アウグスチヌス(354〜430)と聖書ー『告白』

今日は、ラテン教父と呼ばれ、キリスト教の歴史の中で甚大な影響を及ぼしてきたアウグスチヌスが、どのようにしてイエス・キリストを信じたか、その魂の軌跡について、彼が397年から400年にかけて書いた『告白』(confessiones,全十三巻)を通して、見ていきたいと思います。この書には、神への悔い改めと神への賛美があふれています。

「アウグスチヌスのプロフィール」

アウグスチヌスは、354年、父パトリキヌスと母モニカの子供として、北アフリカのタガステ(現在のアルジェリアの都市) に生まれます。母は、敬虔なクリスチャン、父は異教徒で、神に対しては全く無関心でした。父親は、アウグスチヌスに立身出世を期待していましたが、モニカはアウグスチヌスが救われるように祈り続けていました。モニカが、ミラノの司教アンブロシウス(339〜397)にアウグスチヌスの事について相談した時に、アンブロシウスが、「涙の子が滅びるはずはない」と語ったことは有名な話です。
アウグスチヌスの生涯は、父のこの世的な野心、立身出世への期待と母の神への敬虔な心との間でに二つに引き裂かれた歩みでした。彼はカルタゴ で修辞学を学び、後にローマやミラノで修辞学の教師として名声を博するようになります。他方において、神を求める思いは、彼の心奥深くに絶えず存在し、この世的な成功にもかかわらず、彼には虚しさが絶えず付きまいました。実は、彼が、イエス・キリストを信じて、クリスチャンとなるのを妨げている二つの深刻なな問題がありました。一つは知的問題で、もう一つは道徳的問題でした。

「マニ教への入信と解放」

アウグスチヌスの疑問は、神が全能であれば、 なぜこの世界に悪や戦争はあるのかというものでした。ここから彼は373年に、善と悪、光と闇、精神と物質の二元論を説く異端のマニ教に入信します。後に彼は、「一者(神)から万物が流出し、また万物は一者の帰る」と説く新プラトン主義哲学を経由して、聖書の神に対する信仰に至ります。この問題は、これくらいにして、もう一つの深刻な問題に移りたいと思います。

「罪との格闘」

もう一つの問題は、性的な不品行でした。彼は、カルタゴ(現チュニジアの町)で修辞学を学んでいた時、放縦な生活を送り、放蕩に身を持ち崩し、女性と同棲し、子供も生まれています。彼は、神を知るにつけ、自分が性欲の奴隷であり、神に対して転倒した意思を持ち、本当に惨めな存在であることを痛感するようになります。彼は、『告白』の中で次のように述べています。

 
「敵【悪魔】は、私の意思の働きを抑え、それによって鎖をつくり、がんじがらめにしてしまいました。実際、転倒した意志から情欲が生じ、情欲に仕えているうちに習慣ができ、習慣に逆らわずいるうちにそれは必然となってしまったのです。これらのものは、いわば小さな輪のように互いにつながりあってーだから鎖と呼んだのですー私をとらえて、拘束してつらい奴隷の状態にしてしまいました。」(八ー五ー十)「転倒した意志」とは、神に反逆する意志です。

「イエス・キリストの贖い」

アウグスチヌスは、罪との激しい戦いの中で、アンブロシウスの説教を聞いたり、聖書を読んだりして、イエス・キリストの十字架の救いに目が開かれるようになります。イエス・キリストが、人間の罪を負って十字架にかかり、身代わりとして死なれたことによって、神に対して天文学的に膨れ上がった罪の債務証書が精算され、キリストにあって罪の赦しが約束されていることを彼は知るようになります。コロサイ書の言葉は、彼にとって、罪の赦しの保証でした。

 
「 ——神は、私たちのすべての罪を赦し、私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。」(コロサイ書2:13-14)

そして彼は、ひとり子イエス・キリストを犠牲にするほどまでに愛してくださった、神の圧倒的な愛に打たれるのです。彼は以下のように告白しています。

 
「善き父よ、あなたは何と深く愛してくださったことでしょう。ひとり子を惜しみたまわず、不義なる者の手に委ねられた。それは私たちのためでした。なんと深く愛してくださったことでしょう。ひとり子は、——十字架の死に至るまであなたに従われた。それも私たちのためでした。」(十ーー四三ー六九)

「アウグスチヌスの回心」

アウグスチヌスは、罪との戦いの中で、キリストの赦しの愛に触れますが、最終的に彼が放蕩生活から決別し、キリストに全面的に従う決断をしたのは、次のローマ人への手紙の一節を読んだことにありました。まさに、コペルニクス的転回です。

 
「夜はふけて、昼が近づきました。ですかた私たちは,闇のわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはなりません。」
(ローマ書13:22〜14)

「イエス・キリストを着なさい」という言葉は、キリストを信じ、キリストの義の衣を着て、新しい歩みをはじめなさいという勧めです。彼は、この箇所を読んだ時の感激を、「この節を読み終わった瞬間、いわば平安の光とでもいったものが、心の中に注ぎ込まれてきて、すべての疑いの闇は消え失せてしまったからです。」(八ー十二ー二九)と述べています。
彼は、自分の回心をまず、母モニカに伝えました。モニカの喜びはひとしおでした。アウグスチヌスは、その時のことを以下のように伝えています。

 
「それから私たちは、母のところへ行き、打ち明けました。母は喜びました。このことがどのようにしておこったかを話すと、母は躍りあがって、凱歌をあげ、私たちが乞いもとめたり、理解したしたりする以上のことをなしうるあなたを讃えました。」(八ー十二ー三十)

まさに、「涙の子が滅びるはずはない」というアンブロシウスの言葉が実現したのです。しかし、母モニカ以上に、神が、神から逃走した放蕩息子を探し求めてこられたことをアウグスチヌスは心に刻んでいます。

「アウグスチヌスの回想」

アウグスチヌスは、紆余曲折を通して信仰に導かれた自らの歩みを回想して、『告白』の中で、次のように述べています。アウグスチヌスの『告白』で最も引用される言葉です。

 
「あなた【神】 は、私たちを、ご自身に向けてお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぐ事は出来ないのです。(七ー二十ー十六)彼は、イエス・キリストを信じて神のもとに帰った平安を、旧約聖書の詩篇を引用して、表現しています。「私の魂は、黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ、わが岩、わが救い、わがやぐら。私は決して揺るがされない。」(詩篇62:1〜2)

「回心後のアウグスチヌス」

アウグスチヌスは、回心して後に、387年にアンブロシウスから洗礼を受けています。そして彼は、この世における立身出世や栄達の望みを捨てて、神と人に仕えることを決意します。彼は、392年にアフリカのヒッポ・レギウスの司祭になりますが、この年は、テオドシウス帝がキリスト教を国教にした時でした。また395年にはアウグスチヌスが司教になりますが、この年は、ローマ帝国が東と西に分裂した年でもありました。時代は急激に変化し、ゲルマン民族の大移動により、ローマ帝国の滅亡の前兆が現れてきます。
アウグスチヌスは、410年にローマへ西ゴート族が侵入するという大事件の衝撃を受け、413年から『神の国』を書き始め、427年に完成します。聖書の視点から見た壮大な歴史哲学です。たとえ、ローマ帝国に代表される「地の国」が滅びても、「神の国」は前進し、完成するというものです。彼は、430年に、ヴァンダル族がヒッポを包囲した国難の真っ只中で、76年の生涯を終えました。

「聖書のことば」

 “ですから誰でもキリストのうちにあるなら, その人は新らしく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しく なりました。——神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。”(IIコリント5:17、21)

参考文献
アウグスチヌス『告白』(全三冊、山田晶訳、中公文庫、2014年)
なお引用は、例えば八ー五ー十は、第八巻第五章十を示している。