アーネスト・ゴードーン(1916-2002)と聖書
―クワイ河収容所における神の働きー

「戦場にかける橋」という映画をご存じでしょうか。英語の題名は、The Bridge on The River Kwai(1957年)で、連合運の俘虜が、タイとビルマの国境に在るクワイ河に橋を架ける中で織りなされる「極限状況」における日本人兵士と捕虜との対立そして友情の物語を映画化したものです。。
アーネスト・ゴードンは、実際にクワイ河に橋を建設する強制労働に携わった人物ですが、クワイ河収容所で起こった驚くべき奇跡を証言しています。その証言の本が、『クワイ河収容所』です。(ちくま学芸文庫、1995年、ただしその前に1981年に新地書房から刊行。原題は、Through the Valley of the Kwai )

   「日本人兵士の残虐な行為」

本書は、日本人兵士がハーグ陸戦条約に違反して捕虜や民間人に対して行った残虐な行為を告発する書ではありません。タイやビルマにおいて日本軍の俘虜となった人々が、いかに生きる意味を見出し、死や絶望、そして利己主義を克服し、人間の尊厳を回復していったかを示す感動の書です。しかし、ゴードンは、日本兵の残虐さについて以下のように証言しています。

 「占領期間は、四年間であるが、その間に日本軍は文明社会の道徳律を、ことごとく犯してゆく。彼らは公然と俘虜を殺害した。銃剣で突き殺す、射殺する、溺死させる、首をはねるなど残酷な殺し方によって。公然とである。しかし隠密裏の殺害方法は、公然の場合より残忍であった。それらは、人間の忍耐力の限界を越えた強制労働、飢餓、拷問また疫病に対して、一切の治療処置を拒絶することなどであった。」

  現在ロシアがウクライナを不当に侵略した上に、民間人を殺害したり、捕虜を虐待するなどの残虐な行為が報道されていますが、わたしたち日本人は、戦前日本が犯した戦争犯罪を心に刻む必要があります。本書によれば、「ドイツ軍、イタリア軍に捕らえられた戦争捕虜のうち死亡者は、4%であるのに対して、日本人の手に捕らえられた俘虜死亡者は28%」にのぼるそうです。

 「クワイ河収容所での奇跡」

俘虜たちは俘虜収容所において強制労働、チフス、コレラ、マラリヤといった感染症、拷問、殴打、飢餓に苦しめられ、希望を失い、虚脱した人間、無気力、無関心な人間に落ちていきました。ゴードンは、収容所の俘虜たちの置かれた絶望的な状況について以下のように書き記しています。

 「死ぬのは容易であった。抱いていた願望が裏切られると、生きてゆくことが重荷となった。そしてそれが重荷になった時、生きることを拒否するのは容易だ。生きることがもたらす苦痛を、死によって避けるのはたやすいことであった。またそういう時、絶望の哲学を受け容れることは実に簡単なことである。極限状況の中で生きるよりも死ぬことのほうがはるかにやさしいからだ。そこで、人々は、「私自身の存在の意味はまったくない。人生にはただ虚無のみが存在する。重要なものは何もない。そこで、私は、死ぬまで生きているにすぎない」というようになる。—生き続けるのは死ぬためである。」

  「収容所における奇跡」

こうした虚無と死の支配している「クワイ河収容所」に変化が生まれ、奇跡が行われるきっかけとなったのが、収容所内の「死の家」に放り込まれていたゴードンに献身的に尽くす二人の俘虜ダスティ・ミラーとディンティ・ムーアの存在でした。二人は、心から神を信じていて、ゴードンを初め他の捕虜のために献身的に尽くします。そして収容所内に、死から生への方向転換が始まり、自分のことしか考えられなかった俘虜たちが、他者に対する自己犠牲に目覚め、また二人を通して神の愛を知り、その神の愛が今度は俘虜相互の愛へと発展していきます。ゴードンは、この収容所に生まれた新しい変化について次のように述べています。

 
「死は、むろんまだつきまとっていた。これ以上確実なことはない。しかし、徐々に死の
破壊的な力から自由になりつつあった。死の手は握ったら離さない力を持つ。——自
己中心、憎しみ、妬み、欲張りなどが、みな人間らしい生き方を破壊していった。とこ
ろが、その反生命的な力と違って、今は愛、自己犠牲、思いやり、創造的な信仰が、人
間らしい生命の根本をなしている要素である、と知らされるようになってきた。ただ単
に生存していることから、意味のある生を生きることへの変化が、その根本要素によっ
てもたらされるのである。」

 ディンティ・ムアがゴードンに聖書の一節を読んで聞かせるシーンがあります。それは、「愛には、恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者には罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」(Ⅰヨハネ4:18,19)というものでした。収容所内で見られるようになる自己犠牲の愛は、実は神が一人一人を愛されたという源泉から生み出されたものでした。ゴードンは、「クワイ河収容所の死の収容所の中に神が生きて、自ら働いて奇跡を起こしつつあるのを、この身に感じていた。」(207頁)と書き記しています。

 「キリストの十字架―苦痛を追われるイエス」

苦難の中で、ゴードンたちは、イエス・キリストの十字架の意味を理解するようになります。それは、イエス・キリストが彼らの真ん中におられ、死の苦痛を背負っておられるという事実でした。イエスは、人間の罪を背負って十字架にかけられ、はかり知ることのできない苦しみを受けられました。しかし死で終わりではなく、死んで三日目に復活して生きておられ、クワイ河収容所においても働いておられる方でした。イエス・キリストは弟子たちに「私はよみがえりであり、いのち」であると語られ、死に勝利されたお方です。ゴードンは、「信仰とは、苦労を乗り越えるものである。私たちは十字架を見上げ、十字架が与える知識、神がわたしたちの真ん中におられるという知識から力を得ていた」と述べています。

「創造的な活動」

神が共におられるという信仰に励まされたゴートン初め俘虜たちは、死への恐れを克服し、生きてゆくことに希望を持つようになります。そして、そこから賛美歌や詩を披露するオーケストラ、合唱大会、演劇会、古典や聖書、ギリシャ語を学ぶ勉強会が誕生します。そしてとりわけ収容所内に教会が生み出されてきます。死の収容所が、神を賛美する喜びと希望の共同体に変えられていくのです。この教会に参加する資格は、「イエス・キリストは主である」という信仰告白だけでした。。ゴードンは、この教会がクワイ河収容所の俘虜にもたらした影響を以下のように述べています。

 
「この教会は、すなわち神の愛の働きかけに対する喜びの応答である。その応答として
存在する教会である。その教会は、世俗世界からその外側へ呼び出されて、しかも世俗世界の中にあって生きるよう、その外側に送り込まれて、存在する教会である。——キリストの愛がある所ならどこにでも存在するという教会が霊の教会である。——私たちのは霊の教会であった。これは、たとえるならば、私たちの共同社会の心臓であった。そしてしっかりと脈打っている心臓であった。この教会が、俘虜収容所に対して生命を与え、収容所と単なる人の群衆、恐怖におののく個人の群れを大きく変革させていた中心なのである。生存競争を生きる自己優先の人間の集まり、怯える結果無気力になっていた人間の集まりを、一つの共同体に変えていた力の中心であった。」

「ゴードンとドストエフスキー」

ゴードンは、死や虚無感との只中で、神への信仰に導かれました。彼は最初から、信仰をもっていたわけではなく、どちらかといえば信仰や神に対して懐疑的、否定的でした。彼は、ドストエフスキーをひきあいに出して、自分の信仰は。「疑いと迷いのるつぼ」から精錬されて生まれたものであると述べています。ゴードンはドストエフスキーの『悪霊』でステファン氏が発した言葉を引用して、人生における神の存在の重要性について力説しています。

 
「人間存在の全法則は、人間が常に限りもなく偉大なものの前にひれ伏すことができたという一事につきます。もし人間から限りもなく偉大なものを奪い去るなら、人間は生きることをやめ、絶望のあまり死んでしまうでしょう。無限にして永遠なるものは、人間にとって、彼らがいまその上に住んでいるこの小さな惑星と同様、欠かすべからざるものなのです。」(江川卓『悪霊下』、新潮文庫、616頁からの引用)

「解放後のゴードンの歩み」

連合国の勝利によって俘虜の立場から解放されたゴードンは彼の生まれ故郷スコットランドに帰ります。しかし戦後ゴードンが見た者は、物質主義的な社会であり、自己の安定だけを求める人々でした。それは、「クワイ河収容所」を経験したゴードンの眼からみれば、「神からの逃亡、孤独と絶望の地獄への堕落」を意味していました。彼は、神なき世界に放り出される中で、新たな使命を神から与えられます。彼の言葉を引用しましょう。

 
「このような世界のいったいどこに、永遠無限の偉大な存在の姿を垣間見ることができるのか。その影像を心に描き、その存在に従いゆきたいと願う者、それによって生かされ、息吹を与えられ高められ、自分の隣人を助けたい、その為の道を見出したいと願う自己を捨てた者にもうけられている場所は、いったいどこにあるのか、自分の隣人に仕えることを通して神に仕え、またそのことが無上の喜びと感ずる者の居場所はどこか。」

彼は、帰国して後に、エディンバラの神学大学、米国のハートフォド神学校に学び、1981年26年間プリンストン大学の教会牧師として、大学生たちに、「クワイ河収容所」での経験を語り、暗闇の中に輝く光であるイエス・キリストへの信仰を語り続けました。彼は、自分の居場所を見つけたのです。「クワイ河収容所」で起こった奇跡が現代において再現し、未来を担う若者がキリストへの信仰と神の愛に生かされることを願いながら。

「聖書のことば」

“主【神】は私のたましいを生き返らせ、御名のゆえに、私を義の道の導かれます。
たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。
あなたが、ともにおられますから、“(詩篇23:3,4)