聖書メッセージ 77|キリストを信じた死刑囚、竹内敏彦

聖書メッセージ 77|キリストを信じた死刑囚、竹内敏彦
ーキリストを信じた死刑囚、竹内敏彦ー

「半田保険金殺人事件」

 長谷川敏彦(旧姓竹内)は、愛知県と京都府で生命保険をかけた知人三人を殺害し、死刑判決を受けた死刑囚です。以下、竹内という旧姓を用います。
竹内は、1950年愛知県知多市に姉3人、兄3人という7人兄弟の末っ子として生まれました。1973年に結婚し、翌年長男、1976年に長女が生まれています。彼は、「竹内自動車板金」という会社を始めましたが、次第に借金がかさむようになり、人を殺して保険金をだまし取ろうと計画しました。最初の殺人は、社員であった井田正道と共謀して、やはり社員であった吉川という独身の男性を殺害したことです。二番目の殺人は、やはり井田と共謀し、運転手の野原秀雄を殺害し、保険金2000万円をだまし取ったことでした。第三の殺人は井田と共謀し、竹内を何度となく恐喝していた暴力団組員の木下を殺害したことです。

「聖書に触れる」

竹内がクリスチャンになるきっかけとなったのは、竹内の国選弁護人青木栄一の存在です。彼は愛知県警本部の留置所にいた竹内に新約聖書を差し入れています。竹内は聖書を読み始めるようになりますが、理解できないところが多く、特に、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」という聖句に反発します。彼は、自分を脅迫していた暴力団員を憎んでいたからです。彼はとうとう聖書を読むのをやめてしまいます。

「激しい罪責感」

竹内は、名古屋拘置所の独房に移されて、自分の犯行に対する罪悪感に襲われます。大塚は、彼の罪責感について、『死刑』の中で、「棘は、一時も敏彦の心を離れることはない。一番深い眠りのなかでさえ敏彦をさいなみ続ける。ある時は夢になって現れ、敏彦は汗をびっしょりかいて、自分のうめき声に眠りを破られることもある。誰にも話せない。棘の苦しみ。その苦しみを背負って日々を生きているのだ。それには終わりが来ない。」(56頁)と書き記しています。それは、この世の地獄でした。

「青木弁護士のことば」

彼が苦しんでいる時、青木弁護士が訪ねてきて語った言葉が、竹内の心を揺り動かし、イエスを信じるきっかけになります。
「敏彦君 あなたはいま失望していますね、自分の犯した罪をどんなことをしても償いきれるものではないと思っているんでしょう。私たちの、罪を犯し、償いきれないと泣く罪人を救うために、罪のない神の子のイエス様は十字架にかかって、私たちの身代わりとなって天に召され、神様にお詫びしてくださったのです。私たちを罪と永遠の死から救うために贖ってくれたのです。主イエスの身代わりの死は、あなたのものであり、私たちのものです。心から悔い改めて、主イエスを信じて希望を持って下さい。すべての重荷を持って十字架の下に立つのです。罪ある者を救うために生命を捧げた場所。絶対的な愛の血潮が流され、新しい生命が噴き出るところ、そこがあなたも私も、すべての人が立つ唯一の場所なのです。あなたのような大きな罪を犯した人間であっても、そこに立てば自分がいかに尊い者かを知り、人生が変えられるのです。神様が御子を捨てられたように、汚れて哀れなものを愛してくれるのです。十字架の下に立つべきです 。」(77頁)
 この言葉を聞き、竹内は、主イエスの愛に心砕かれ、イエス・キリストを信じるようになり、1984年に信仰告白をし、1985年8月3日に拘置所内でバプテスマを受けました。そして彼は、次のように信仰告白の祈りをしています。

「信仰告白の祈り」

「主イエスの尊い十字架の贖いは、真に愚かで弱い、また誰よりも罪深い私の身代わりであって、その代価によって罪より救いを与えてくださったことを心から信じます。そして過去の一切を神さまの御前に告白し、悔い改めて信仰の核心が与えられたわたしは、ただイエスを信じることによって神の子とされ、その恩寵の中に生かされるこの恵みと喜びに満たされました。そしてこれまで憎み続けてきたやくざ者を主イエスの救いと赦しを確信したことによって、率直な気持ちで赦すことができました。」(79頁)

「三浦綾子さんの手紙」

竹内の回心のあかしが『キリスト教新聞』でに掲載されると、彼はそれを読んだ多くのクリスチャンからの手紙を受け取りました。その中の作家の三浦綾子さんの手紙には、祝福と励ましの心が込められていました。
「受洗おめでとうございました。主にある兄弟姉妹が増え嬉しくおもっています。どのような状況にありましても、主は信じる者と共にいてくださいます。希望を持って終わりの日まで、平安の日々をお過ごしくださいませ。祈りは大きな仕事です。」

「姉と息子の自殺」

竹内は、一審の名古屋地裁判決で、1985年12月5日、死刑を宣告されます。そして第二審の1987年3月の名古屋高裁の判決も死刑判決でした。
 それ以上に、竹内にとって最も衝撃を受けたのが、1987年3月、控訴審の前に母とも慕っていた二番目の姉が自殺したことでした。それを聞き、竹内は慟哭し、「自分は生きていてはいけない存在なんだ!」と苦しみ、「神さま、私を憐れんでください」と叫びます。彼は拘置所の独房で、償いの日々を送り、特に被害者の遺族の人々、離縁した妻や二人の子供達、自分の家族や兄や姉たちのために祈らざるを得ませんでした。しかし、追い討ちをかけるように、竹内は、1990年7月25日に、息子が車の中で自殺したという報せを聞きます。この時彼は絶望感に襲われ、大事な息子をなくした離縁した妻とたった一人の兄を亡くした娘の悲しみを思う時、慟哭せざるを得ませんでした。彼は自分の犯した犯罪によって、被害者家族の苦しみだけではなく、自分の家族の苦しみも一生背負い、償っていかなければなりませんでした。

「イエスを信じたことの喜び」

そうした苦しみの中で、彼を支えたのは、イエス・キリストに対する信仰でした。大塚は、竹内の心境について、次のように書いています。

 「イエス・キリストを信じるようになって以来、彼は本当に生まれ変わったという気持ちで過ご している。心になんとも表現し難い大きな喜びが湧いてきた。恐ろしいと思っていた死刑も、 自分を救ってくれたイエスのいる天国へ行けるのだと思うと、まだ見ぬ刑場も、死刑台も、少 しも恐ろしいものではなかった。むしろ、天国へ行くための、踏み切り台だとさえ思えてくる 。泡立つ心も静まり、今は平安である。」(121頁)

 彼の苦しみや絶望的な思い、また自殺衝動を抑えていたのは、イエスによって救われた喜びでした。この希望がなければ、彼は罪責感の重荷に圧倒されて、自ら命を断っていたかもしれません。

「死刑執行」

 竹内は、1993年9月21日に最高裁判所の上告棄却の判決が出て、死刑が確定していましたが、2001年12月27日に名古屋拘置所で死刑が執行されました。享年51歳でした。

「聖書のことば」

「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、私は罪人のかしらです。」(1テモテ1:15)

参考文献 大塚公子『死刑』(角川書店、1998年)

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