第38回 うめく(groan,στεν άζω,ステナゾー)

第38回 うめく(groan,στεν άζω,ステナゾー)

 新約聖書のパウロの書簡では、「うめく」というギリシャ語 στεν άζω(ステナゾー)の動詞が4回用いられています。パウロは、この「うめき」という深い言葉によって、私たちに何を語っているのでしょうか。
 パウロ自身の「うめき」がローマ書8章23節に次のように記されてあります。「それだけではなく御霊の初穂をいだいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。」

 ここでパウロがうめいているのは、からだが贖われること、つまり栄光のからだに変えられることを求めているからです。彼は自分の肉体の弱さを激しい迫害と過酷な宣教活動を通して痛感していたと同時に、罪との激しい戦いにおいて、罪のない栄光のからだに変えられることを深く祈っていました。第2コリント書5章2,3節にも「うめく」という言葉が使用されています。
「私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。その幕屋を脱いだとしても、私たちは裸の状態でいることはありません。確かにこの幕屋にいる間、私たちは重荷を負ってうめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいからではありません。死ぬはずのものが、いのちによって吞み込まれるために、天からの住まいを上に着たいからです。」(1コリント5:2~4)

 ここでのうめきも、ローマ書8章23節と同様に、この世の肉体(=幕屋)を去って、天から与えられる住まい、つまり復活の栄光のからだを持つことを求めるうめきです。クリスチャンには、肉体の死をこえた復活の希望があることは幸いです。
 実は聖書にはもう一か所「うめき」のことばがあります。それは被造物のうめきです。被造物もまた、神の創造のみわざの回復をうめいているというのです。引用してみましょう。「私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。」(ローマ書8:22)
この「ともにうめき」のギリシャ語には、共に(συν)+うめく(στενάζω)をあわせた συστενάζω が被造物の嘆きとして比喩的に用いられています。このうめきは、同時に「生みの苦しみ」として、単なる嘆きではなく、新しい創造が生まれる希望の苦しみです。パウロの「うめき」もまた、希望に満ちた心の奥底から出る深い叫びでした。

 しかし「うめいている」のは人間や被造物だけではありません。なんと三位一体の神である聖霊がうめいておられるのです。該当箇所を引用します。「同じように御霊も弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」(ローマ書8:26)と記されてあります。「助け主」(パラクレートス)である聖霊ご自身が、人間の弱さや必要を知り、深いうめきをもってとりなしておられるということに、私たちは、神の愛とうめきを知ることができます。実は神ご自身がうめいておられるのです。‼️

 私たちは、ローマ書8章の中で、パウロのうめき、被造物のうめき、聖霊のうめきを知ることができました。心の奥深くからの叫びが、聖霊の働きを通して、救いの完成と万物の復興をもたらすことを知ることは、クリスチャンの希望の原動力となります。

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