聖書メッセージ62 |宮沢賢治(1896-1933)と聖書ー本当のしあわせとは

宮沢賢治(1896-1933)と聖書ー本当のしあわせとは

「永遠の求道者 宮沢賢治」

賢治は、「学者アラムハラドの見た着物」において、アラムハラドに次のように言わせています。そこには賢治の思いが投影されています。

「うん。さうだ。人はまことを求める。真理を求める。ほんとうの道を求めるのだ。人が道をもとめないでおられないことはちょうど鳥の飛ばないでいられないとおなじだ。おまえたちはよくおぼえなければいけない。人は善を愛し道を求めないでおられない。それが人の性質だ。」

ここでは、賢治が『銀河鉄道の夜』を通して追求した「本当のしあわせ」とは何かを考えてみたいと思います。

「宮沢賢治とキリスト教」

宮沢賢治は、有名な法華経信徒、つまり日蓮宗の信者であると言われています。と同時に彼は、聖書にも大きな影響を受けました。彼は、盛岡高等学校時代、教会の聖書研究会に参加していました。また賢治は、内村鑑三の弟子で花巻在住の斎藤宗次郎(1877-1968)や照井真臣乳(まみじ)という無教会のクリスチャンと親しい関係にありました。「雨にも負けず」のモデルは、花巻で新聞配達をしていた斎藤宗次郎と言われています。斎藤は、新聞雑誌取次店を経営しており、度々花巻農学校の教師をしていた賢治を訪ね、内村鑑三について話をしています。また斎藤茂二郎の花巻の無教会には、よく内村鑑三が訪問しています。賢治自身も、『聖書之研究』を読んでおり、文語訳の聖書や英訳聖書(AmericanStandard Version)を愛読していました。したがって、宮沢は聖書については相当の知識を持っていたと思われます。賢治の弟の宮澤清六は、『兄のトランク』中で、以下のように述べています。

「若いころの賢治の思想に強い影響を与えたものに基督教の精神があったことが最近重要視されるようになってきた。——賢治の幼年時代には、内村鑑三の二人の高弟が花巻に居られたのであった。その一人の高潔な教育者の照井真信乳に賢治は小学校二年生には教えられている。また内村鑑三全集の編集に精魂を傾けた斎藤宗次郎と賢治の父は並々ならぬ昵懇の間柄であり、賢治も常に同氏を尊敬して居た。しかも私共のすぐ後ろには日本救世軍の母と呼ばれた山室軍平夫人,機恵子が居られた。若い賢治が当然この立派な基督教の実践者たちの思想と行動に影響されない筈はなかったと思われる。そしてその精神が、後年の賢治の作品の奥底に流れていることが首肯されるのである。」(宮澤清六『兄のトランク』)

賢治の作品の奥底に流れているキリスト教の精神が最も良く表されているのが今日取り挙げる 『銀河鉄道の夜』です。以下、聖書的視点から、この書物の意味するところを考えます。

「銀河鉄道の夜と聖書」

『銀河鉄道の夜』は、1924年に初稿が作られて後に推敲が重ねられ、1931年に第4稿が作られて、賢治の死後に出版されました。賢治は天文学に造詣が深かったため、その知識が『銀河鉄道の夜』にも生かされています。

この書物には、「十字架」という言葉が14回、「賛美歌」(306番)が2回、「ハルレヤ」(ハレルヤで主をほめたたえよとの意味)が4回、「神様」が3回、バイブルが1回使われており、聖書の言葉を想起させるような表現が、随所に散りばめられています。
銀河鉄道の始発は、北十字架と呼ばれる白鳥座で、終着駅はケンタウルス座のそばにある南十字座で、途中、ふたご座、さそり座、ケンタウルス座を通ります。いわば十字架から十字架への銀河鉄道の旅で、「ほんとうの幸い」を求める旅です。もちろんこの旅は現実のものではなく、ジョバンニの夢の中 の出来事です。鉄道で旅をしているのはジョバンニとカムパネルラで、途中様々な人が乗り込み、2人の会話に参加します。ジョバンニは、賢治の分身といっても過言でありません。ジョバンニは、天上(天国)へ行く切符を持っています。それは特別な切符でした。乗り合せた鳥捕りは、ジョバン二の切符を見て 、「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこ じゃない。どこでも勝手に行ける通行券です。」と述べています。
銀河鉄道に途中一緒に乗りあわせた青年は、ガタガタと震えている6歳の子供の「タダシ」と12歳の「タダシ」の姉「かおる子」を励まして、「私たちは、もう、何にも悲しいことはないのです。私たちはこんないいところを旅して、じき神様の所にいきます」と言っています。この青年は、二人の家庭教師であり、また信仰の導き手でもありました。彼らにとってこの旅は、天国行きの旅でした。

「 賛美歌 306 番」

実は、銀河鉄道の旅に出てくる家庭教師の青年、かおる子そしてタダシは、1912年に起こったタイタニック号の沈没と共に海に沈み、一度は死んでしまい、この銀河鉄道に乗り合わせるという設定になっています。彼らは子供だったので優先的に救命ボートで助かることができたのですが、家庭教師の青年は、他の人々を助けるためにあえて死ぬことを選び取ります。第9章の「ジョバンニの切符」においてタイタニック号の船の沈没が描かれていますが、それは青年にとって腸が千切れるような経験でした。青年は回想します。

「いえ、氷山にぶつかって船が沈みましてね、——ところがボートは左舷の方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗りきれないのです。もうそのうちに船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せてくださいと頼みました。——それでもわたくしは、どうしてもこの方たちをお助けするのがわたしの義務だと思いましたから、前にいる子供たちを押しのけようとしました。けれどもまた、そんなふうにして助けてあげるよりこのままかみのお前にみんなでいくほうが、ほんとうにこのかたたちの幸福だとも思いました。—–どのうち船はもうずんずん沈みますから、私たちはかたまって、もうすっかり覚悟して、こも二人を抱いて、浮かべるだけは浮かぼうと船の沈むのを待っていました。」

タイタニック号の沈没の時に歌われた賛美歌が1931年版の賛美歌の306番で「主よ、みもとにちかづかん」です。この賛美歌は、イエス・キリストの招きによって、天上に召される人々の賛美歌です。

「主よみもとに近づかん
のぼるみちは十字架に
ありともなどかなしむべき
主よ、みもとにちかづかん」

ジョバンニもカムパレルラも、「主よ、みもとに近づかん」を一緒に歌い始めます。主とは、イエス・キリストのことです。

「神についての論争」

この銀河鉄道の旅、つまり「本当のこうふく」を探しての旅では、ジョバンニと乗り合わせた青年やかおる子との間で、神様についての論争があります。論争のきっかけは、天国の停車場の南十字座で降りようとする青年や女の子に対して、ジョバンニが「僕たちどこまでだって行ける切符持っているので」降りる必要がないといった時に、かおる子が「あたしたち、もうここで降りなければならないのよ、ここ天上へ行くとこなんだから」と反論する所から始まります。青年やかおる子にとっては天国に行くのが最終目的地ですが、ジョバンニにとってはそうではありません。ジョバンニとかおる子の会話を見てみましょう。

ジョバンニ 「天上へなんか行きたくなくたっていいじゃないか。ぼくたちで天上よりももっといいとことろをこさえなければいけないって僕の先生が言ってたよ。」

かおる子 「だって、おっかさんも行ってらっしゃるし、それに神さまがおっしゃるんだわ。」

ジョバンニ 「そんな神さま、うその神さまだい。」

かおる子 「あなたの神さまうその神さまよ。」

ジョバンニにとって、天国よりこの地上に理想の国を築くことを命じるのがまことの神様であったのに対して、青年やかおる子にとって、天国にイエスによって迎えられる事が最大のよろこびでした。
もちろん賢治の分身であるジョバンニが「主よみもとに近づかん」と心から歌ったように、賢治も天国に対する憧れがありました。賢治は愛する妹が1922年に死んだことを嘆き、痛み、有名な詩「永訣の朝」(1924年に自費出版された『春と修羅』に所収)に、「きょうのうちに遠くへ行ってしまうわたしのいもうとよ」と歌う別離の悲しみはありましたが、天国でお母さんと再会できるというかおる子の希望はありませんでした。ただ「おまえはじぶんにさだめられたみちを ひとりさびしく往かうとするか」というばかりなのです。それと比べると、『銀河鉄道の夜』における天国は、祝福に満ちたものとして描かれています。
銀河鉄道が南十字座の終着駅に近ずいた時、ジョバンニは、十字架が輝いているのを見ます。そして「ハレルヤ、ハレルヤ」と歌い、ラッパの声が聞こえてきます。そしてそこにイエスと思われる人が現れます。

「見ているとみんなは、つつましく列を組んで、あの十字架の前の天の川のなぎさにひざまずいていました。そしてその見えない天の川の水をわたって、ひとりの神々しい白いきものの人が手をのばしてこっちへ来るのを二人は見ました。」

聖書では、まさしくこの白い衣の人は、イエス・キリストです。

「ほんとうの幸い」

ところで、ジョバンニやカムパネルラ、そして宮沢賢治が探している「本当のさいわい」とは、一体何でしょうか。銀河鉄道は、本当のさいわいを求めての旅でした。それに対するジョバンニの答えは、自分のこうふくを求めることではなく、みんなのこうふくを求め、そのために自分を犠牲にするというものです。そのことを象徴的に示しているのが、さそり座のアンタシウスです。

「さそり座のアンタシウス」

さそりというと、誰しも怖いイメージがあります。さそりに刺されたら、毒が回って死んでしまうのではという恐怖が走ります。しかし宮沢賢治は、このさそりを人間の本当のさいわいの象徴として描き出しています。『銀河鉄道の夜』では、さそりが天敵であるイタチに見つかって食べられそうになり、井戸に落ちた時に、悔い改めの祈りをする話が披露されています。

「ああ、私は今までいくつのもの命をとったかわからない。そしてその私がこんどイタチにとられようとした時は、あんなに一生懸命逃げた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああ、なんにもあてにならない。どうしてわたしは、わたしのからだを、だまってイタチにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日 いきのびたろうに。どうか、神さま。私のこころをごらんください。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸いのためにわたしのからだをおつかいくださいって言ったというの。そしたらいつかそさりはじぶんのからだが、まっかな美しい火になって燃えて、よるのやみを照らしているのを見たって。いつまでも燃えてるって、おとうさんおっしゃてたわ。ほんとうにあの火、それだわ。」
ジョバンニとカムパネルラは、「本当のさいわい」についての会話を続け、ジョバンニはカムパレルラに「僕はもう、あのサソリのように、ほんとうにみんなの幸いのためならば、僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまわない」と言い、カムパレラも「うん、僕だってそうだ。」と応じますが、ジョバンニは「けれども本当のさいさいはいったい何だろう」と問い、カムパレラも 「僕、わからない」と応じているのです。そして、ジョバンニは、「きっと、みんなの ほんとうのさいわいを探しに行く。どこまでもどこまでもぼくたち一緒に進んででいこう。」と語るのです。
不思議なことは、この会話に見られるように、さそりのようにみんなのために犠牲になることがしあわせと言いつつも、まだジョバンニとカムパネルラは、「本当のさいわい」を探しに行くと言っています。そしてカムパネルラはいつのまにか鉄道の車内から消えてしまいます。そしてジョバンニは夢が覚めて、今度は現実の生活の中で、「ほんとうの幸福」を探すことを決意します。

「ああ、マジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、ぼくのおっかさんのために、カムパレラのために、みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ。——-さあ切符をしっかりもっておいで。おまえはもう夢の鉄道のなかでなしに、ほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぎに歩いていかなければならない。天の川のなかでたった一つのほんとうのその切符を決してお前はなくしてはいけない。」
それでは本当のさいわいとは何でしょうか。それは答えのない、永遠に問い続けていくものでしょうか。
『銀河鉄道の夜』では、本当の幸福が何であるか、断言されていません。アラムハルドが言うように、永遠に追求していく問題であるかもしれません。しかし、そこには、本当の幸福についてのジョバンニの一定の理解が示されています。第一点は、自分の幸福ではなく、カンパネラや母親と言った特別に親しい人の幸福、いやそれだけではなく皆の幸福を求めることです。第二点は、あのサソリの告白のように自分が犠牲になることも厭わないという姿勢です。そして第三点は、その皆の幸福を、理想卿として地上に実現することです。彼の理想郷は、彼の作品ではイーハトーブという言葉で示されています。人々が互いに相手を第一に考えることから生まれる共同体です。しかしそのためには、「世界の火やはげしい波の中」という苦難を乗り越える必要があります。その彼の覚悟は、彼の有名な詩「雨にも負けず」に示されています。

「雨にも負けず」

他者の幸福のために犠牲を払って行動する姿勢は、賢治が死去する前の1931年11月2日に手帳に書きつけていた「雨にも負けず」にも示されています。この詩は、斎藤宗次郎をモデルとして書いたといわれています。

「雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケズ
—–中略——-
アラユルコトヲ
ジブンヲ カンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
——中略——–
東ニ病気ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタた母アレバ
行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイイトイヒ
北にケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツはオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ」

しかしこう書いた賢治は2年後に病に倒れて、理想郷を実現することはできませんでした。彼が、この地上で理想社会を作ることは、夢物語だったのでしょうか。確かにそうだとも言えます。しかし人間の下からの絶え間ない努力によって理想社会を築くのではない、別の方法があることに賢治は思いを馳せていたのかもしれません。その方法こそ、キリスト再臨の思想です。

「キリスト再臨の詩」

丁度、賢治が『銀河鉄道の夜』を推敲している時に、賢治は1927年4月26日、30才の時、「基督再臨」という詩を書いています。この詩には内村鑑三の再臨運動の影響があったと考えられます。このキリストは、「白い衣の人」です。

「風が吹いて
日が暮れかかり
麦のうねがみな
うるんで見えること
石河原の大小の鍬(くわ)
まっしろに発火しだした
また労(つか)れて死ぬる支那の苦力(クーリー)や
働いたために子を生み悩む農婦たち
また、、、、 の人たちが
みなうつつとも夢ともわかぬなかに云う
おまへらは、
わたしの名を知らぬのか
わたしはエス
おまへらに
ふたたび
あらわれることをば約したる
神のひとり子イエスである。」

なぜ賢治は、再臨の詩を書いたのでしょうか。聖書は、キリストの再臨によって、人間が最終的に救済され、この地上に神の国が実現することを約束しています。

「その時、わたしは、王座から語りかける大きな声を聞いた。神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人とともにいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとく拭い去ってくださる。もはや死はなく、悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
(黙示録21:3〜4)

賢治が探していた本当のさいわいとは、聖書によれば、死もなく、悲しみもなく、嘆きもなく、神が共にいてくださることです。それはただキリストの再臨によってのみ可能となるものでした。

「賢治とイエス・キリスト」

最後に、聖書で示されているイエス・キリストについて賢治はどのような思いを持っていたでしょうか。第一に、賢治は『銀河鉄道の夜』で天国に迎え入れるキリストを描きました。また「基督の再臨」において、涙し、苦しんでいる人々を救済するキリストの再臨を描きました。しかし賢治に決定的に欠如しているのは、イエス・キリストの十字架の犠牲による罪の赦しと永遠のいのちです。賢治が斎藤宗太郎を通して影響を受けた内村鑑の信仰には、自分の罪がキリストの十字架と復活によって赦されているという信仰がありました。同じく内村鑑三から影響を受けた詩人八木重吉(1898〜1927)にも十字架信仰が生き生きとしていました。その意味において、最後まで法華経信者として死んだ賢治には、贖罪信仰を見出すことができません。
しかし、私たちは、サソリが自分の身を焼いて、光となり、暗黒を照らしている姿に、イエス・キリストが十字架で示した愛の犠牲を覚える事ができるのではないでしょうか。

「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実結びます。」 (ヨハネ福音書12:24)

【参考文献】
宮沢賢治作『銀河鉄道の夜』(岩波文庫、2020年)
谷川哲三編『宮沢賢治詩集』(岩波文庫、2020年)
今野勉『宮沢賢治の真実ー修羅を生きた詩人』(新潮文庫、2017年)
門出義次・富永國比古『『銀河鉄道の夜と聖書』(キリスト新聞社、2005年)
山下聖美『NHK100 分で名著ー集中講義 宮沢賢治」(NHK出版、2020年)
宮沢清六『兄のトランク』(筑摩書房、1989年)

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