聖書メッセージ35 ダニエル・デフォーと聖書—『ロビンソン・クルーソー』と『ペスト』
聖書メッセージ35
ダニエル・デフォーと聖書
―『ロビンソン・クルーソー』と『ペスト』―
コロナ感染拡大の中で、よく読まれている小説がアルベール・カミュ(1913-1960年)の『ペスト』(1947年)とダニエル・デフォー(1660?1731年)の『ペスト』(1722年)です。カミュの『ペスト』は、194??年のアルジェリアのオランという都市のロックダウンですが、デフォーの『ペスト』は、1665年、ロンドンで起こったペストの感染拡大で、都市のロックダウンではなく、感染者の家屋のロックダウンを描いたものです。ここでは、デフォーの『ペスト』を取り上げ、聖書的視点から、現代のコロナ感染の中で不安と失望に生きる私たちにとって、参考となるものはないかを考えてみましょう。
デフォーは、1719年に『ロビンソン・クルーソー』を、その3年後の1722年に『ペスト』を発表しています。双方とも、人間の極限状況を描いた書物です。極限状況の中で、人はいかに行動するのか、人間性を失い、ひたすら自己保存を追求し、他者の存在を無視する行動に走るのか、それとも、そこでも内的な規律や他者への配慮を失わず、連帯して行動できるのかが問われています。デフォーにとって特徴的なことは、孤島での生活やペスト拡大という悲惨な状況を描くにもかかわらず、そこに神の御手と恩寵を見ていることです。闇の中に光を見、人間の苦難の只中における神の恩寵を見て、そこに目を注ぎ、神に信頼していることです。デフォーの基本的な人生を見る視座は、名著『ロビンソン・クルーソー』の中に見事に表されています。そこで『ペスト』に触れる前に、『ロビンソン・クルーソー』の重要なポイントに触れておきたいと思います。
貿易商で航海士であるロビンソン・クルーソーは、1659年に船が難破し、荒涼たる南米の孤島に漂着します。全ての乗組員が溺れて死んでしまい、一人だけ助かったクルーソーも野獣に食われるか、蛮人に殺されるか、餓死するかの死の危険性に晒されます。彼は孤島のなかで、一切の人間との関係を絶たれた孤独の中で、聖書に慰めを見出していきます。この聖書は、イギリスの彼の友人がクルーソーに黙って、彼の荷物の中に入れてくれていたものでした。厳しい環境の中でも、彼は聖書を通して、神の語りかけに耳を傾けるのです。
彼は、孤島に来る以前は、「神とか摂理について全く思い致さず、けもののように振舞ってきました」(85頁)。孤島で彼が最初に読んだ聖書の言葉は、「苦難の日にわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出し、あなたはわたしをあがめる。」(詩篇50:15)という言葉でした。 彼は、この聖書のことばに強い感銘を受け、聖書をむさぼり読むようになります。彼はその心境について、次のように書いています。
「朝、聖書を取り出し、まず新約聖書から本気で読み始め、毎朝毎晩、少しずつ読むという務めを自分に課しました。—-このことを本気ではじめてからまもなく、私は自分の過去の生活の罪深さを深く真実に心に感じるようになりました。—-その日聖書を読んでいて次の言葉に出会ったのです。『神はイエスを導き手とし、救い主として、悔改めと罪の赦しを与えたもう。』(使徒の働き5:31) 私は聖書を下に置き、両手と心を天に差し出すようにして、恍惚とした喜びのうちに声高く、『イエスよ、導き手にして救い主よ。我に悔い改めを与え給え!』と叫びました。」(92頁)聖書が語る「悔い改め」(ギリシャ語でメタノイア)は、「方向転換」という意味であり、過去の神なき自己中心的な人生から、180度転回して、イエス・キリストを救い主として信じて、創造主である神に帰ることです。また「救い主」とは、単に苦難からの救いではなく、人間の罪を負って十字架にかかり、身代わりとして神の裁きを受け、罪の赦しの道を開いてくださったお方という意味です。これ以降、クルーソーは、神に背を向けていた自分の人生を悔い改め、イエス・キリストを救い主として信じ、イエス・キリストの導きに信頼して、孤独の中でも大いなる慰めを持つようになります。
孤島における孤独なクルーソーを支えたのは、神の恩寵でした。彼は、孤島に閉じ込められた囚人として、時には涙しましたが、神の臨在と恩寵を覚えて、折に触れて、苦難の中で神に感謝しました。彼は、28年の孤島での生活を振り返って、「私の一人暮らしの中のすばらしい神の恵みの数々に心から感謝の気持ちを捧げました。—その恵みがなかったら私の一人暮らしは、計り知れないほど、もっとみじめなものになっていたでしょう。」(106頁)と告白しています。その秘訣は、聖書の「神はあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(ヨシュア記1:5)という言葉にありました。
苦難の中に神の恩寵を信じ、失望せず、積極的に生き抜くのが『ロビンソン・クルーソー』の一貫したモチーフですが、それは、『ペスト』にも共通して流れている通奏低音です。
『ペスト』は、1665年ロンドンで発生し、約8万の犠牲者を出した実際の歴史的事件をデフォーが史料を調査して、記録文学として、1772年に刊行したものです。デフォーは、当時5歳でしたが、後にジャーナリストの眼を持って事件を調査し、この悲劇を後世に伝えています。しかし、現実のリアリテイを見据えるデフォーは同時に、現実を超えて働く超越的な「神の現実」に目を注いでいました。移り変わるこの世の現実をリアルにを見据えつつも、それを「現実」を超えた「神の現実」から見ているのです。彼にとって神への信仰は単なるアクセサリーではなく、生活そのものでした。
『ペスト』の主人公は、馬具商のH.Fという人物ですが、デフォーの分身です。ですからデフー自身が語っているといっても過言ではないでしょう。彼は、ペストの感染拡大を阻止するために取られたロンドン市当局の対策–劇場の閉鎖、公共の場での宴会の禁止、午後9時以降の居酒屋などでの飲酒の禁止–を紹介し、その中で、特に感染者 の家屋のロックダウンが、感染を阻止するどころか、拡大するものと批判します。つまり、家屋のロックダウンは、家族で一人犠牲者が出れば他の家族にも感染して、犠牲者が続出するし、自分や家族が感染したことを知っている人々は、ロックダウンされる前に家を逃げ出すので、逆に市中にペストの感染が拡大していくというのです。デフォーは、ペストの犠牲になった人の阿鼻叫喚をこれでもかこれでもかというタッチで描いています。ロックダウンされている家屋を監視し、食料などを調達するのが監視員ですが、彼らは、絶えず感染の危険にさらされています。また家で死者が出れば、家族との別れもなく、死体埋葬人がやってきて、死体を墓地まで運び、投げ捨てるのです。その死体埋葬人さえも感染の危険性にさらされています。経済的に裕福な人はロンドンを脱出できますが、貧しい人のほとんどはロンドンから離れることができずに感染して死んでいったり、失業を余儀なくされます。貧しい人々が感染症の犠牲になる比率が高いことは今日でも同じです。ペストの感染が爆発し、周りの人々がバタバタと倒れていくのが日常化すると、親しい人が死んでも何も感じなくなる感情の鈍磨が生まれてきます。それはカミュが『ペスト』の中で、「絶望に慣れることは絶望そのものより悪いことだ」といわざるを得なかった状況なのです。
「ペスト」の主人公は、ロンドンでペストが拡大する中で、田舎に疎開するか、ロンドンに留まるかの二者択一を迫られます。多くの人がするように、田舎に逃げませんでした。彼は、神の導きを求めて、「主は私の避け所、私の砦、私が信頼する私の神」(詩篇91-2)という聖書の言葉を読み、神が必ず守られることを確信し、ロンドンに留まります。戦場で取材するジャーナリストが命がけで任務を果たすと同様、ペストという戦場に留まらなければ、後世にペストの記憶を伝えることはできないからです。
ところで、デフォーは、ペストの悲劇的現実を信仰の視点から、どのように見ていたのでしょうか。たしかにデフォーも、旧約聖書のエレミヤの預言を引用し、ペストを神の審判として受け止め、審判者である神に対して畏敬の念を持ち、神に「方向転換」することを強調します。彼は、ペストの記録を残す目的を、「非常時に際して、神に対する畏敬の念をはっきり持つためである」(493頁)と書いています。しかし、彼は同時に、悔い改めたものを暖かく受け入れ、慰め、励まし、死を越えた希望を与える神の恩寵を強調しました。それは、彼自身が経験したことで、単なる願望ではなく、現実でした。それだけに彼の書物には他者に対する共感が溢れています。彼は、「聖書に示されている神は、常に暖かくわれわれを招き、われに来たりて生命を得よと仰せられており、絶対に脅かしたり驚かせたりしてわれわれを退けようとはされなかったのです。—主の福音が平和の福音と呼ばれ、恩寵の福音と呼ばれていることを忘れてはなりません。」(319-20頁)と述べています。
確かに致死率の高いペストの流行という不条理の中で、ロンドン市民の中には、なぜ神はペストをもたらし、人間を悲惨に陥れたのかとして、神に対する不信仰に陥った人も少なからず存在しました。しかしデフォーによれば、死の不安と恐れの真只中で、この世の移りゆくものに対する執着から解き放たれ、生ける神を渇き求める人々の方が多かったのです。ペストという危険きわまる感染症のだだ中で、教会にたくさんの人が集まってきたことは驚きでした。教会は最も感染がひどかった期間を除いて、閉鎖せず、市民に開かれていました。彼は、「彼らは、熱心に教会にやってくるや、真剣そのもののごとき表情で説教を聞いている姿は、まったく驚くほどでした。」(474頁)と伝えています。
ロンドンで、1666年2月にペストの感染が収束した時、デフォーはそれを神の恩寵として受け止めました。ペストを生き延びた人の顔には、「最悪というべき時期に自分を守り続けてくれた、神の御手に対する心からの感謝の念が満ち溢れていました。」そして彼は、「災禍に見舞われたロンドン市民は、まさしく敬虔と呼ぶにふさわしいものであった。」(527頁)と記録しています。
確かに、ペストという悲劇の中で、人間のあさましい、利己的な姿も明らかになりました。しかし、デフォーは、この危機的な状況の中で、神の恩寵に支えられて、医者や聖職者、公務員、監視人、死体埋葬者を初め、多くの人がロンドンに踏み留まり、連帯して与えられた使命を果たし、ペストと戦ったことを記録しています。
「私は聖職者はもちろん、内科医、薬剤師、市当局者、あらゆる種類の役人、また
その他献身的に働いた人々の名誉のために、いかに彼らがその職務を果たすために
生命の危険をかえりみなかったかということを記録に残すべきだと考えています。
事実ロンドンに踏みとどまったこれらの人々のほとんどすべてが死力を尽くしてそ
の任務に当たったことは疑いを入れないことでした。そしてまた、これらあらゆる
方面の仕事にわたり、単に献身的に働くだけではなく、現にそのために命をすて
た犠牲者も相当に出ているのです。」(535頁)
『ペスト』の中でデフォーが約300年という時間軸を超えて、後世に伝えたかったメッセージは何でしょうか。それは、悲惨な現実の中にも神の恩寵は注がれているので決して失望してはならないこと、また人は、極限状況にあってこそ、真に神に渇き、神を求め、神と出会うことができるということ、そして神が与えた天職を極限状況においても全うしていくことの大事さではないでしょうか。
参考文献
『デフォーーロビンソン・クルーソー/ペスト』( 『世界の文学セレクション』36、中央公論社、1994年) 引用ページはこの書物から。
武田将明『100分で名著ーデフォー『ペストの記憶』(NHKテキスト2020年9月号)
大津集会では、コロナ感染拡大の中で、感染対策を強化しつつ、聖書から神の言葉を学んでいます。皆さんの来訪を心から歓迎いたします。