アウシュヴィッツ収容所とコルベ神父

—闇の中に輝く光—


新型コロナウイルスの感染拡大は、欧米では減少傾向を示していますが、収束に向かっているわけではありません。2020年4月29日現在、世界の感染者数は、約310万人、死者は22万人で、致死率(感染者に対する死亡者の割合)は、約7%に達しています。こうした深刻な状況の中で、死と隣り合わせで、感染者の治療をしている医師や看護師といった医療従事者に対する感謝の声と励ましが日増しに高まっています。
イタリアでは、コロナウイルス感染拡大を阻止するために、北部ロンバルジア地方でロックダウン(都市封鎖) が行なわれ、外出禁止、営業禁止、工場の閉鎖が行われました。それでも2020年4月29日現在、死者数は約27000人で、致死率は、13、5%に達しています。イタリアでも、医療従事者は、感染を恐れず、死と隣り合わせで、自らの使命を果たすことを覚悟した人々として、尊敬が集まって、日々拍手が送られています。

同時にイタリアでは、日本ではあまりピンと来ないと思いますが、感染を恐れず、コロナの感染者を見舞い、励まし、感染者の死に必ず立ち会う神父の働きが注目されています。イタリアでは医療従事者の死は150名を超えていますが、神父の死者も70名を数えています。

2020年3月25日にBBC 放送は、信者から人工呼吸器の提供を受けた神父が、その命綱である人工呼吸器を若者に与えてほしいと言って死んでいったニュースを報道し ました。彼の名前は、ジョゼッペ・ペラルデッリ(Don Giuseppe. Berardelli,72歳)で、コロナの感染が最も強力で深刻であった都市「ベルガモ」の神父でした。ベルガモは、旧市街が世界遺産に登録されているほど、中世的な街並みが残る風光明媚な都市ですが、新型コロナウイルスによって一瞬にして恐怖に見舞われました。彼は3月15日に死去しましたが、翌日、遺体が運びだされた時に、ベルガモの住民が一斉に窓から拍手して見送ったそうです。この報道が真実であるか確証がありませんが、真実であるとするならば、心温まる出来事です。

この神父のことを聞いた時に、私はポーランドのコルベ神父のことを思い出しました。フルネームは、マキシミリアノ・マリア・コルベ(1894〜1944)で、古都クラコフ、そしてローマで神学を勉強し、クラコフの神学校で教えて後、1930〜1936年まで日本の長崎で布教、その後ポーランドの二エポカラノフで修道院長になった人物です。1941年2月にナチスのゲシュタポに反ナチスのかどでで逮捕され、アウシュビッツ(ポーランド名、オシフイエンチム)収容所に送られました。囚人番号は16670です。

ある時、収容所内で、大事件が発生しました。1941年7月末に、一人の囚人が脱走したことで、みせしめに10人の囚人が無作為に選ばれ、餓死刑に処せられることになったのです。コルベ神父はその10人の中に入っていませんでしたが、 選ばれたポーランド人の軍曹であるフランツイシェク・ガイオ二チェク(1901〜1995)が、「わたしには妻子がいる」と泣き叫んだので、コルベ神父は、「わたしは神父で、妻も子もいないので、私が身代わりになります」と申し出ました。コルベ神父が入れられた餓死室は,不思議にも、絶望と死の恐怖の部屋から賛美と祈りの部屋となり、同じく餓死室にいれられた囚人に大きな励ましと希望を与えたと言われています。他の9人の死刑囚にとってもコルベ神父は、心の支えでした。彼は全く食事も水も与えられませんでしたが二週間も生き抜いたので、最後は、フェノールという注射を打たれて絶命しました。

収容所にいたコルベ神父は、どのような思いで収容生活を送っていたのでしょうか。彼が母親に宛てた手紙には、母親を慰める言葉が書き留められていますが、そこには彼の真意が吐露されています。

「母上様……元気にやっています。私のことや私の健康については、心配せずに、安心していて下さい。神はどこにでもおられすべてを見下ろしていらっしゃるので、あらゆるものは大きな愛に包まれているのです。」

多くの人は絶滅収容所 には神はおられないと思って絶望していましたが、コルベ神父は、ここにも、いやここにこそ神はおられるという信仰を 持っていました。彼が収容所の中で、何を大事 にしていたかは、彼が収容所の医師に対して語った次の言葉に示されています。

「誰もが、妻や恋人や母親が待っている自分の家に帰るという人生の目的を持っています。しかし、わたしは自分の人生を他の人々に助けることに捧げており、この身に何か起こるとすれば、それはひたすら神の意志によるものなのです。」通常は、強制収容所における死の恐怖や虐待によって、人の精神は崩壊し、「いけるしかばね」状態になり、本能的、利己的行動に走るものですが、コルベ神父は全く異なっていました。

収容所内でのコルベ神父の行動に感銘を受けた死体運搬人は、彼について次のように語っています。

「 わたしは反抗的なことばかりを言っていましたが、善は悪に打ち勝つというコルベ神父 の信念は、何をもってしても揺らぐことはありませんでした。コルベ神父は、憎悪からは何も生まれず、愛のみが創造の力を持っているのであり、今の苦難は我々を、破滅せるどころか強めてくれるのだと強調されたのです。」

なぜ、コルベ神父は、自分の命を犠牲にして、人を助けることができたのでしょうか? なぜ彼は、暗闇 の中に光を見て、絶望を希望に、憎悪を愛に変えることができたのでしょうか?その秘訣は、コルベ神父が最も好んだ聖書のことば「人がその友のために命を捨てるこれより大いなる愛はない。」(ヨハネの福音書15章13節)というイエスの言葉にあるように思います。

この言葉はイエス ・キリストの十字架の犠牲を予告するものといわれています。神の独り子イエス・キリストは、私たちの罪をすべて負って、十字架にかけられ、身代わりとして死なれました。あの恐るべき、残酷な十字架刑が、罪の赦しと救いが実現する神の恩寵の手段に変えられ、そこに驚くべき神の愛、キリストの愛が示されたのです。そしてコルベ神父は、キリストの十字架の愛に触れ、アウシュヴィッツという過酷で非人間的な強制収容所においても、キリストの愛によって生かされ、暗闇の中に光を輝かせる存在となったのです。それは、英雄的な偉大な行為というよりは、内なるキリストの愛から生み出された自発的な行為でした。

コルベ神父が身代わりとして死んだガイオニチェクは、戦後解放されて、94歳で死去するまで、全世界の講演旅行に出かけて行って、コルベ神父の信仰について語り続けたそうです。それは、彼がコルベ神父に対してすることができた心からの感謝の表明でした。
最後に、コロナの感染拡大という深刻な状況においても、私たち一人一人のために、身代わりとして死んでくださった方がおられることを覚えたいと思います。この救い主イエ・キリストこそ、暗闇の中に輝いておられ、今もなお私たちに、「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いもちの光を持ちます。」(ヨハネ4 章12節)と語りかけておられる方です。

大津集会では、現在、コロナ感染拡大のため、聖書メッセージの集会を開くことができませんが、収束次第、皆様が大津キリスト集会のドアをノックされることを心よりお待ちしています。
(文責 古賀敬太)