速水優(1925-2009)と聖書

―日銀総裁としてー

「聖書との出会い」

速水優(はやみまさる)は、一橋大学を卒業し、34年間を日銀、その後17年間を民間企業で働きました。日商岩井社長や経済同友会代表幹事、私立大学の理事長を経験し、1998年73歳で第28代日銀総裁に就任します。クリスチャンの日銀総裁の誕生です。彼は、信仰を持つに至った経緯を、『文芸春秋』(2004年1月号)の「この宝を土の器に」で証しています。彼は、母と長兄の影響で、20歳でクリスチャンになり、導かれた教会に58年間、休むことなく礼拝に出席します。彼は次のように語っています。

「同じ教会に籍を置き、地方や海外勤務を含め、日曜日には教会の礼拝に出席すること慣習化してきた。どんなに、忙しい時でも、なるべく日曜礼拝に出席し、聖書を読み、説教を聞き、賛美歌を声高く歌い、共に祈つたのです。」(『文芸春秋』)

「日銀総裁時代」

速水優は、日銀総裁の就任を神からの召命(calling)として受け止め、日本の経済の復活のために尽力します。彼は、聖書の言葉がいかに日銀総裁の激職にとって貴重な励ましとなったかについて次のように述べています。
「総裁時代、国会に呼ばれて難しい質問を受けたり、難しい決断をする時も、いつも『主とともにいます』、『主われを愛す』、『主すべてを知り給う』ことを自らに語って、上を向いて仕事をすすめてきたつもりだ。職業は「神の召命であるという考えは学生時代に、マックス・ウエーバーの『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』を読んで、強い影響をうけたものである。」(『文芸春秋』)

速水が日銀総裁を務めた1998年から2003年の約5年間は、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎が首相を務めていた時代でした。この時期は、1997年に山一證券が破綻し、バブル崩壊の後遺症の影響で金融システムの不安やデフレ懸念が強まっていた時期で、日銀総裁の金融政策に対する期待も高まっていました。彼は日銀史上、最初にゼロ金利政策や金融の量的緩和(金融機関に大量の資金提供を行う)を採用した日銀総裁です。

彼は、未曽有の危機の中で、「神よ、変えることができるものを変えるだけの『勇気』を与え給え」と心の中で祈りつつ、1999年2月にゼロ金利と量的緩和を金融政策として打ち出しました。今までの金融政策の大きな転換です。

しかし、彼はもともと金融の量的緩和政策で、資金を大量に市場に流すことや円安誘導には慎重でした。資金を金融機関を通して、市場に大量に流すことによって、資金が土地、株式に流れ込み、インフレを誘発する危険性を恐れたのです。彼は、「植物に水をじゃぶじゃぶかけても、日当たりが悪く肥料が足りなければ育たない」と語り、構造改革による財政や金融の健全化を訴えます。彼は、時期を慎重に見極めて2000年8月にゼロ金利を解除し、金融の引き締めを行いました。

しかしその後、景気が悪化したため、「景気認識が甘い」、「金融緩和をもっとすすめろ」と、今まで速水の金融政策を支持してきた業界や自民党からも強いバッシングを受け、国会に呼ばれて、厳しい批判に晒されるようになります。2001年に一時的に辞任することも考えますが、銀行の民間企業への資金の貸し出しを可能にするために、銀行の保有する国債や銀行保有株を買い入れたり、量的緩和を拡大する政策をとらざるをえませんでした。彼の金融政策の信念と実体経済の動向に乖離があったといえます。彼には、大きな葛藤があり、揺れ動きましたが、そのたびごとに神に祈りました。

彼は日銀の金融政策の答弁のために国会に呼ばれた時は、日銀総裁室の奥の部屋で、「恐れるな、私はあなたと共にいる」というイザヤの言葉がかかれた掛け軸を見て、祈ったそうです。彼は、「私の仕事に対する評価は歴史に委ねたい」と言っています。

「速水の愛した聖句」

速水の日銀総裁時代、いや彼の全生涯を貫いて彼を支えた聖書の言葉は次のパウロの言葉でした。

私たちは、この宝を土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行き詰まることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。」(Ⅱコリント4章7-10節)

これは、速水にとっても、弱くて貧しい土の器のような自分であるが、神がはかりしれgatuない力を与えて、尊い目的のために、用いて下さるので、行き詰まることはないという信仰告白です。自分の力で一生懸命頑張るのであれば、窮してしまうが、神の力であれば、倒されることはありません。逆に言えば、いかに速水が、窮し、行き詰まるような修羅場を経験する中で、神の力に信頼したかを示しています。

「アカウンタビィリテイ(説明責任)」

速水の生涯を支えたもう一つの聖書のメッセージがあります。それは、人は生涯の終わりに神の前に立ち、自分がしたことに対して説明責任をしなければならないというものです。彼は、ある新聞のコラムに、現在頻繁に語られている企業や行政、そして医者の説明責任(accountability)の起源について「説明責任は、神の前に人が自分の人生を終えて立ったときに、自分の裁判官である神に対して行う弁明に由来する」と書いています。彼もまた神の前で弁明し、神の審判を受けることを想定して、神の導きを求めて、試行錯誤しつつ、自らの信念に基づいて、自らに与えられた職務を全うしたのです。

「参考文献」
『文藝春秋』、2004年1月号、速水優「この宝を土の器に」
「惜別、元日本銀行総裁・速水優さんー信仰心で切り込んだ金融危機」(朝日新聞2009、年7月11日、夕刊)
「速水優・元日銀総裁死去―強い信念、あつい信仰心」(読売新聞朝刊2009年5月18日)