第40回 教会(church,èκκλησία,エクレシア)

第40回 最終回 教会(church,èκκλησία,エクレシア)

「エクレシアの意味」

教会はギリシャ語でèκκλησία,(エクレシア)と言いますが、ex(外へ)+kaleō(呼び出す)で構成されていて、外に呼び出されたものという意味です。それは、建物や組織を指すものではありません。それは、神によって呼び出されたクリスチャンの集まり(assembly)という意味です。「エクレシア」はイエス・キりストにある神の召命によって一つとされた集会、ないし信者全体を表現しています。本来的にエクレシアは、教えがなされている教会という意味ではありません。ちなみに古典ギリシャ語において「エクレシア」は、B.C.5世紀以降のアテナイで、市民の集まりである民会の意味で使われていました。

「エクレシアという言葉の使用事例」

新約聖書では、エクレシアという言葉は、116回使用されています。主に書簡において使用されていますが、福音書で最初に使用された事例は、イエスが「私はこの岩の上に、私の教会(エクレシア)を建てます。」(マタイの福音書16:18)と言われた時です。教会を建てるお方はイエス・キリスト、教会の土台は、イエス・キリストに対する信仰告白、そして教会の所有者はイエス・キリストです。

「二種類の教会」

聖書で言う教会には二種類あります。一つは、目に見えない、また過去、現在、未来を包含するクリスチャンの集まりである普遍的教会です。そこには、教派の区別はありません。教派を超えた新生したクリスチャンすべての集まりです。
もう一つは、目に見える地域教会であり、コリントの教会、テサロニケの教会、エペソの教会といった具合です。天上において存在するのは一つの教会ですが、この地上においては、様々な教派の教会があります。クリスチャンはたとえこの世において教派の違いによって隔てられているとしても、天上においては、キリストに在って一つであるという真理を覚えることによって、互いに排他的になることから守られます。地域教会においてクリスチャンは礼拝のために集まり、賜物を用いて奉仕し、神の教会を建て上げる役割を果たします。

「教会のたとえーからだ、建物、家族、花嫁、神殿」

私たちは、神の教会の特色を具体的に知るために、聖書において教会が何に例えられているかを知る必要があります。ここでは、5つのたとえを紹介します。
第一に、教会は人間のからだ(σωμα、ソーマ)にたとえられています。教会のかしらはイエス・キリストです。またキリストのからだの各器官を構成しているのはクリスチャンです。そこには一体性と多様性が現わされています。聖書では、「キリストによってからだ全体は、あらゆるふしぶしを支えとして組み合わされ、つなぎあわされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛の内に建てられることになります。」(エペソ人への手紙4:16)と記しています。
第二に、教会は建物(οἰκοδομὴ,オイコドメ~)にたとえられています。第一コリント3章9節でパウロは、「わたしたちは神のために働く同労者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。」と書き記しています。そしてこの建物の土台はイエス・キリストです。そしてこの土台の上にクリスチャンが生ける石として築き上げられていきます。ペテロはこのことについて、「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して捧げる、聖なる祭司となりなさい。」(Ⅰペテロ2:4~5)と記しています。

第三に、教会は家族にたとえられています。エペソ2:19節には「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族(οίκείουϛ、オイケイオス)なのです」と記されてあります。家族であるがゆえにクリスチャンは、互いに兄弟姉妹と呼びます。それは、血縁で結び合わされた関係ではなく、信仰によって結び合わされたキリストにある家族で、排他的な血縁関係を打ち破る広がりを持っています。

第四に教会は、花嫁に例えられています。エペソ書5:25節には、「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身を捧げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」と記されてあります。キリストと教会の関係が、花婿と花嫁との関係で表現されてあります。黙示録19章7節の「子羊の婚姻」においては、花婿であるイエスと花嫁である教会の婚宴が描かれています。
「私たちは、喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚姻の時が来て、花嫁(γυνὴ、ギュネー)は用意ができたのだから。花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。」
現在クリスチャンはイエス・キリストと婚約したものと記されています。花婿との婚姻の時を待ち望みつつ、キリストに似せられて、キリストにふさわしいものにされていくのがこの婚約時代です。パウロは、「私はあなたがたを清純な処女として、一人の夫キリストにささげられるために婚約させたのです。」(Ⅱコリント11;2)と書き記しています。

第五は、教会は、神の宮(ναοϛ Θεοῦ、ナオス・テオウ)つまり神殿です。そこには、イエス・キリストの臨在、そして三位一体の神である聖霊の支配と導きが強調されています。Ⅰコリント3:16節には、「あなたがたは自分は神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられるのを知らないのですか」と記されてあります。更には、エペソ人への手紙2:21~22節においては、「このキリストにあって、建物全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。あなたがたも、このキリストにあって、ともに築きあげられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」とあります。まさに教会は聖霊が支配されるところであり、単なる人間の集まりではありません。私たちは歴史的には、教会の誕生は、使徒の働きの第二章のペンテコステ(聖霊降臨)によるものであることを知ると同時に、現在、聖霊の働きのない教会はもはや本来の意味における教会ではないことを教えられるのです。

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