シャーロット・ブロンテ(1816?1855)と聖書

『ジェイン・エア』ー信仰の光に照らして見るジェイン・エア

「作者シャーロット・ブロンテのプロフィール」

シャーロットは、1816年、北アイルランドのソーントンで、牧師パトリックと母マリアの三女として生まれました。長女のマリアと次女のエリザベスは、1825年、肺結核でなくなっています。妹には『嵐が丘』を書いたエミリー・ブロンテ、『アグネス・グレイ』を書いたアン・ブロンテがいます。エミリーは1847年30歳でやはり肺結核で死去し、アンも1949年29歳で肺結核で亡くなっています。1847年には、シャーロットが書いた『ジェイン・エア」がベストセラーとなります。シャーロットは1854年にニコルズと結婚しますが、翌年38歳で死去しています。五人の姉妹たちは全て短命で、悲劇的な運命を感じます。

「『ジェーン・エア』のあらすじ」

『ジェイン・エア』は、シャーロットの人生経験を反映させつつ、ジェイン・エアという一人の自立し、主体的に生きる情熱的な女性の魂の軌跡を描いています。ジェインは、両親がなくなり孤児となり、ゲーツへッド(Gateshead)にあるリード叔母の家に預けられますが、そこでリード叔母や三人の子供達から差別や非人間的な取り扱いを受けた上、リード叔母さんから反抗的とみなされ、ローウッド(Lowood)の孤児たちの寄宿学校に追放されます。そこでもジェインは偽善的な牧師のブロックスハースト院長の横暴な権力の支配下におかれ、いじめを受けます。しかし、幸いなことにここでは、テンプル先生や友達ヘレンが心の支えとなり、ジェインは信仰の世界に目を開かれます。

彼女はこのローウッド学院を卒業して後、ソーンフィールド(Thornfield)のロチェスター家に家庭教師として趣きますが、主人のロチェスターと知り合い、彼を愛するようになります。ソーンフィフイールド(Thornfield)は、「いばらの荒野」で、誘惑、試練の代名詞です。以降、物語は、ジェインとロチェスターとの関係を巡って急展開します。

その後、ジェインは、ムア・ハウス(Moor House)に行き、牧師のセント・ジョンに出会い、彼の家で彼の二人の妹と共に生活するようになります。彼からインド伝道に妻として同行するように求められますが、インド伝道に同行することは認めつつも、愛情のない結婚を拒否します。そして、ジェインは、ロチェスターが夢で彼女を呼んでいる声を聞き、ロチェスターのいるファンデイーン(Ferndean)に戻っていきます。

このように、ジェイン・エア は、ゲーツヘッド→ローウッド→ソーンフィールド→ムア・ハウス→ファデイーンでの五段階の経験を経て、激動した人生を歩んでいきます。

「『ジェイン・エア』の主題は何か?」

この小説の主題は一体何でしょうか。一般にこの小説は、女性でありつつも、権威に服従、依存するのでなく、主体的に生きていく自立した女性の記録として読まれてきました。またフェミニズムの書であるとも主張されたこともあります。しかし、ここでは信仰の視点から、ジェインの魂の軌跡を考えて行きます。ブロンテが牧師の娘であり、小説の主人公ジェインも牧師の娘という構成をとっているだけではなく、実に多くの聖書からの引用があり、信仰に関する真剣な議論が展開されています。ジェインには、一方において、ローウッドの牧師ブロックスハート院長の偽善的な信仰に対する告発、また信仰に熱心であるが他者に対する愛情や共感を示さないセント・ジョンに対する批判的な思いがあります。しかしジェインは、キリスト信仰そのものを批判しているのではなく、真のキリスト信仰のあり方を追求しているといっても過言ではありません。たしかにロチェスターとの関係において、ジェインは誘惑の危機に陥いりますが、最終的に良心を通して語られる神の声に聞き従います。

ここでは、ジェインの信仰に影響を与えたヘレンとの会話、そしてジェインの信仰の危機と思われたロチェスターとの関係を中心に、ジェインの魂の軌跡を追うことにします。

「 ヘレンとの会話」

ジェインはローウッド学院で彼女を支え、励ましたヘレンから信仰を学び、新しい世界に目が開かれます。ヘレンのモデルはシャーロットの姉のマリアといわれています。ヘレンは、ジェインの情熱的で、思ったらすぐ行動してしまう性格を見抜いていました。ヘレンは、ジェインにアドヴァイスします。

「ジェイン!あなたは、人間の愛情を重く考えすぎよ。あなたってずいぶん一途に思いつめる、激しい人ね。あなたの身体を造って、そこに生命を吹き込んでくださった神様は、弱いあなた自身や、あなたと同じ弱い他の人々以外に、頼れるものをあなたにくださっているの。こ世界や人間の他に、目に見えない世界、霊の世界があるのよ。」(8章)

この言葉は、ジェインにとって重要な意味を持っていました。つまりジェインは、目に見える現実の背後に、超越的な神の現実があることを教えられます。ジェインは、自分の人生に働く神の導きを見るようになります。

また、人はどこからきて、どこに行くのかという問題について、死期が近かったヘレンは、神の存在と天国の存在について、ジェインに語っています。

ジェイン 「だけど、あなたどこに行くの? ヘレン? 行き先はわかってるの?見えるの?」

ヘレン 「 あたし信じているの。信念があるの。あたしは神様のところへ行くのよ。」

ジェイン 「神様はどこにいらっしゃるの? 神様ってなあに。」

ヘレン 「 あたしやあなたを造ってくださった方、ご自分で造られたものは、決してこわしたりなさらないかたよ。あたしはひたすら神様のお力にすがり、神様のいつくしみを信じているの。神様のもとへ帰れ、神様の姿が来るのを、あたしは指折り数えて待っているの。」

ジェイン 「それじゃ、ヘレン、あなたは天国という所があって、死んだら私たちの魂がそこへ行けるって、確信しているのね? 」

ヘレン 「 来世のあることは信じているわ。きっと神さまは良い方で、何の心配もなくあたしの魂をおまかせできると思うの。神さまは私のお父さまで、あたしのおともだちよ。あたしは神様が大好き。きっと神様も、あたしのことを愛してくださっていると思うわ。」(9章)

またジェインは、ヘレンから人を赦すことを学びます。ヘレンは、ジェインに「憎しむに打ち勝つ最上のものは、暴力ではないこと」を語り、憎んでいる人を愛することを語ります。このことは孤児としてさまざまな差別を受けてきたジェインにとって、憎しみや復讐心から解放されるために重要なアドヴァイスでした。

もちろん、ジェインはヘレンではありません。彼女は、この地上で情熱的に生きることを欲しました。しかしヘレンの信仰は、ジェインに目に見えるものの背後にある目に見えないものの現実、キリストの愛によって内なる憎悪や敵意に打ち勝っていく視点を提供したのです。この視点は、ジェインが自分を見失いそうになった時に、絶えず彼女を神のもとに導いたものでした。

「ロチェスターという人物」

ジェインは、ソーンフィールドで家庭教師に採用されますが、自分も孤児として苦難を経験していたこともあり、一見高慢で放蕩生活を送っているロチェスターの内面に潜む深淵を知るにつけ、彼に共感を抱き、彼を愛するようになります。ロチェスターは、結婚した相手が発狂して、彼を苦しめ続け、結婚生活が破綻したので、絶望のあまり、諸外国を渡り歩いたり、多くの女性を情婦として、性的な遍歴を重ねていました。はたから見れば堕落した生き方ですが、彼は自分の運命を呪い、いつかは神の審判が下ることを恐れつつも、心の奥深くで自分を深く理解してくれる女性を求めていました。ジェインも自分に心を開くロチェスターに惹かれて、深く愛するようになり、結婚まで進みます。しかし、このことは、ジェインにとって危険な誘惑でした。

後にジェインは、ロチェスターを偶像のように愛していたと回想しています。
「私の未来の夫は、私の全世界に、否、全世界以上のほとんど天国の 希望にさえなりつつあった。……その頃の私は、神の作り給うた一人の人間を偶像のように崇め、神の姿を見ることができなかった。」(24章)

二人は、一時は結婚寸前まで行きますが、実はロチェスターにはまだ生きている妻がいました。彼は誰にも知られないように、発狂した妻を館の屋根裏部屋に隠していましたが、妻は何度も暴れたり、部屋に火をつけたりしていました。結婚式当日、ロチェスターに発狂した妻がいることが暴露され、結婚は取りやめになります。それは、まさに神の介入以外のなにものでもありませんでした。ロチェスターは、自分の計画を暴かれ、「わたしは、重婚者になるつもりであった。ーーわたしは、たしかに最も厳しい神の裁きを受けなければならない」と述べています。(26章)この時は、ジェインにとって最大の危機の瞬間でした。ジェイン は、ロチェスターの秘密を知った後もすぐには、ロチェスターから離れる事はできませんでしたが、「娘よ、誘惑から逃れなさい」という神の声を聞くのです。そしてジェインは、「ああジェイン! 私の望み私の愛」と言い、「どこに希望を見出せばいいのか」というロチェスターに対して、きっぱりと訣別のことばを語ります。

その後、ジェインは、ムアハウスに行き、牧師のセント・ジェインからインド行きと結婚を求められた後、夢で、ロチェスターが自分を呼んでいる声を聞き、彼のもとに赴く決断をします。ロチェスターのことを忘れることができないジェインの危険な行動と批判することも可能ですが、その夢の背後に神の語りかけがあったと読むことも可能です。というのもロチェスターに決定的な変化が生じていたからです。そこでは、驚くべきことが待っていました。

「ロチェスターの悔い改め」

彼女はソーンフィールドに戻りましたが、ロチェスターはそこにはおらず、ファンデーンにいました。何が起こっていたのでしょうか? ソーンフィールドで、妻が自分の部屋に火をつけ、火が燃え移り、ロチェスターは、妻を救出しようとしますが、妻は身を投げて、即死してしまいます。彼も屋敷が焼け落ちて、その下敷きとなり、視力を失い、左手も切断せざるを得ませんでした。このことをロチェスターは、自分のしてきた罪に対する神の審判として受け止め、悔い改めに導かれます。『ジェイ・エア』の最も印象的シーンです。ロチェスターは、再会したジェインに自分の悔い改めと新生を語ります。

「ジェイン、君は私を信仰のないやつだと考えているだろう。しかし、今私の胸は、この地上の慈悲深い神に対する感謝で一杯なのだ。神の見方は人間とは違い、はるかに明瞭にご覧になる。神の裁きは人間とは違い、はるかに賢明に裁かれる。私は過ちを犯した。——かたくなな反抗心を燃え立たせた私は、天の配剤を呪わんばかりになり、神慮に従うどころか、それに挑戦した。神の正義は着々と進み、災いは相次いで私に降りかかり、私は死のかげの谷を通らねばならなかった。神の懲罰はきびしかった。私は叩きのめされ、永遠に誇りを奪われてしまった。君も知っての通り、私は自らの力を誇っていた。だが、幼い子供が手を引いてもらうように、他人の手を借りねばならぬ今、その力が何になろう?ようやく今頃になって、私は運命をつかさどる神の手を見、認め始めたのだよ、ジェイン。私は自責と悔悟を味わい、創造主への服従を願い始めた。ごく短い祈りだが、心からの祈りであった。」(37章)
この言葉の中に、神を畏れ、真に自分の罪を悔い改めて、創造主である神に従う、変えられたロチェスターの姿があります。神は、この時を待っていたのです。

「ジェインとロチェスターとの結婚」

ジェインはこのように悔い改め、神を信じたロチェスターと結婚することを決意します。神はジェインに、悔い改める前のロチェスターとの結婚を許されませんでしたが、神の前にへりくだり、悔い改めて、イエス・キリストを信じて、新しい信仰の道を歩む、変えられたロチェスターとの結婚の道を許されたのです。ジェインは、ロチェスターと一時的に引き離されましたが、逆説的ですが、最終的に信仰において一つに結び合わされました。二人は、結婚して、一緒に神を礼拝するために、教会に通います。やがてロチェスターが片目の視力を回復し、男の子が与えられた時に、彼は、「神がその裁きを恵みで和らげてくださったことに心の底から感謝しました。」(38章)と述べています。

橋本精一は、「ジェイン・エアにおける信仰の問題」において、『ジェイン・エア』は、不道徳で反キリスト教的な作品ではなく、「聖書的に見てもきわめて正統的なキリスト教信仰の色彩の濃い作品と言えるのである」と述べていますが、適切な指摘です。

「セント・ジョン・リヴァーズに対する評価」

ジェインのセント・ジョンに対する評価は、複雑です、彼女は、セント・ジョンに対する愛のない信仰に対して批判的でした。孤児であった彼女は愛に飢え渇いていました。しかし、同時にセント・ジョンの一貫した信仰の生涯に対して、ジェインは尊敬の念を抱いていました。情熱的で時には自分を見失いやすいジェインにとって、セント・ジョンは、信仰の導き手でもあったのです。セント・ジョンは、ジェインの結婚後、次のように手紙を書いています。

「彼は、しばしばではないが、規則正しく便りをくれた。私の幸福を願っていると、私が神を忘れてこの世に生き、世俗的なことにのみ心を 用いる輩の一人ではないことを信じている旨を書き送って来た。」(37章)

興味深いことですが、『ジェイン・エア』の終わりは、、セント・ジョンの信仰に対する積極的な評価で終わっています。彼は、使徒たちと同じように、「誰でも私について来たいと思うなら自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私に従って来なさい」というイエスのことばに聞き従い、地上の報いではなく、キリストの報いを待ち望んでいました。『ジェイン・エア』は、セント・ジョンの再臨を待ち望む言葉で終わっています。彼は、イエス・キリストが再び来られて、救い主イエス・キリストと顔と顔を合わせて会いまみえることができるという希望を持っていました。

「主はすでに、私に告げておられます。日ごとにはっきりと、『私はすぐに来る」と仰せられ、私は絶えず熱心に答えるのです。ー『アーメン、主イエスよ、来たりませ!』(黙示録22章20節)

「神の恩寵」

「ジェイン・エア」を読むと、神の恩寵と介入を覚えざるをえません。特に、重婚を犯すことになるロチェスターとジェインの結婚が突然、解消されたこと、ジェインが去った後に起こったロチェスターの苦難と悔い改め、その時々に示される神の導きです。人間の弱さや、誘惑、罪の現実の中で、暗闇に光を投じる神の配剤と恩寵は、ジェインやロチェスターの生涯を通してはっきりと示されています。奥村真紀は、「ジェインは、自分の人生全てを支配しているのは、自身ではなく、神の手にあると信じている」と述べていますが、的確な指摘です。これこそ、ジェインがヘレンから学んだ信仰ではないでしょうか。

『ジェイン・エア』の終わりは、ロチェスター との幸福な満たされた生活で終わっていません。確かに、愛に飢え渇いたジェイン・エアは、ロチェスターとの結婚に幸福を見出しました。しかし、彼女の最終的な望みは、セント・ジョンと同様に、救い主イエス・キリストと再び会いまみえることにあったのではないでしょうか。初代教会のクリスチャンの合言葉であったマラナ・タ(主イエスよ、来りませ!)こそ、ジェイン・エア、ひいてはシャーロット・ブロンテ の希望の源泉であったと言えます。

参考文献
C ・ブロンテ『ジェイン・エア』(中央公論社、1994年)
橋本精一「『ジェイン・エア』における信仰の問題ージェインの「愛」と「祈り」
( 中尾洋・内田能嗣編著『ブロンテ姉妹の時空』、北星堂書店、1997年)
奥村真紀「ジェイン・エアはどのよう物語であるのか」(中岡洋・内田能嗣編、世界思想社、2005年)