聖書メッセージ 76|ヘンデル(1685〜1759)と聖書ーヘンデルのメサイア

もう約25年も前のことですが、1998年の9月にドイツの総選挙を視察するために、旧東ドイツのハレを訪れました。ハレは、中部ドイツのザーレ湖畔に位置し、ドイツ啓蒙主義や、A.H.フランケや N.ツィンツェン ドルフなどの敬虔主義(ピエティスムス)の発祥地として有名です。しかしそれ以上にヘンデルの生誕地として有名です。ハレ市民が集まってくる広場にヘンデル像があり、毎年、ヘンデルの記念演奏会が開かれます。この演奏会は共産主義時代にも続けられ、ハレ市民の心を潤す泉でした。

「メサイアの意味」

へンデルは、ハレの改革派教会のオルガニストを皮切りに、ドイツのハンブルグ歌劇場でのヴァイオリン奏者、イタリアでのオペラやオラトリオの作曲などを経て、イギリスのロンドンで活躍するようになります。彼の作品の中で最も知られ、愛されているのが、「メサイア」(Messiah)です。メサイアはメシアの英語読みです。ヘブル語のメシアは、「油注がれた者」と言う意味があり、ギリシャ語では、キリストと言います。メシア(救い主)が来られるという旧約聖書の預言があり、その預言の成就として、イエスがメシアとしてこの世界に来られました。そして私たちの罪を負って十字架にかかり、罪の赦しを成し遂げ、3日目に墓を打ち破ってよみがえられました。
皆様ご存知のようにヘンデルの「メサイア」は、クリスマスの時に演奏されます。
クリスマスといえば、ヘンデルの「メサイア」です。しかし、ピーター・ジェイコブ著『メサイアとヘンデルの生涯』によれば、ヘンデルの生きていた時代には、復活祭(イースター)の時に演奏されていました。復活祭ー大体4月頃ーは、クリスマスと同じくらい、否それ以上に重要な時です。聖書はイエスが復活によって、死と悪魔に打ち勝った勝利の主であることを伝えています。したがって、ヘンデルの「メサイア」は、歓喜に満ち、死を超えた希望を私たちに伝えています。

「苦悩するヘンデル」

「メサイア」を作曲する以前のヘンデルは、心身共にボロボロの状態にありました。彼は、1737年に脳卒中に襲われ、死の危険性に直面します。療養とリハビリによって健康を回復しますが、死の問題を真剣に考えざるを得ませんでした。また彼は、仕事の面でも挫折を経験していました。オペラ公演が失敗し、ヘンデルは失意のうちにロンドンを去らざるを得ない状況に置かれていました。

「チャールズ・ジェネンズの台本との出会い」

こうした状態に転機をもたらしたのが、ヘンデルの友人のチャールズ・ジェネンズがヘンデルのところに持ってきた台本でした。それは主に、1611年の英語の欽定訳聖書に依拠して、旧約聖書のメシア預言から始まって、キリストの降誕、十字架、復活を壮大に描いたものでした。ヘンデルはこの台本に狂喜したと言われています。オーストラリアの文豪ステファン・ツヴァイクは、ジェネンズの台本がヘンデルに及ぼした影響について、次のように語っています。
「最初の句を読んで、彼はハッと驚いた。Comfort ye———台本はこの言葉で始まっていた。「慰めあれ!」、この言葉は不可思議な力を持っていた、いやもはや言葉ではなかった。それは神から与えられた言葉であった。悲嘆に荒れた彼の心へ、運命を導く天の奥から呼びかけた天使の叫びであった。——彼は一枚一枚ページをめくるにつれて両手は震えた。突如として闇が彼の心から掃き去られた。光が、そして音楽の光の結晶的な清らかさが、なだれ込んできた。」
彼は、この台本を基にして、わずか24日という短期間で、「メサイア」を完成しています。1741年彼が56歳の時です。初演は、1742年にアイルランドのダブリンで行われました。管弦楽の伴奏で、合唱、独唱が繰り返されるオラトリオです。

「メサイアの構成ー第1部」

「メサイア」は三部によって構成されています。キリストの誕生、受難、復活、キリストの永遠の支配です。第1部の誕生は、イザヤ書の預言が中心となって展開されています。

 
「闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見た。市の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。——ひとりのみどり子が、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。」( イザヤ書9:2、6)

「メサイアの構成ー第2部」

第2部の「受難」も主にイザヤ書と詩篇の預言を中心に展開され、イエスの十字架による罪の赦しが歌われます。しかし第2部の終わりににおいては、キリストの世界支配が歌われています。これがあの有名な「ハレルヤ・コーラス」です。この「ハレルヤ・コーラス」が十字架の受難をテーマとする第2部の終わりにあることは重要です。キリストの十字架は敗北ではなく、輝かしい神の勝利に至る者として位置づけられています。ヘンデルにとって、キリストは救い主であるのみならず、全世界の主でした。「ハレルヤ・コーラス」では、ヨハネの黙示録19章が引用されています。なおハレルヤは、神を賛美するという意味です。
「ハレルヤ、万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。この世の国は、われらの主とそのキリストのものとなった。主は世々限りなく支配される。王の王、主の主、ハレルヤ! 」(Hallelujah! For the Lord omnipotent reigneth.The
Kingdom of our Lord and of his Christ; and He shall reign for ever and ever,
King of Kings,and Lords of Lords,Hallelujah!)

「メサイアの構成ー第3部」

第3部の「復活」においては、墓を打ち破って死に勝利したキリストのよみがえりが、新約聖書の第一コリント書を中心に高らかに宣言されます。まさに「メサイア」が復活祭に演奏されていた所以です。

「死は勝利に飲まれてしまった。——死よ、お前のとげはどこにあるのか。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。」 (1コリント15:54〜55)

そして「メサイア」は、最後に、子羊=キリストに対する賛美で終わっています。
「御座にすわる方と、子羊とに、賛美と誉と栄光と力が永遠にあるように。アーメン」(黙示録5:13)

これが「メサイア」の最後の「アーメン・コーラス」と呼ばれる部分です。「アーメン」とは、「その通りです」を意味する言葉です。じつは、この「アーメン・コーラス」は、「メサイア」の最後だけではなく、曲の全体を特徴づけています。つまり「メサイア」は、人間の救いに対するキリストの誕生、十字架、復活そして、神の国の到来という神の壮大な救いの計画に対する賛美であり、文字通り、「アーメン」なのです。「アーメン・コーラス」の中に私たちは、神の壮大な摂理と計画に対するヘンデルの驚きと賛美を見て取ることができます。

「ヘンデルの死」

ヘンデルは、69歳の時に失明同然となり、1759年74歳の時に、「メサイア」の演奏中に倒れ、復活祭前日の1759年4月14日に天に召されます。彼の遺体は、ウェストミンスター寺院に埋葬されますが、「ロンドン広報」は、ヘンデルの偉業をたたえ、「現世に天国の喜びを予知させることが、ヘンデルの任務であった。」と書いています。またヘンデルの友人は「メサイア」について、「その音楽は、神聖な言葉にふさわしく、また天国で聴く音楽にふさわしいものでした。」と語っています。
ヘンデルは、母の死に際して義弟に送った手紙の中で、「母の死は、全能者である神を喜ばせたのです。私はキリスト者としての従順を持って、大いなる神のご意志に従います。」と述べています。そこには、死とは神が自らを召される最高の時であこと、そしてその神の召しに柔順に従うというヘンデルの信仰が表明されています。
クリスマスが近づいてきました。私たちがヘンデルの「メサイア」を聴く時に、イエス・キリストのことを覚えることができれば幸いです。そして「メサイア」についてよく知りたい方は、聖書を読まれることをお勧めします。

参考文献
ピーター・ジェイコブ『メサイアとヘンデルの生涯』(日本キリスト教団出版局、1998年)
大野恵正『聖書と音楽』(新教出版社、2001年)