聖書メッセージ29「二人の死刑囚」

第29回「二人の死刑囚」

フランスの哲学者パスカル(1623-1662)は、『パンセ』の中で、人間は死刑囚のようなものであり、死刑囚が刑の執行を待っているように、人間もいつか確実に死ななければならないと指摘しています。違うとすれば、死刑囚にとっては死が現実で差し迫っているのに対して、人間は死に対して向き合おうとしないことです。したがって、死を待つ囚人の姿は、人間の真の姿を照らし出しているといっても過言ではありません。以下はパスカルの言葉です。

「ここに幾人の人が鎖に繋がれているのを想像しよう。みな死刑を宣告されている。その中の何人かが毎日他の人たちの目の前で殺されていく。残った者は、自分たちの運命もその仲間たちと同じであることを悟り、悲しみと絶望とのうちに顔を見合わせながら、自分の番が来るのを待っている。これは、人間の状態を描いた図なのである。」

こうした事態に、私たちいかに 向き合ったらいいでしょうか。ここで二人の死刑囚を紹介したいと思います。

一人目は、死刑囚でクリスチャンとなった石井藤吉(1871-1912)という人物です。彼が獄中で書いた懺悔録である『聖徒となれる悪徒』は、彼の処刑後、出版され、英語、ドイツ語、フランス語、中国語に訳され、全世界で読まれるようになりました。石井は、貧困な家庭に生まれ、19歳の時に窃盗事件で刑務所に入って以降、脱獄、強姦、殺人を繰り返し、1915年12月に逮捕され、死刑宣告を受け、1918年8月に死刑が執行されました。享年47歳でした。彼は、独房に収容された時に、恐ろしい恐怖に襲われるようになります。特に夜になると自分が犯した犯罪がフラシュバックして思い出され、恐ろしさに震え上がり、眠れない日々を過ごしていました。

そのような時に、石井のことを知った二人のカナダ人女宣教師のキャロライン・マグドナルド女史(1874-1931)とアニー・ウェスト女史が、1916年の正月に石井におせち料理を差し入れた後、刑務所を訪れ、聖書を読むことを勧めました。二人は、風の時も、雨の時も、欠かすことなく、交代で刑務所を訪問し続けたそうです。

石井は、最初は全く聖書に興味を示しませんでしたが、暇つぶしに宣教師が差し入れた聖書をルカの福音書から読み始めたそうです。読み進めていくうちに、十字架上で自分を十字架につける者たちの為にイエス・キリストが祈られた「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているかわからないのです。」(ルカ23:34)という言葉に心が釘ずけられました。この時、石井は、五寸釘が胸に差し込まれるほどのショックを受け、キリストの十字架の愛が大罪を犯した自分にも注がれていることを実感したのです。彼は、自分を殺す者に対して、このような祈りを捧げることができるのは、人間ではありえない、憎しみ、呪い、復讐するのが当然であるのに、「彼らを赦して下さい」と祈ることなど人間にはできない、このキリストこそ神の子であるに違いないと思ったそうです。そしてイエスのこの一言で、聖書の全てを信じることができたと書いています。

しかし、ここで彼は考え込んだそうです。強盗、強姦、そして度重なる殺人などの悪事を犯してきた者が、最後に神頼りになんて、虫が良すぎる、果たして自分のような罪人は本当に救われるだろうかと自問自答する日々でした。その時、ルカの福音書15章7節の「あなたがたに言いますが、それと同じように、一人の罪人が悔い改めるならば、悔い改める必要のない99人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです」という言葉に触れて、罪人である自分に注がれる神の赦しの愛を確信するに至りました。彼はイエス・キリストが十字架で血を流してまで、自分を贖い、罪を赦し、永遠の命を与えて下さったこと、地上の肉体は滅びても魂は天の都に凱旋することを心から感謝したのです。

それからの彼は、看守が驚くほどに変わり、牢獄で処刑されるまで、懺悔録を熱心に書き続けました。彼の心は、自分のような極悪人に与えられた罪の赦しと、キリストの驚くべき恵みを、一人でも多くの人に知らせたいという思いで一杯でした。彼の処刑の日、彼の愛唱歌「いさおなき我を」(賛美歌271番)が、おごそかに歌われました。それは、彼の心境そのものでした。

「いさおなき我を、血を持て贖い、イエス招きたもう、みもとにわれゆく。
罪とがの汚れ、洗うによしなし、イエス、きよめたもう、み許にわれゆく。」

死刑執行の時の彼の辞世の歌は、「名は汚し、この身は獄に果てるとも、心は清め今日は都へ」というものでした。彼が死ぬ時に残したものは、懺悔録と一銭銅貨一枚だけでした。キャロライン女史は、この懺悔録を後に『聖徒となれる悪徒』(1911年1月)として出版し、銅貨を鎖に通して、生涯これを首に掛けて、彼を追悼したそうです。

石井藤吉の救いには、宣教師、キャロライン・マクドナルドとアニー・ウエストの愛と犠牲があったことを忘れるわけにはいきません。
もう一人の死刑囚を、田島恵三著『天国への凱旋門ー死刑囚からの手紙』から紹介したい思います。この本が出版されたのは1997年なので、もう20年以上経過しています。この本は、死刑囚Sさんが、友人のクリスチャンである神保満氏の手紙をきっかけとして、クリスチャンになり、天国に凱旋していく記録です。神保さんとSさんは、満州時代の奉天(現、瀋陽)の小学校で同級生でした。二人は、日本の敗戦後、満州から日本に引き揚げてきます。神保さんは父親を病気で失いましたが、お母さんと妹さんは健在でした。他方Sさんは、シベリア抑留で父を失い、病気で母を失い、二人の弟と共に孤児になってしまいます。神保さんは、福岡の高校生の時、宣教師ミス、ハーダーのバイブル・クラスに出席して、信仰を持つようになります。他方Sさんは、帰国後、自暴自棄の状態に陥り、複数の強盗殺人の罪を犯し、福岡地裁と高裁で死刑判決を受けるに至ります。神保さんが、Sさんの事を知った時、何かS のためにしたいという思いはありましたが、なかなか行動に移せませんでした。その時、満州での困難、敗戦の混乱、引き揚げの苦難を経験したお母さんが、Sさんの事をかわいそうに思い,迷う彼に話しかけてきました。

「満さん、お母さんはね、あれからずっと気にかかっているの。いまごろあの人、何しているのでしょう。それにしてもあなた、本当にクリスチャン?」
「うん、まあね」
「だったら、どうしてSさんに何もしてあげないの?私がクリスチャンだったら、すぐにでも面会に行ってあげると思うんだけれど。聖書でも持っていってあげたら、きっと喜ぶんじゃないかしら。」(44-45頁)

神保さんは、お母さんを通して、神様が自分に強く語りかけておられると感じました。彼は、1951年11 月27日に、早速福岡拘置所にSさん訪ね、聖書を差し入れ、「君は、人間の法によって裁かれるんだ、この世のことだから、それはしかたがない。けれどももう一つ大事な法があるのだ。それは、『神の法』だ。もし君が本当に神を信じるなら、神はかならず、君を赦してくださるとおもうよ。」と語りました。また彼は、S さんが寒さに震えていることを知り、お母さんの助けを得て、ズボン一枚、セーター一枚、シャツ一枚、下着上下三揃いを風呂敷に包んで差し入れたのです。Sさんは、神保さんに数回ににわたり、金の無心もしましたが、神保さんは自分の食費や交通費を節約して送ったそうです。神保さんはSさんの救いのために心を砕き、生活に必要なものを提供するだけではありませんでした。神保さんのお母さんや妹さんもSさんに手紙を書いたり、刑務所を訪問するなど、実に家族ぐるみでSさんを支援していきました。S さんは最初は、聖書は読もうとせず、神保さんの物質的なものを当てにしていたのですが、同じ死刑囚ですでにクリスチャンとなっていたUさんとの出会いによって、Sさんの手紙の有難さに目覚め、真剣に聖書を読み、自分の罪を示され、イエス ・キリストを信じるようになります。U さんは、拘置所の中でカルバリ会を結成し、同じ死刑囚に福音を伝えていました。このカルバリ会で多くの死刑囚がイエスを信じようになり、リヴァイヴァルが起きていました。S さんは、信仰を持ってから、神保さんに次のように書き送っています。

「貴方の清い友情に目覚め、わが罪の大いなること、また神への不従順を知り、また信仰の道へ入り、神のみ国に入り得られるようになりましたことは、すべてあなたのお蔭と、常に感謝の祈りをささげています。残り少ない一日一日を聖書にて学んでいますと、何か大いなる希望に満ちてさえきます。」(81〜2頁)

またSさんは、1952年10月10日発行の「文書伝道誌」に「刑務所で信仰を学ぶ」と題して、次のように書き記しています。「法律ばかりの罪ではなく、我らの救い主への不従順という大いなる罪が、はっきりと痛感させられたのです。何と幸せだったことでしょう。すでに滅び行こうとしていた私は、その一歩手前で神様による愛の手を差し伸べられ、22年にして、今初めて社会より隔離されて、真の幸福の青い鳥をつかまえることができたのです。この幸福の大いなることと、かつまた永遠のいのちの喜びを神様よりたまわったことの感謝を日毎に祈りに捧げています。」(121頁)

彼の変わりように看守たちも驚き、事実上絶縁状態にあった弟も叔父叔母も監獄に彼を訪ねてきて、心満たされて、安心して帰っていくのです。そして神保さんから送られてくるお金も、もはや自分のためではなく、同じ囚人や山奥の療養所の患者さんたちを慰め励まし、キリストの愛を伝える手紙を書くために大切に用いるようになります。Sさんは、1952年4月21日に最高裁への上告を取り下げていましたが、約1年後の1953年3月27日に処刑が執行されました。その時のSの心境について教誨師の大野寛一郎牧師は、以下のように神保さんに書き送っています。

「今日10時、祈りを込めてくださるようにお願いした電信、お受け取りでしたか。10時半頃、S 君、実に立派な態度で主のみもとに行きました。恐怖の色、すこしもなく、極めて平静に、元気に賛美歌に和し、「貴君にどうぞよろしく伝えてく
ださるように」と頼んで、勇ましいというほどの態度で行きました。」(146頁)

死刑執行の時に歌われた賛美歌は、515番でした。

「『十字架の血にきよめぬれば、来よ』とのみ声を、われはきけり。
主よ、われはいまぞゆく、十字架の血にて、きよめたまえ。」

キリストが十字架で流された血潮こそ、Sさんの罪を洗い清めるものでした。死刑台のある拘置所が、キリストに救われてから、Sさんにとっては、天国の凱旋門となったのです。最後に、聖書から一人の死刑囚について考えたいと思います。この死刑囚の名前は不明です。イエス・キリストが十字架につけられた時、右と左に犯罪人が十字架につけられていました。一人の犯罪人は、最後までイエス・キリストを呪い、中傷して、処刑されていきましたが、もう一人の犯罪人は、人生の最後の瞬間に、自らの罪を悔い改め、イエス・キリストを信じ、天国に凱旋していきました。犯罪人が、「イエス様、あなたが御国に入られる時には、私を思い出してください。」とお願いした時に、イエスは、彼に、「あなたに言います。あなたは、今日、私と共にパラダイス(天国) にいます。」(ルカの福音書23章42-43節)と約束されたのです。

人生の大逆転の瞬間でした。私たちは、この逆転人生を死まで待つのではなく、今でも経験することができます。大津集会では、人間はどこから来てどこに行くのか、死を超えた希望について聖書から学んでいます。皆様も、一緒に聖書を開いてみられませんか。来訪を歓迎いたします。

文責 古賀敬太

参考文献
石井藤吉『聖徒となれる悪徒』(1919年)
田島恵三『天国への凱旋門ー死刑囚からの手紙』(教文館、1997年)
M・プラング『東京の白い天使』(鳥海百合子訳、教文館、1998年)

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