第30回 交わり(fellowship,κοινωνία、コイノニア)

第30回  交わり(fellowship,κοινωνία、コイノニア)

コイノニアというギリシャ語は、新約聖書で19回使用されており、ヨハネ第一の手紙で4回、パウロの手紙で13回、その他2回用いられています。この語は三つの文脈で使われています。

神とキリストとの垂直的な交わり

第一の文脈は、神とキリストとの垂直的な交わりです。例えば、「私たちの交わり(コイノニア)とは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。」(第一ヨハネ1:3)とあります。この交わりとは、信者とイエス・キリストとの人格的な交わりです。それは、特別に親しい一体性を示しています。一コリント1:9節においては、「神は真実です。その神に召されて、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わり(コイノニア)に入れられたのです。」とあります。
またキリストを信じ、従い、キリストの苦難を自分のものとして歩むとき、そこにキリストとの「交わり」があると言われています。例えば、「私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にも与って(コイノニア)、キリストの死と同じ状態になり—–」(ピリピ3;10)とあります。パウロはピリピのクリスチャンに、「キリストを信じることだけではなく、キリストのために苦しむこと」(ピりピ1;29)を勧めています。
更には、パンと杯に与る聖餐式(パン裂き集会)が象徴的にキリストとの交わりとみなされています。例えば、「私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかる(コイノニア)ことではありませんか、私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかる(コイノニア)ことではありませんか。」(Ⅰコリント10:16)とあります。

クリスチャン同士の交わり

第二の文脈においては、このキリストとの垂直的な交わりが横におけるクリスチャン同士の交わりに発展します。初代教会のクリスチャンは、「いつも使徒たちの教えを守り、交わり(コイノニア)を持ち、パンを裂き、祈りをしていた。」(使徒の働き2:42)と記されています。ここでの 「交わり」とは、互いに分かち合うことであり、現代の言葉で言えば「共存」ではなく、「共有」です。
この文脈の中で、「聖霊の交わり」という言葉が出てきます。これは聖霊の臨在や導きによる交わりであり、信者の交わりは、聖霊の働きによって可能となります。例えばパウロは、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりがあなたがらすべてとともにありますように。」(Ⅱコリント13:13)と祈っています。「聖霊の交わり」とは「聖霊による交わり」です。聖霊の働きによりクリスチャンは互いに交わりを持ち、一つとされていきます。例えば、パウロは、「ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。」(ピりピ2:1,2)と勧めています。交わりの極致は、聖霊の働きによって、心と思いが一つとされ、キリストを賛美・礼拝することにあります。

コイノニアは物質的な共有

第三に、コイノニアは物質的な共有を意味します。パウロは、エルサレムの貧しい聖徒のために、ピリピや他集会から集めた献金を送ることについて「交わり」という言葉を用いています。例えば、「マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムの聖徒たちの貧しい人たちのために、喜んで「援助」をすることにしたのです。」(ローマ書25:26、新改訳2017)とありますが「援助」にコイノニアというギリシャ語が使われています。困っている人々に手を差し伸べることは、「交わり」の行為であり、困難や苦しみを共にすることです。またパウロは、「聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかる」(第2コリント8;4)と書いていますが、この「あずかる」と訳されたギリシャ語がコイノニアです。

パートナーシップ

第四に「交わり」にはパートナーシップという意味がありますが、聖書はクリスチャンがパートナーとするにふさわしくない相手について記しています。特に結婚や会社の共同経営という密接な関係にある場合がそうです。例えば、「不信者と、つりあわないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関係があるでしょう。光と闇に何の交わり(コイノニア)があるでしょう。キリストベリアルに何の調和があるでしょう、信者と不信者が何を共有しているでしょう、」(第2コリント6;14~15)とあり、不信者と交わりをもつべきではないことが記されてあります。ここでの交わりとは、単に会話をしたり、一緒に行動することではなく、くびきをともにし、一体となることを意味しています。
以上コイノニアの意味を四つに限定して考えました。この言葉に様々な意味が込められていることがわかります。是非、神とキリストとの「交わり」(コイノニア)を求めてください。キリストはあなたとの「交わり」求めておられます。

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