聖書メッセージ37 内村鑑三と聖書ーイエス・キリストの十字架の意味ー

聖書メッセージ37

内村鑑三と聖書

ーイエス・キリストの十字架の意味ー

『余はいかにしてキリスト信者になりしか』

内村鑑三(1861~1939)は、日本の近代史ではよく知られたクリスチャンです。しかし、いまだキリスト教に対する偏見が強く、耶蘇教といわれていた時代の中で彼はどのようにしてクリスチャンになったのでしょうか。また彼はどのように聖書を読んだのでしょうか。そもそもクリスチャンとはどのような人のことを言うのでしょうか。
この問いに答える参考になるのが、内村が1895年に出版した『余はいかにしてキリスト信者になりしか』(How I Became a Christian)です。日本語版や英語版意外にも、ドイツ語、フランス語など何カ国語にも翻訳され、アルベルト・シュヴァイツアー(1875-1965)も愛読した書物です。
内村は、1877年に札幌農学校(後に北海道大学に発展)に入学し、「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士(1826-1886)の信仰の感化を受けた一期生によって半分強制されて、「イエスを信じるものの契約」に署名して、クリスチャンになりました。

八百万の神から唯一神へ
このことは彼にとっては、革命ともいうべき大きな一身上の変化をもたらしました。なぜなら八百万の神を信じていた内村は、信仰深いだけに、身動きがとれない状態になっていましたが、神は唯一であることを知って、はれて自由の身となったのです。彼は、この人生における一大変化を、次のように述べています。
「 神が一つであり、多数でないことは、私の小さな魂にとり、文字通り、喜ばしきおとずれでした。もはや東西南北の方位にいる四方の神々に、毎朝長い祈りを捧げる必要はなくなりました。道を通り過ぎるたびに出会う神社に長い祈りを繰り返すことも、もういらなくなりました。唯一神信仰は、私を新しい人間にしました。それほど、神が一つという考えは、私に元気を与えてくれました。新しい信仰による精神の自由は、私の心身に健全な影響を及ぼしました。」

離婚とその後の苦悩
しかし、彼が真に救いの真理に触れ、回心したのは、米国に行き、アマースト大学の学生であった時でした。実は、1883年に浅田タケという女性と結婚しましたが、この結婚は半年も経たずに破局を迎え、内村は浅田と離縁します。彼は聖い神を知り、その神の前における自分醜い姿に悩むようになり、特にタケとの離別が機縁となって、自分の罪の問題と格闘するようになります。離婚の理由はタケの異性関係であったと言われ、内村は彼女のことを「羊の皮を着た狼」と言っています。しかし内村自身も深く苦悩するようになります。鈴木範久は著書『内村鑑三』(岩波新書、1984年)で、「愛欲のために目をくらませ、他をかえりみなかったこと、つまりキリストも日本も親も、共に打ち捨てた自己中心性が、鑑三の中に次第に深刻な罪意識を形成した。」(32頁)と書き記しています。

シーリー学長のことば
内村が、深刻な罪との戦いから、解放されて、初めて罪の赦しの確信を経験したのが、アマースト大学の学長シーリー(1824-1895)の言葉でした。彼は、次のシーリーの言葉によって、真の回心を経験したのです。
「内村、君は君のうちを見るからいけない。君は、君の外をみなければならない。なぜ自分を省みることをやめて、十字架の上に君の罪を贖い給いしイエスを仰ぎ見ないのか。」
内村は、このシーリー学長のことばを通して、自分の罪を神の子イエス・キリストがすべて負って、十字架の苦しみを受けてくださったこと、十字架のイエスを通して、自分に対する神の愛と罪の赦しが宣言されていることを、初めて知り、狂喜します。彼は自分の内を覗き込むのをやめて、十字架のキリストを仰ぎ見るようになります。彼は、この回心の出来事について、「余は、いかにしてキリスト信者となりしか」の中で、次のように書き記しています。
「私の生涯で重要な日。キリストの贖罪(しょくざい、罪の赦し)の力が、今日ほど明らかに現れた日はなかった。これまで 私の心を打ちのめしてきたあらゆる困難の解決は、神の子の十字架にある。今や私は神の子であり、わたしのなすべきつとめは、イエスを信じることである。」
彼がイエス・キリストの十字架の罪の赦しを信じた後、まわりのすべてのことが生き生きとしてよみがえってきました。彼は、日記に「小鳥、草花、太陽、大気—–なんと美しく、輝かしくかぐわしいことか!」と喜びを表現しています。

『求安録』
内村が、キリストの十字架の罪の赦しを知るまでの彼の苦悩は、彼の『求安録』(1893)に赤裸々に描かれています。この書物は、罪からの脱却を目指し、様々な試みをした後に、自分の罪のために十字架につけられ、三日目によみがえられたイエス・キリストを信じる信仰に至った尊い魂の軌跡です。この『求安録』の中に引用され、内村が生涯愛したイザヤ書53章のことばを最後に紹介したいと思います。そのことばは、内村のみならず、私たち一人一人に対する神の約束でもあります。旧約聖書の中でメシア預言と呼ばれているくだりです。
「 彼(イエス・キリスト)は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷にによって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分勝手な道に向かって行った。しかし主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」(イザヤ書53:4-5)

聖書でいう「救い」とは、生ける神から離れていた罪人が、イエス・キリストの十字架の贖いを信じて、神に立ち返ることを意味します。それは、人生における「コペルニクス的転回」なのです。

参考文献
鈴木範久『内村鑑三』(岩波新書、1984年)
若松英輔『内村鑑三ー悲しみの使徒』(岩波新書、2018年)

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