聖書メッセージ74|玉木愛子(1887〜1969) と聖書
聖書メッセージ74 玉木愛子(1887〜1969)と聖書
ーハンセン病と共にー
「玉木愛子のプロフィール」
玉木愛子は、1887年に大阪の米屋に生まれます。商売は繁盛していたので、恵まれた生活を送り、知的で活発な子でしたが、少女の頃、らい病菌に感染し、不幸のどん底に突き落とされます。14歳の時に女学校を退学し、人目を忍んで離座敷を自分の居間とします。だんだん不自由となっていく体を鏡で見て、幾度となく死を考えます。
玉木愛子は、自叙伝『この命ある限り』において、以下のように述べています。
「 少女のうちに両手の自由を失い、昭和4 年に右足を切断し、同じく12年には失明し
て、ついに全身の知覚を奪われ、まったく一塊の置きもののように、床の上に座っ
ている私などです。立って歩けなくなりましてから切断までの歳月をあわせると、
座臥の生活がもう34、5年にもなりましょうか。」
今でこそ、ハンセン病は遺伝病ではなく、感染力が弱い伝染病と理解されていますが、当時らい病と言われていた病は、遺伝病であると理解されていたので、この病気にかかっていることが知られると、家族や親戚にも大変な迷惑をかけてしまいます。そこで、早く、戸籍を消して、身を隠さなければ、弟や妹まで不幸の道ずれにしてしまう危険性がありました。
「熊本の回春院へ」
玉木愛子は、イギリスの宣教師ハンナ・リーデル(1855〜1932)が創設し、三宅俊輔が院長を務める熊本の回春病院へ、逃れ場を求めて行きます。ここでは、祈りがなされ、聖書が読まれ、賛美歌が歌われていて、彼女にとっては地上の天国のように思われました。この回春病院の事業経営には、渋沢栄一も資金援助していたと言われています。
彼女は、以前いとこから聖書をもらったこともあり、その中の「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。私があなた方を休ませてあげます。(マタイ11:28)というイエスのことばに感銘を受けていました。彼女はここで、当時36歳だったl さんと出会い、大いに励まされて、信仰を求めるようになります。彼女は、I さんについて、「しっかりした十字架と復活の恵みとよろこびが満ち溢れ、吾もなく世もなく、ただ神さまのふところにあって召される日を待っている光そのもののような心なのでした。」と述べています。回春病院では、朝夕の礼拝、聖書の話、祈りが行われていましたが、彼女は入所して1年半後、1917年6月に洗礼を受けます。
彼女は、「傷んだ体でかく平安な日々をすごしえますのも、十字架の恵みと復活のよろこび、また再び来ます主を待ち望んでいるからです。」と証言しています。
「岡山の愛生園へ」
1934年彼女は岡山にある国立ハンセン病療養所の愛生園に移ります。1936年左眼の摘出手術を行い、翌年また右眼が見えなくなります。愛子は、「この大きな試練は、四肢の不能よりも顔面の遅緩よりも、もっと恐ろしい、癩者の受くべき最後の艱難なのでした」と言っています。こうした試練の中で、彼女は、次の聖書のことばによって慰められます。
「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実
な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むし
ろ、耐えられるように、試練と共に脱出の道を備えていてくださいます。」
(1コリントの手紙10:13)
しかし、身体が麻痺し、両眼が失明する時の「脱出の道」とは一体何でしょうか。それは、彼女にとって主の憐れみといつくしみでした。主がともにいてくださることが彼女にとって「脱出の道」だったのです。
「愛生園での結婚」
玉木は、愛生園で同じキリストを信じているMさんと結婚します。回春病院では結婚は許されていませんでしたが、愛生園では、互いが助け会うために結婚が奨励されていました。ただハンセン病は当時遺伝病として理解されていたので、結婚の時には、男性は輪精管切除による断種の手術を受けることが義務づけられ、女性が妊娠した場合は、妊娠中絶手術が行われました。当時の医学的な状況においては、玉木の決断は苦渋に満ちたものでしたが、彼女は結婚への道を選択しました。
ハンセン病患者の隔離政策を定めた「らい予防法」は1996年に廃止され、また断種や妊娠中絶手術を強制された被害者による国家賠償訴訟が初めて2019年に認められました。
「玉木愛子の生涯」
玉木愛子の生涯は、ハンセン病の故に、社会の差別や偏見に晒され、親からも引き離されて苦難の連続でした。しかし、彼女は回春病院でキリストに会い、信仰を持ちました。それ以降の彼女の生涯は、自らの身体的苦しみや社会的差別、そして国のハンセン病対策に翻弄されつつも、キリストの十字架の愛と復活の命によって生かされた人生でした。彼女は1969年81歳で天に召されています。彼女の証の本『この命ある限り』の最後は、ヨブ記の「主【神】は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ記1:21)で終わっています。この聖書の言葉の中に、玉城愛子の苦難の生涯の秘訣があります。
【参考書】
玉木愛子『この命ある限り』(日本図書センター、2000年)