん』に登場するジュデイ、フランシス・ホジソン・バーネット(1849-1924)の『秘密の花園』の主人公のメリーがそうです、ハイジは孤児ですが、天真爛漫で、特に周囲の人々に対する共感能力を豊かに持っている少女です。最初母の姉にあたる伯母さんが世話をしていましたが、その後、スイスのマイエンフェルト近郊のデルフリ(ちいさな村)から山を登ったところにあるアルプスのアルム(山の上の牧草地)で生活をしている父方のおじいさんと一緒に自然の花々や山羊に囲まれて、生活するようになります。山羊は、ユキピョン、スワン、クマ、ヒワと名前がつけられ、ハイジと大の仲良しで、ハイジを見つけるとピョンピョン飛んで、近づいてきます。そこには都会には見られない豊かな自然と共生する天真爛漫なハイジの姿がありました。

しかし、ハイジは、叔母さんによってフランクフルトの裕福なゼーデマン家に病弱で足が悪いクララの話し相手として連れて行かれます。フランクフルト時代は、アルプスの自然から引き離されたハイジにとって、必ずしも幸福なものではありませんでした。しかしこの期間は、後に述べるように、ハイジの成長にとって重要な意味を持っています。ハイジは、アルプスでの生活が 懐かしくなり、心身ともに病気になります。そこで、ハイジはアルプスのおじいさんのところに帰っていきます。しかし、それはゼーデマン家の人々との最後のお別れではありませんでした。フランクフルトのクララもクララのおばあさんもゼーデマン家の主治医もハイジを訪ねてアルプスのアルムまでやってきます。病気がちだったクララは、アルプスにきて見違えるように明るくなり、また奇跡的に歩けるようになります。またアルムの人々もハイジを通して、変わっていきます。一番大きかった変化は、アルムのおじいさんが信仰をもつようになったことです。また弱り切っていたペーターのおばあさんも希望と平安が与えられます。ドイツ文学者で、『アルプスの少女ハイジ』の訳者の松永美穂氏は、『100分で名著 アルプスの少女ハイジ』の中で、ハイジを「小さな伝道者」と述べていますが、名言だと思います。以下、ハイジがどのように信仰に導かれたか、そしてハイジを通してアルムのおじいさんがどのように変わっていったのか、この二点に絞って考えて 見たいと思います。キーワードは、「神との和解」です。

「フランクフルトでのハイジとクララのおばあさんの会話」(第一場面)

ハイジがフランクフルトのクララの家に行ったことは、ハイジにとってはアルプスから引き離されるつらい経験でしたが、クララの家でハイジは、クララのおばあさんから大事なことを二つ学びます。

第一は、おばあさんから神様に対する信仰を学んだことです。ここでは、「第一部第10章 おばあさま」におけるハイジとおばあさんとの会話を紹介します。まずおばあさまは、ハイジに神様に祈ることを教えます。自然児ハイジは今まで神様に祈ったことがありませんでした。

おばあさま:「ハイジ、あなたに言っておきたいの。もし誰にも言えない悩みを抱えているのだったら、天の神さまにお話しして、助けてくださるようにお願いしなさい。神さまは、私たちのあらゆる苦しみを軽くしてくださるのよ。それはわかるわね?毎晩、天の神様にお祈りして、お恵みに感謝したり、悪いものから守ってくださるようにお願いしているでしょう?」

ハイジ:「いいえ、そんなことはしていません」

おばあさま:「ハイジ、あなたは一度も祈ったことがないの?お祈りが何かしらないの?」

ハイジ:「最初のおばあさまとだけ、一緒に祈ったけれど、もうずっと前のことだし、忘れてしまったの」

おばあさま:「そうなの、ハイジ、それは悲しいことね。助けてくれる人を誰も知らないなんて。たえず心を苦しめるものがあるときに、すぐさま神さまのところに行って、なにもかもお話しし、助けてくれるようにお願いできるとしたら、どんなに素晴らしいことか、考えてごらんなさい!ほかには誰もそうやって助けてくれる人はいないのよ。神様はどんなとところでも人を助けることができて、私たちがまた喜べるものを与えてくださるのよ。」

ハイジ:「ほんとうになにもかも話していいの?」

おばあさま:「ぜんぶよ、ハイジ、なにもかも」

この会話がきっかけとなってハイジは、神様と祈りで会話するようになります。ハイジが最初に祈ったことは、「おじいさんの所に帰れるように」ということでした。

第二の大事なことは、ハイジが読み書きを学んだことでした。ハイジは、読み書きが大嫌いでしたが、神様と祈るようになって、クララの家庭教師について読み書きをマスターします。そしてきれいな挿絵のついて絵本を読むことを楽しみ、おばあさんにも読んであげるのです。

「おばあさんとの会話」(第二場面)

しかしハイジは、「おじいちゃんの所に帰らせてください」と祈っても、実現しないので祈らなくなりました。その時の二人の会話です。

ハイジ:「わたし、毎日同じことを祈り続けたの、何週間も続けたけれど、神様は聞いてくれませんでした。」

おばあさん:「あら、そいうわけではないのよ。ハイジ!そんなふううに考えたらいけないわ!いいかしら、神様は、私たちのみんなのやさしいお父様で、私たちにとって何がいいことなのか、いつもわかっていらっしゃるのよ。——神様は、あなたに必要なものがちゃんとわかっていらっしゃるから、きっとこうお考えになったのよ。『うん、ハイジには、祈っているものを与えてあげよう。でもそれはあの子にとっていい時期、それを本当に喜べる時にしよう』。——そうやって神様は、あなたが神様をちゃんと信頼して、毎日そのみもとに行き、お祈りして、足りないものがある時にはいつも神様を見上げるかどうか、見ておられるのよ。」

このおばあさんの言葉を聴き、ハイジは自分の不信仰を悔い改めて、今度は神のなさることに信頼して、祈り続けるようになります。これは、自分の願いの実現のみを祈るご利益信仰から、たとえ自分にとって不都合でも、神のみわざと導きにに信頼する信仰への転換でした。実際、ハイジの祈りがすぐ聞かれたら、ハイジは読み書きをマスターせず、神に対する信頼も未熟なまま、アルルに帰っていったにちがいありません。そうであれば、ハイジを通してあれほど多くの人が、神の祝福に与ることはなかったでしょう。
次にアルルのおじいさんが、ハイジを通して、どのように変わったかを見てみましょう。

「おじいさんの過去」

ハイジがフランクフルトに行く前のおじいさんは、神や村の人々に対して心を閉ざしていました。おじいさんには、「過去」がありました。ハイジの叔母さんのデーテの証言によると、おじいさんは立派な農園を所有していましたが、放蕩に身を持ち崩して、財産を全部遊びやお酒に使ってしまいました。それを見て、おじいさんのお父さんやお母さんも心痛のあまり早死にしてしまいます。おじいさんは自分に悪い評判が立ったので、村を去り、行方不明になります。ナポリで軍隊にはいり、人を殺したといううわさがたちましたが、十数年してアルルに戻ってきます。そして息子のトビアスとその妻のアーデルハイト(ハイジの母)が不慮の事故でなくなると、おじいさんの犯した罪に対する天罰だとうわさされる次第です。それ以来、おじいさんはアルムに登ったまま、下に降りてこず、村の人々との交わりを一切断ちます。小説には、「おじいちゃんは、神様とも人間とも仲たがいしたまま暮らしている」と書かれてあります。

「おじいさんと牧師さんの会話」(第一回目)

ある時、牧師さんがおじいさんを訪ねてきます。牧師さんは、8歳になったハイジが学校に行って、読み書きが学べるように、山を下りることをおじいさんにお願いしにきました。しかし、おじいさんは、牧師さんの要請をはねつけます。その会話を紹介しましょう。

おじいさん:「山を下りるという話は、わたしにはあいません。下の村の人たちはわたしを軽蔑していますし、わしの方もあの人たちが嫌いだ。だから、離れていた方がお互いのためにもいいんですよ。」

牧師さん:「下の人たちのあなたに対する軽蔑なんて、大したことはありません。信じてください。お隣さん。むしろ、神様と和解してください。あなたに必要な赦しを、神様に求めてください。そして村に来てもらえば、人々があなたをみるめも変わり、どんなに居心地がよくなるか、わかるでしょう!」

こう言って、牧師さんは繰り返して、「おじいさん、どうか今手を差し出して、神様と人とも和解し、下に来て村で暮らす約束をしてください。」と言います。牧師さんが、おじいさんに村の人と仲良くしてくださいとただ単に勧めているだけではなく、神と和解してほしと述べているところがポイントです。神と和解することが第一義的に重要なことでした。神様から離れ、放蕩の人生を送ってきたおじいさんが、まず悔い改めて、神と和解することが必要でした。神と和解すれば、人との和解の道も開けてきます。そして、神との和解は、人の罪を負って身代わりとして十字架にかけられたイエス・キリストを救い主として信じることによって実現します。しかしこの時、おじいさんは、牧師さんの助言をはねつけてしまいます。
神様と村人に対するおじいさんの態度が変わるのは、ハイジがフランクフルトに帰ってからです。『アルプスの少女ハイジ』のクライマックスは、聖書的視点から読むと14章 「日曜日、教会の鐘が鳴るとき」です。ここで、ハイジとの対話を通しておじいさんは悔い改め、新たに神と人とのために生きて行くことを決意します。

「ハイジとおじいさまの会話」

おじいさんはハイジに対して、「一度、神様から離れてしまったら、誰も元にもどることはできない。神様に忘れらた者は、一生そのままなのだ。」と自分の運命を呪いつつ、語ります。その時にハイジは、「えつ、そんなことはないよ、おじいさん。おばあさまからそのことも教わったのよ」と言い、絵本で学んだ「放蕩息子の話」をおじいちゃんに聞かせてあげます。放蕩息子の話は聖書のルカの福音書の15章の中に記されています。お父さんから相続財産の半分をもらって、家出して財産を湯水のように使ってしまい、食べるものにも困ってしまった放蕩息子は、本心に立ち返り、悔い改めて、お父さんの家に帰ろうとします。放蕩息子が、家に帰る途中に、父親は迎えに出て、抱擁し、指輪をはめさせ、最も良い着物を着させ、宴会を催して、息子が帰ってきたことを喜びます。ハイジから放蕩息子の話を聞いたおじいさんは、まさに自分のことのように感動し、神様が自分のことを愛しておられることを知り、悔い改めに導かれます。その時のことについて、「おじいさまは、両手を組み、こうべを垂れ、小さな声で祈りました。『父よ、わたしは天に対しても、あなたに対しても罪を犯しました。もうあなたの息子と呼ばれる資格はありません。! 』大きな涙がいくつか、おじいさんの頬を転がり落ちていきました。」と記されています。おじいさんは、ハイジに翌日、一緒に教会に行こうと言います。教会ではアルムのおじさんが来ているというので、おお騒ぎになります。教会の後に、ハイジとおじいさんは、牧師館を訪ねますが、そこでの牧師さんとおじいさんの会話を紹介します。

「おじいさんと牧師の会話」(第二回目)

おじいさん:「わたしが以前、アルムであなたに言ったことば忘れていただきたく て、ここに来たのです。せっかくのご厚意から出た忠告に対して私が反抗的であったことを、恨まないでください。すべて牧師さんがおっしゃったとおりでした。わたしが間違っていたのです。でも、今は牧師さんの勧めに従って、冬の間、デルフリに引っ越したいと思います。」

牧師さん:「お隣さん、あなたは山を下りてわたしの教会に来る前に、しっかり神様の声を聞いて来られたのですね。わたしはそれが嬉しくてなりません。!」

デルフリの人々もおじいさんに歓迎の言葉をかけます。そして、おじいちゃんはハイジに「ハイジ、今日は自分でもわからないけど、こんなことがあってもいいのかと思うくらいにすばらしいことばかりなんだよ。神様と人間と仲良くすることが、こんなにいい気分だなんて!神様は、わたしによくしようとして、お前をアルムに送ってくださったんだよ。」と感謝のことばを述べるのです。

「ハイジとペーターのおばあさん」

アルルの山でハイジと仲良しのペーターには、お母さんの他に、目が不自由なおばあさんがいました。ハイジはたびたびおばあさんを訪問していたので、おばあさんにとってハイジはなくてはならない存在となっていました。ペーターの家は、デルフリの村とアルムの高原の中間にあります。ハイジがフランクフルトに行くと聞いておばあさんは悲しみますが、フランクフルトから帰ってきたハイジは、今まで以上の喜びをおばあさんに与えます。字が読めるようになったハイジは、おばあさんの家にあった賛美歌を読んであげると、おばあさんは目を輝かせて喜び、神様の導きと愛に感謝するのです。最後にその賛美歌の全文を紹介します。この賛美歌は、松永美穂氏によれば、17世紀ドイツのルター派の牧師で、著名な讃美歌作者のパウル・ゲルハルト(1607-676)の詩である「朝の恵み」の一部だそうです。

私の目は、神が創られたものを見ます。
ご自身の栄光のために、ご自身の力がどれほど大きいかを
私たちに教えるために。——

すべては過ぎ去るけれど、揺るがされることはなく、
神は立っておられます。神のお考え、み言葉とみ心は、
永遠の基盤を持っています。

神の救いと恵みは、損なわれることはありません。
心をいやしてひどい苦痛を取り去り、今も永遠にわたって、
すこやかでいさせてくださいます。

悲惨な日々も十字架によって終わりを告げます。
海がごうごうと鳴り、風が吹き荒れた後には、
待ち望んだ太陽が顔をのぞかせます。

満ち満ちた喜びと魂の静けさを天国の園において
わたしは待つことができます。
わたしの思いはそこに向けられています。

この賛美歌を読み終わった後、おばあちゃんの頬には涙が伝わり、顔には言葉にできないほどの喜びがありました。そしておばあさんは、「ああハイジ、この言葉は心を明るくしてくれる。心の目を見えるようにしてくれるよ。なんていい気持にしてくれたんだろうね、ハイジ!」と語るのです。ハイジには、人の悲しみを自分の悲しみとする深い共感能力がありました。しかし、信仰に目覚めたハイジは、信仰的な絵本や賛美歌を通して、人の魂を神に向け、慰め、励ます「小さな伝道者」としての働きをするのです。最後に聖書から、一か所を引用します。是非、神と和解してください。

“あなたがたも、かっては神から離れ、敵意を抱き、悪い行いの中にありましたが、今は、神が御子の肉のからだにおいて、その死によって、あなた方をご自分と和解させてくださいました。“(コロサイ書1:21~22)

“こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなた方に願います。神の和解を受け入れなさい。神は罪を知らない方[イエス・キリスト]を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義とまるためです。“(Ⅱコリント5:20-21)

参考文献
ヨハンナ・シュピり『アルプスの少女ハイジ』(松永美穂訳、角川書店、2021年)
松永美穂『100分de名著―シュピり アルプスの少女ハイジ』(2019.6月テキスト、NHK出版)
高橋健二『アルプスの少女ハイジとともにーシュピーリの生涯』(弥生書房、1984年)