聖書メッセージ87
聖書メッセージ87 「神への叫び」
意識するとせざるとにかかわらず、誰しも心の底では神に対して叫んでいます。困難や苦しみが襲ってきたとき、自分の力ではどうすることもできない時、「神様、助けてください」と叫んでいます。皆様ご存じのように、ノールウエーの画家にエドヴァルド・ムンク(Edvard Munch 1863年- 1944年)という国民的な画家がいます。彼は、『叫び』という世界的に有名になった詩で、生と死の不安と恐れに駆り立てられて異常な叫びを発している人物を描いています。
「ひとりの盲人とイエスとの出会いー聖書から」
異様な叫びを発している一人の盲人が、ルカの福音書18:38〜43に描かれています。場所はイスラエルの繁栄した町エリコです。一人の盲人が道端にすわり、物乞いをしています。そこにイエスが通られますが盲人は「ダビデの子のイエス様、私を憐れんでください」と叫んでいます。実は、「ダビデの子」というのは、ヘブル語でメシア、ギリシャ語ではキリストの称号で、キリストはダビデの子孫として生まれ、この地上に救い主として来られるという旧約聖書の預言がありました。それは、キリストが来られる時に、「その時、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開かれる。そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口の聞けない者の舌は喜び歌う。」(イザヤ書35:5〜6)という預言が実現すると信じられていました。この盲人はなんとイエスが旧約聖書で預言されたキリストであることを信じ、告白したのです。
盲人が叫んでいた時には大勢の群衆がイエスの所に押しかけていましたが、その中の人々が盲人をいさめて黙らせようとしました。彼らにとって盲人の異様な叫びは、イエスとの出会いという大事な瞬間を台無しにするものと思われたのです。しかし盲人 はますます激しく叫び続けました。イエス様はどうされたでしょうか。聖書では、「イエスは立ちどまって、彼を連れてくるように命じられた」(40節)と記されてあります。イエス様のこの盲人に対するいつくしみと愛を見る思いがします。群衆は冷たい、排除するようなまなざしを盲人に向けましたが、イエス様は苦しんでいるこの盲人にいつくしみの温かい視線を注がれ、自分を必要としている人の叫びに応答されたのです。それだけではなく、顔と顔とを合わせて話せるように、この盲人を自分のところに連れてくるように命じられました。
私の母は、15年ほど前に滋賀県の近江八幡にあるヴォーリス老健施設に入所していましたので、時々訪問していました。私の属している大津キリスト集会の姉妹たちも家内と一緒に度々訪問し、一緒に賛美歌を歌ったり、お祈りをしていました。ある時私が施設に入ると中年のご夫妻がおられ、奥様の方が施設内に響くほどの異様な声で叫んでおられました。精神的疾患をわずらっておられるようでした。その時、ご主人は奥様を制することはしないで、温かく受け入れておられました。通常は周りの人の迷惑になるために、奥さんを制して、「静かに!」と言うのが普通ですが、このご主人は違いました。私は彼にイエス様の姿を見るような思いがしました。
「盲人がイエスに訴えたこと」
盲人がイエスのところに来た時に、イエスは盲人に「わたしに何をしてほしいのですか」と尋ねられると、その人は「主よ、目が見えるようにしてください」とお願いしました。イエスは「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救いました。」(41〜42節)と言われました。そして盲人は目が開かれ、「神をあがめながら、イエスについていった。」(43節)と記されてあります。この盲人は、目が開かれただけではなく、霊的にも目が開かれ、イエスに自分の人生のすべてをかけて従う道を選択しました。彼の人生の大転換の瞬間でした。イエスとの出会いは、その人の人生に大きな変化を引き起こします。

エル・グレゴ「盲人の治癒」
人間は、意識するとせざるとにかかわらず、この盲人のように心の中で神に叫んでいます。戦争の犠牲になっている人々、大震災で家をうしない、家族を失った人々、
いじめやネグレクト、家庭内虐待を受けている人々、逆に家庭内暴力に怯えている人々など、叫ばずにはおられない方々が多いのではないでしょうか。そして神は、私たちの叫びを聞いておられ、その叫びに応えてくださるお方です。
「八木重吉の詩」
私は、この盲人の記事を読むと、詩人八木重吉を思い起こします。東京の町田市に小さな八木重吉記念館があります。私は2025年5月にこの記念館を訪問しました。予約制で、水曜日だけ入館できます。町田駅からタクシーで20分ぐらいの距離にあります。普通の民家の二階建ての建物に、八木重吉の写真や著作が展示されていました。重吉は肺結核で1927年23歳の若さで病死しています。彼の人生は、悲しみの中で、神に叫び求めた人生でした。彼はクリスチャンで、聖書を読むことを楽しみにし、イエス様を心から愛した人物でした。八木重吉の最も有名な詩が、「みんなも呼びな」という詩です。
【みんなも呼びな】
“ さて、あかんぼは、
なぜにアン、アン、アン、アン 泣くのだろう
ほんとにうるせいよ
アン、アン、アン、アン
アン、アン、アン、アン
うるさかないよ
うるさかないよ
呼んでるんだよ
神様を読んでるんだよ
みんなも呼びな
あんなに しつこく呼びな
八木重吉にはあの盲人と同じようにイエス・キリストに対する熱い信仰がありました。それはイエスが私たちの罪をすべて負って十字架にかかり、罪の赦しの道、神に立ち返る道を開いてくださったという信仰です。彼は「解決」という詩、また「病床ノート」でそのことを吐露しています。
【解決】
キリストが解決しておいてくれたのです
ただ彼の中に入ればいい
彼に連れられていけばいい
何の疑いもなく、こんなものでも
たしかに救ってくださると信ずれば、ただ有難し
生きる張り合いが自然とわいてくる
難しい路もありましょう
しかしここに確かな私にもできる路がある
救ってくださると信じ、私を投げ出します
【病床ノート】
重吉は、入院中に書いた病床ノートの裏表紙に、「主の十字架により、我らの罪赦されたり。」「自らは完全に悪い人間だけれど、ただキリストを信じているゆえにのみ、「天国に入れてもらえる」、「キリストが生きていなさると思うと、からだが踊り出す。」と書き込んでいます。