死刑囚 久田徳造の救いと信仰
 先日、友人から畑野敏子編『甦った人ーある死刑囚の証したこと』という小雑誌が送られてきました。一読して、この死刑囚の信仰に感銘を受けましたので、紹介いたします。久田徳造さんは、尼崎に生まれましたが、産みのお母さんから捨てられた後、福祉施設にはいったり、養父母のもとで育てられたりして、不幸な幼年時代を過ごしました。その後彼は犯罪を犯して少年院を出たり入ったりしていましたが、29歳の時に殺人の罪を犯し、裁判で死刑が確定しました。死刑が執行された1975年6月2日にはまだ35歳でした。

「拘置所の中で」

 彼は、死刑囚として拘置所の中にいた時、震えおののき、わめき狂ったそうです。刑の執行はいつかわかリませんでしたが、恐怖に気も狂わんほどであったといいます。彼がその苦しみと恐れから解放されるきっかけになったのは、獄中で聖書に触れたからでした。彼がどのように変化したかを、『甦った人』に収載されている書簡で明らかにしたいと思います。ただこの書物は、彼が聖書を読むに至った経緯については触れてありません。ここでは、彼が信仰を持って後に書いた3つの歌、そして文通の相手の畑野敏子さんに宛てた四通の書簡を通して、彼に起きた劇的な変化を紹介します。

「彼が獄中で作った歌」
 
 ① 極刑に 苦しみもがきつ 幾年か来て 我が休息の場よ 十字架のもと
 ② ほとばしる ダイヤに勝る輝きよ 死刑囚我にも 十字架の主よ
 ③ 獄にありて 心は春の空駆る 神のめぐみ 受くるこの身は
こうした彼の歌から、彼にとってイエス・キリストの十字架における罪の赦しが、彼の平安と喜びの源泉となったことがわかります。彼はこの地上においては、死刑執行によって自分の罪を償う必要がありましたが、キリストの十字架の犠牲に罪赦され、永遠のいのちの祝福に与ることができました。

「畑野寿子さん宛の極中書簡」
次に久田さんの救いのために祈っておられたクリスチャン女性の畑野寿子さん宛ての書簡を通して、久田さんの信仰がどのようなものであったかを見てみたいと思います。

 ① 1975、3、23日の書簡
「死刑囚になり、やけのやんぱちで、苦しくてならない為に、職員さんに迷惑ばかり掛け通し でした。そんなことが丸一年続きました。あばれすぎて身体中が痛み、寝返りさえ打つこと ができなくなるまで、やけくそになってご迷惑をかけてしまいました。一つには死刑になる ことが恐ろしくてなりませんでした。そしてもう一つには、こんなに苦しくて、死んでしま わねばならないとかと思うと、いてもたってもおられなかったのです。」
 そんな時に久田さんは、「お前はそんなに小さなことで悩み苦しんでいるのか。永遠の命から見れば、お前の死ん でしまっている肉体の命など、ちっぽけもちっぽけ、悩むに足りないことだ。私がこの世に 来て十字架につけられたのは、永遠の命を与えるためだ。」という天からの声を聞き、一時的な肉体のいのちを超えた永遠のいのちのすばらしさに目に開かれます。

聖書には、

「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)

と約束されています。
 
②1975、5、12の書簡
「今神の大きな恵みと奇跡によって目の開かれつつある僕、僕の人生は全く光のない見えな いまっくら闇でしたのに、人間として一番最低、一番見苦しい、一番かすな人間である僕 をも、この絶望のドン底の僕に、今まで知ることのできなかった喜びと希望とが与えら れました。感謝と喜びに満たされるようになって、僕の思い、生活がすっかり変わってし まいました。なにをしていても楽しく、この狭い独房も鉄格子も、もう僕の目にはなんの 嫌なものではありません。気になることがまったくありません。鉄格子は、僕を守ってく れる大切なものにしか見えません。そしてこの狭い独房は、大空のように広い広いものと なりました。」
聖書には、

「光は闇中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネの福音書1:5)

とあります。光とはイエス・キリストです。

 ③ 1975、5、26日の書簡
「救われようもなかった僕のような者にとっては、主のお約束の全く変わることのない、こ の大きなあわれみは、そして喜びは、言葉に言い尽くせません。死刑囚のこの僕に、人に は想像もつかないような大きな希望が与えられました。この僕に与えられた大きな神の恵 みを、もし他の人々にそのまま伝えることができましたならば—–死刑囚として初めて、人間としてこの世にあることを喜び感謝し、生かされることに望みが与えられました。」

 ④1975、6、2日の書簡
「いよいよ今日、後数時間で主のもとに行かせていただくことになりました。今、この 恵みのひとときを心から味わっています。あの恐ろしくて恐ろしくてならなかった死刑が 、魂の底から恵みに変えられています。主を全く信じ、その確信を心から持つことができ ました。執行を目の前にした僕は、魂の底から安らかに住まわせていただいております。 何の不安もなくただ主を信頼し、その御約束に全てをお任せすることができています。」

「新生」

私たちは、イエス・キリストを救い主として信じられた久田さんが、本当に別人のように新しく生まれ変わり、永遠の命の祝福に入れられたことを知ることができます。聖書は、久田さんだけではなく、私たち一人一人にも、次のように約束しています。

 「誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ 、全てが新しくなりました。」(第ニコリントの手紙5:17)

久田さんにとって拘置所の死刑台が天国への凱旋門となったのです。

参考文献

『甦った人ーある死刑囚の証したこと』(畑野寿子編集発行)