第39回 賜物(gift,charisma,χάρισμα,カリスマ)

第39回 賜物(gift,charisma,χάρισμα,カリスマ)

 日本ではよくカリスマという言葉が用いられています。カリスマ経営者、カリスマ美容師、カリスマ講師、カリスマ的指導者という言葉が多用されていますが、一般の人が持っていない能力、決断力、影響力の大きさを表現しており、「大衆を引き付ける圧倒的な魅力や影響力をもっている人」と定義されます。実は、このカリスマというギリシャ語は、新約聖書に由来するもので、その用法は一般に使用されている意味内容とは異なっています。

「カリスマの意味」

 聖書でいうカリスマは神によって与えられた「賜物」、英語で言えばギフトにあたります。カリスマ(χάρισμα)は、神の恵み(χάριϛ)と関係があり、神によって与えられた恵みの賜物を意味します。それはあくまで神によって与えられたもので、人間が頑張って、努力して獲得していくものではありません。カリスマという言葉が間違って理解されると、人々が熱狂的・盲目的にカリスマ的人物に追従することにもなりかねません。それでは、新約聖書ではどのように用いられているかを見てみましょう。

「新約聖書の使用法」

 カリスマという言葉は新約聖書において全部で17回パウロの書簡において用いられています。ここでは、神が救いとして与えてくださる賜物と、教会を建て上げるために必要な賜物という二つの点について考えてみます。

「賜物(カリスマ)としての永遠のいのち」

 ローマ書6章23節には、イエス・キリストを信じることによって与えられる永遠のいのちが、賜物(カリスマ)として述べられています。

「罪の報酬は死です。しかし神の賜物(カリスマ)は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」

 ここで賜物が「報酬」(όϕώνια,オプソーニア)と対置されます。報酬とは、自分で働いて得た結果得る成果ですが、「賜物」は人間の功績によらず、ただ恵みによるものです。人間は罪を犯した結果として肉体的な死、そして神から切り離されるという霊的な死を自ら刈り取りますが、神は賜物としてイエスを救い主として信じる者に、死を克服する「永遠の命」を与えて下さいます。

「教会を建て上げるための奉仕の賜物」

 更に賜物は、キリストの教会(エクレシア)が建てあげられるために必要です。ローマ書12章4~8節には、教会がキリストのからだ(ゾーエ)に例えられており、からだには様々な器官があるように、教会には信者に様々な異なった賜物が与えられていることが記されてあります。そこでは、超自然的な賜物もありますが、多くは普通にみられる一般的な賜物です。

 「一つのからだには多くの器官があり、しかも、すべての器官が同じ働きをしてはいないように、大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人一人は互いに器官です。私たちは与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、勧める人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。」(ローマ書12:4~8)

 ここで列挙されている賜物の中で超自然的な賜物は、神から直接ことばを与えられるという狭義の意味での預言者ですが、それ以外は、普通にみられる賜物です。賜物の複数形は、χαρισματα(カリスマタ)です。聖書が完成されている今日、この狭義の意味における預言者は存在いたしません。ただ聖書の言葉を語ると言う意味での広義の意味での預言者は存在します。

 また各器官の様々な賜物の存在はキリストのからだなる教会が建て上げられ、キリストの栄光が現わされるためですので、賜物を自己実現の手段として、あるいは人の賞賛をえて、大きな影響力を行使するたまに行使することは、賜物の乱用であり、教会の秩序を破壊することになります。

「バークレーの言葉」

以上述べてきたカリスマの意味について聖書学者のウィリアム・バークレーは、次のように述べています。一般に日常言語として使われている用法と異なっていることが明白です。

 「私たちが報酬として得たもの、わたしたちのオプソーニアは死であり、わたしたちの持てるすべてはカリスマ、神の自由な賜物でありすべては神から来たのである。人生がいろどられるすべての恵み、すべての罪をおおう恵み、——私たちが教会にささげるあらゆる賜物——-これらは神が与え、行い給うたものであり、神のカリスマである、すべては神のものである。」(新約聖書のギリシャ語)

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