第11回 「聖書入門ーキーワードで読む」

第十一回 和解(καταλλαγή カタラゲー、reconciliation)

「和解のギリシャ語」
 
和解という聖書のキーワードは、すでに述べた「贖い」や「義認」と同様に、罪の赦しや救いを意味する言葉です。和解のギリシャ語の名詞は、カタラゲー、和解するの動詞は、καταλλσσω(カタラソー)です。受動態の和解させられるは、καταλλάσσειν(カタラセイン)です。和解という言葉は、パウロによって新約聖書で4回使用されています。和解するというのは、対立のない状態に戻す、敵を共に変えることを意味します。人間は神によって創造された時は、神との親しい交わりが有ったのですが、アダムとエバの罪によって、親しい関係が壊れ、人間は神に対して敵対関係になりました。この敵対関係をもとの親しい関係に変えるのが、和解です。聖書では、カタラソーに分離を意味する前置詞のapo が付き、意味を強める意味で΄αποκαλλασσω(アポカタラソー)という言葉も用いられています。
  
「和解をなされたお方」

 神と敵対関係にあった私たちを神と和解させて下さったお方はイエス・キリストです。イエスが、十字架上で私たちの罪を負って十字架で死なれ、血が流されることによって、和解がなしとげられました。私たちは、イエスを信じる信仰によって、神との正しい関係に回復されるのです。
「敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解さ せていただいた私たちが御子の死によって救われるのは、なおいっそう確かなことです。それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、今や私たちは和解させていただいたのです。」(ローマ書5:10,11) 
「和解」はドイツ語で、versöhnung といいますが、Sohn は息子、verは、~をするという意味なので、和解によって、私たちは「神の子」とされ、「ああおとうさん」といって、神の恵みの御座に大胆に近づくことができます。

 「和解のイニシャテーブをとられたお方」

神と人間の間にある敵対関係、つまり罪という壁は、人間が神に罪を犯すことによって生じたものですので、人間に責任があります。罪の赦しと和解を必要とするのは神ではなく、人間です。にもかかわらず、和解のイニシャティブを取られたのは神です。つまり、神は、ひとり子イエス・キリストの十字架の犠牲を通して、罪の赦しの道、救いの道を開いてくださいました。神との和解のために、私たちの側で何かをする必要はありません。もう和解の道は開かれています。私たちの側でなすべきことは、ただ、イエス・キリストを救い主として信じ、神の和解を心から受け入れるだけなのです。
「神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせ ず、和解のことばを私たちに委ねられました。——神は、罪を知らない方をわたしたちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあっ て神の義となるためです。」(Ⅱコリント18,19,21)
 「罪をしらない方」とはイエス・キリストのことです。全く罪のない神の子イエス・キリストが、私たちのために罪そのもとされたという驚くべき事実です。
 
「クリスチャンは和解の務めを委ねられている。」

聖書は、和解せられたクリスチャンは、まだ神様から遠く離れている魂をキリストに導くために、「和解のことば」を委ねられていると語っています。クリスチャンは、神から遣わされた使節、大使として、神にかわってキリストによる和解を伝えるのです。
「こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるのですから、私たちはキリストに代わる使節なのです。私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。」(Ⅱコリント5:18-20) 
福音の根本は、失われた関係の回復にあります。和解は、人がキリストの愛に触れ、悔い改めて神に帰ることによって成立します。そこから神との生ける交わりが生まれてきます。

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