聖書メッセージ 78|ハリエット・ビーチャー・ストウ(1811〜1896)と聖書
ハリエット・ビーチャー・ストウ(1811〜1896)と聖書
ー『アンクル・トムの小屋』ー
「ストウ夫人のプロフィール」
『アンクル・トム』の作者であるハリエット・ビーチャーは、父で牧師のライマン・ビーチャーと母ロクサーナ・フート・ビーチャーの子として一八八一年にコネチカット州のリッチフィールドに生まれ、ハートフォードの女子神学校入学します。兄弟には、有名な牧師のチャールズ・ビーチャーとエドワード・ビーチャーがいます。彼女は、一八三六年に神学者のカルヴィン・ストウと結婚し、七人の子供をもうけている。ハリエットは、奴隷解放論者の父親の影響もあり、また一八五〇年に制定された逃亡奴隷法に反対をして、八五ニ年に『アンクルトムの小屋』を執筆し、ベストセラー作家となった。彼女は、一八九六年に85歳で死去し、マサチュウセッツ州アンドーヴァーのフイリップス・アカデミーにある墓に葬られている。
「奴隷解放の書 『アンクル・トム』」
『アンクル・トム』が刊行されてから十年後、リンカーン大統領は奴隷解放宣言を行います。リンカーンはストウ夫人をホワイトハウスに招き、「この小さなご婦人が、この大戦争を引き起こした本を書いたのですね」と述べたそうです。『アンクル・トム』の影響の大きさを物語るエピソードです。実際『アンクル・トム』を読む人は、奴隷制度の過酷さと奴隷の悲惨な状況に激怒せざるを得ません。奴隷が、人間ではなく家畜同然の取り扱いを受け、女奴隷は性的に搾取されていました。奴隷の家族はバラバラに売られ、引き離され、過酷な奴隷商人の手に渡ることは死んだも同然でした。ストウ夫人は、本書の目的を次のように述べています。
「本書の目的は、わたしたちの社会で現に生きているアフリカ人種に対する共感や思いやりを呼び覚ますこと、そしてアフリカ人種のために善を為そうとする良き友人たちの努力をことごとく踏みにじる残酷で不正きわまりない奴隷制度のもとでアフリカ人種が被ってきた不当な扱いや悲しみを読者の眼前に示すことである。」(上、10頁)
『アンクル・トムの小屋』には、奴隷制度が告発されていると同時に、クリスチャンとして暴虐な主人にも誠実に仕えるアンクル・トムの信仰の姿がリアルに描かれています。その苦難は、まさにイエス・キリストが歩まれた苦難の生涯を思い起こさせるものです。ここでは、後者の側面に光を当て、アンクル・トムの信仰と生き様を考えることにします。
「シェルビー氏の家におけるアンクル・トム」
アンクルトムは、最初は料理人で妻のアント・クロウィと一緒に奴隷に優しいシェルビー家に奴隷として仕え、幸せな生活を送っていました。アンクルトムの小屋では、定期的に集会が開かれ、聖歌が歌われ、聖書の朗読があり、説教があり、祈りが捧げられていました。この集会でトムは皆から尊敬され、聖書の御言葉を感動的に語り、彼の祈りは皆の心を真っ直ぐに神に向かわせました。なおアンクル(おじさん)はアント(おばさん)と同様に年配の黒人男女に対して使われていた呼称です。
「リグリーに売られるアンクル・トム」
しかし、シェルビー氏が奴隷商人に多額の借金をしていたので、アンクルトムとハリーというイライザの息子が奴隷商人に売られることとなり、イライザは子供を守るために、夫のジョージと一緒にカナダに逃亡します。他方トムはアント・クロウィと子供達から引き離されて、奴隷商人に売られ、最終的に最も残忍な奴隷主リグリーに引き渡されます。リグリーは、アンクルトムに対して肉体も魂も全部お金で買い取ったのだから、全面的に服従することを命じ、奴隷の女に鞭打つことを命じます。それに対して、アンクルトムは自分の信仰の良心に照らして拒否します。その時、彼は次のように述べています。
「いいえ、いいえ! そうじゃねえです!旦那様、わしの魂は旦那様のもんじゃねえです。旦那様は魂まで買ったではねえです。魂を買うことはできねえです!わしの魂はそれを守ることのできるお方がすでに贖われたです。何をしても、どんなことをしても、わしの魂を傷つけることはできねえです。!」(下、335頁)
アンクルトムにとって、「神の御子イエスが、血と苦悶によって贖われた不滅の魂」を奴隷主人であれ、誰であれ、支配することはできませんでした。彼はそれほどまでに、イエスの十字架の犠牲によって罪が許され、救われ、神の子とされていることに感謝せざるを得ませんでした。リグリーが彼に暴力を振るおうとする時は、彼の心の中に、イザヤ書のことば「恐れるな、わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」(イザヤ書43:1)がよみがえり、彼に励ましと忍耐を与えました。(下、290頁)
アンクルトムの不屈の姿を見て感動した他の奴隷たちが、トムからイエス様の話を聞くようになり、祈り、賛美歌を歌い、信仰の輪がひろがっていきます。本書には「哀れな奴隷たち、先の見えぬ人生に向かってわびしい日々をおくるしかない者たちにとって、自分に同情してくださる救い主や天国の話を聞く素朴な喜びは言葉に尽くせぬものがあった。」(下、424頁)と記されてあります。
「アンクル・トムの死」
アンクルトムは、リグリーの暴力や過酷さに義憤を抱きつつも、リグリーが救われるために祈っていました。私たちにとって考えられないことです。自分を苦しめる者に対しても愛を示すトムの姿は、イエス・キリストの姿でもあります。最後の一滴までトムの血を流させてやるというリグリーに対して、トムは次のように語っています。
「旦那様、もし旦那様が病気だったり、困っていたり、死にそうだったりしたなら、そんで、わしの命と引き換えに助けることができるんなら、わしの血の一滴までさしあげます。この年寄りの血を最後の一滴まで搾り取ったら旦那様の大事な魂が救われるっちゅうなら、喜んで差し上げます。主が御自らの血でわしを贖ってくださったように。ああ旦那様! 旦那様の魂にこんな大きな罪を負わせないで下さい! わしよりも旦那様のほうが深く傷つくことになります! 旦那様ができる最悪のことをしたならば、わしの苦しみはじき終わります。けども、悔い改めなかったなら、旦那様の苦しみは永遠に終わらねえです!」(下465〜465)
トムは、リグリーの暴行によって死んでしまいますが、実際に手を下したのは、奴隷のサンボとキンボでした。いつもリグリーは自分で手を下さずに、奴隷を使うのです。二人は、トムの毅然とした姿と二人に示す愛に感動し、死ぬ間際のトムに対して、「ああ、トム!イエス様っちゅうのはどういう人なのか、教えてくれんか」サンボが言った。今夜ずっとあんたのそばに立つとあんたのそばにたっとったらしいイエス様のことだよ!何者なんだ?」(下、469頁)
これにに対してトムが、イエス・キリストの十字架の苦しみによる罪の赦しを語ると、二人は、「ああ信じるとも,! ——-主イエス様よ、おらたちを憐れんでくだせえ!」と叫ぶのです。(下、470頁)
「聖書の言葉」
「キリストは自ら十字架の上で、
私たちの罪をその身に負われた。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。
その打ち傷のゆえに、あなた方は癒された。
あなたがたは羊のようにさまよっていた。
しかし、今や、自分の魂の牧者であり、
監督者もとに帰ったのです。」(ペテロ第一の手紙3:24〜25)
参考文献
ハリエット・ピーチャー・ストウ『アンクルトムの小屋(上)(下)( 光文社、2023年)