聖書メッセージ75 ヨーゼフ・ハイドン(1733-1809)と聖書

「私のウィーン体験」

ハイドンは、オーストリア南部のローラという小さな村に生まれます。彼は八歳の頃ウィーンにやってきて、観光客がたくさん殺到するウィーンの顔である聖ステファン大聖堂でウィーン少年聖歌隊の一員として歌っていました。ウィーンは芸術の都として知られていましたが、私が1989年に語学留学をしていたドイツのシュヴェービッシュ・ハル(Schwãbisch Hall)から初めてウィーンを訪ねた時の経験は悲痛なものでした。というのも、ウィーン西駅に到着してから、駅構内にあるツーリスト・インフォメーションにホテルを紹介してもらうために並んでいた時、足元においていたバックを盗まれてしまったのです。そのバックにパスポートや貴重品を入れていたため、途方にくれてしまいました。駅近くの交番に行き、盗難証明書を交付してもらい、それを持って日本大使館に行き、二日後にパスポートを再発行してもらいました。所持品をすべて失ったため、日本大使館からお金を借りて、ドイツに帰りました。
このように私の最初の音楽の都ウィーン滞在は惨憺たるものでしたが、当時ウィーンで観光客を狙った盗難が多発していたので、そのことに対する自覚が十分でなかったことを反省しています。

 「ハイドンのエピソード」

ここでハイドンのエピソードを少し紹介したいと思います。ハイドンは敬虔なキリスト教徒の家に生まれ、母親に「神を畏れるように」育てられました。母親はハイドンが聖職者の道を歩むことを願いましたが、彼は母親の願いを斥けて、音楽家の道に進みます。けれども信仰を捨てたわけではありませんでした。彼は、音楽を通して神の栄光を褒めたたえようとしたのです。彼は信仰と音楽との関係について、「神のことを考えただけで、私の心は喜びで満たされ、音楽は糸巻きのようにめぐり出すのです。」と述べています。また彼は、作品を五線紙に記す時には、最初に「イエスの名によって」と書き、曲の終わりを「神に賛美を」、ないし「神に栄光あれ」という神を褒めたたえる言葉で締めくくりました。
ハイドンのオラトリオとして有名なのはなんといっても「天地創造」(Die Schöpfung)です。聖書を知らない人にも「天地創造」の物語は映画でよく知られていますし、バチカンに行き、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画の「天地創造」を見られた方も多いのではないでしょうか。
ところでなぜハイドンは「天地創造」を作曲しようとしたのでしょうか。彼が作曲にとりかかったのはなんと64歳の時でした。それは彼がイギリスに演奏旅行に行った時に、ヘンデルの「メサイア」を聞き、感動したことによるものです。実際「天地創造」を聞いていると「メサイア」を聞いているような印象にとらわれます。ハイドンは、「『天地創造』を作曲した時ほど敬虔な気持ちにあふれていたことはない。私はひざますき、この作品に力が与えられるように神に祈った。」と述懐しています。
ハイドンの「天地創造」は三部によって構成されています。第一部は、光の創造、大空の創造、地と海の生成、植物や星の創造を描いた創造の第一日から第四日まで、第二部は鳥、動物、人間が創造される第五日から第六日まで、第三部はアダムとエバの堕落以前のうるわしい夫婦関係が描かれています。ハイドンは、「天地創造」で、神の創造のみわざのすばらしさ、そしてアダムとエバの相互の信頼と愛を壮大なパノラマとして展開し、創造者である神を賛美したのです。

 「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」

「天地創造」には、人間の堕落や罪が入り込む余地はありません。とするならば、ハイドンは、人間の罪の現実や世界の混乱に目を閉じて、もはや存在しない「創造の世界」に逃避しようとしたのでしょうか。そうであれば、ウクライナ戦争によって多くの被害者や難民が発生して、悲惨な状況を呈している今日、また地球温暖化によって生態系が変化し、未曽有の異常気象に晒されている今日、私たちは「天地創造」をどのように聞いたらいいのでしょうか。単なる気晴らしとしてでしょうか。
この点に関して大事なことは、ハイドンが「天地創造」より十年前に「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」(Die Sieben letzten Wrote unseres Erlösers am Kreuze)を作曲していたことを忘れてはなりません。ここには人間の罪の現実が直視されており、人間の罪を負って十字架にかけられるイエスの苦悩と愛が鮮やかに示されています。

 「第一の言葉」

十字架上の第一の言葉は、イエスが自分を十字架につけようとするダヤ人やローマ兵に対して父なる神に対して祈られた執り成しの言葉で、「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(Vater,vergib Ihnen ,denn sie wissen nicht,was sie tun.,ルカ23;34)というものです。この言葉は今日の私たち一人一人に対するとりなしの祈りでもあります。

 「第二の言葉」

第二の言葉は、十字架上で処刑の間際、イエスを信じた犯罪人に対してイエスが語られた言葉です。「まことにあなたにつげます。あなたは、きょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(Wahrlich,Ich sage dir:heute wirst du mit mir im Paradise sein!ルカ23;43)悔い改めて、イエスを救い主として信じる人は、たとえ極悪犯罪人であっても、天国に行くことができることの実例です。そこには死を超えた希望があります。

 「第三の言葉」

第三の言葉は、イエスが母マリヤの世話をヨハネに託す思いを込めて、マリアと弟子ヨハネに対して語られた言葉です。イエスはヨハネを見て、マリヤに「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です。」(Weib,siehe hier:dein Sohn)と言われ、ヨハネには「御覧なさい。あなたの母です。」(Du siehe hier:deine Mutter)と言われました。(ヨハネ19;26-27)このイエスの言葉を聞いて、ヨハネはマリヤを家に引き取ります。イエスは十字架の死の間際においても、母マリヤの将来について考えておられたのです。

 「第四の言葉」

第四の言葉は、「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか。」(Mein Gott,mein Gott,warum hast du mich verlasse? マタイ27:46)という絶望的な叫びです。これはイエスが私たちの身代わりとして、父なる神から捨てられ、裁きをうけられた時の悲痛な叫びです。本当は私たちが発すべき言葉でした。

 「第五の言葉」

第五の言葉は、「私は渇く」(Mich dürstet,ヨハネ19;28)というものです。これは、旧約聖書の十字架の預言(詩篇69;21)が成就したことを示すものです。

「第六の言葉」

第六の言葉は、「完了した」(Es ist Vollbracht,ヨハネ19:30)というものであり、神の救いの計画が十字架において完成したことを意味します。神の救いの計画は、アダムとエバの堕落以来続けられてきましたが、時満ちてイエスの十字架の死により完成したのです。ギリシャ語では「テテレスタイ」という言葉が用いられていますが、これは神に対する一切の負債は完済されたことを意味します。

「第七の言葉」

最後の言葉は、「父よ、わが霊を御手に委ねます。」(Vater,in Deine Hãnde befehle ich meinen Geist,ルカ23:46)という言葉です。苦しみの中にありながら、父なる神に対する信頼に満ちた言葉です。そして三日後にイエスは墓を打ち破って復活されるのです。

「十字架から創造へ」

ハイドンは、十字架上におけるイエスの言葉をかみしめながら罪からの贖いをテーマとして作曲しました。大野恵正氏は、著書「聖書と音楽」の中で、「この作品にはキリストの十字架に沈潜して、神の子の苦難の深さと罪の赦しの愛に震えるハイドンの精神が漲っている」と述べています。ハイドンは、十字架から創造へと向かいました。これは、歴史的順序としては逆です。しかし罪に満ちた人間を救われる神の愛に接して、ハイドンは神の創造のみわざを賛美することができました。彼は罪の現実に背を向けたのではなく、キリストの十字架の恵みを知るが故に、神の創造のみわざを賛美せざるをえなかったのです。

 「ハイドンの死」

ハイドンは、死が間近に迫っている時に、「神様がお召しになる時を子供のように待つばかりです。」と友人に語り、1809年に天に召されました。彼が参加した最後の演奏会は、彼が作曲した「天地創造」でした。この演奏会が終わり、聴衆がハイドンに熱烈な拍手を送ると、ハイドンは両手を天に挙げて、「私ではなく、あそこから、天から、すべてがもたらされたのだ」と語ったそうです。
彼が天に召された1809年は、ウィーンがナポレオンによって占領されていた時でした。ナポレオンはハイドンの葬儀に最高位の将軍を出席させて、敬意を払ったと言います。ハイドンはこの祖国の敵にどのような思いを抱いていたでしょうか。政治的な変遷の只中において、また国家的な危機において、ハイドンの音楽は、神の愛の調べを響かせています。2023年の混迷する世界においてもそうなのです。

【参考書】

1 大野恵正『聖書と音楽』(新教出版社、2000年)
2 P.カヴァノー『大作曲家の信仰と音楽』(吉田幸弘訳、教文館、2000年)