椎名麟三(1911-1973)と聖書―イエス・キリストの復活

「椎名鱗三のプロフィール」

椎名麟三の本名は大坪昇(のぼる)。1911年に兵庫県に生まれ、父母の不仲による離別もあり、14歳で家出をして後に、コック、鉄道員、鉄鋼所を転々とします。その後、共産党員としての活動のゆえに、1931年に特高に検挙されて投獄され、獄中で転向します。1950年にキリスト教に入信し、1951年に洗礼を受けます。以降キリスト教作家として活動し、1973年61歳で、東京の自宅で死去しています。

「椎名のドストエフスキー体験」

 椎名は、ドフトエフスキーを読むことを通して、イエス・キリストに惹かれていきます。彼は、 『私のドストエフスキー体験』において、ドストエフスキーの著作に「ほんとうの救いの光」を見ると述べています。それはドストエフスキーが「あらゆる懐疑を突き抜けて神を信じ」、イエス・キリストに光を見出したからです。椎名は、人生に意味を見出せず、絶望して、毎晩新宿で呑んだくれていました。太宰治が1948年自殺した時に、今度死ぬのは椎名麟三であるとうわさが流布していたほどです。しかし彼には一縷の望みがありました。彼は、「その私に全然望みがなかったわけではなかったのであります。それは、ドストエフスキーの指し示してくれているイエス・キリストだったのであります。」と述べています。椎名にとってドストエフスキーの存在は、生きていく上で圧倒的な影響力を持っていました。彼は、「私の精神の遍歴の 中でドストエフスキーが大きな部分を占めているからであり、絶望のどん底において私の眼を文学に開いてくれたのも彼であり、さらにその文学における絶望でイエス ・キリストを指してくれたのも彼であるからだ。」と述べています。

「ニヒリズムからの脱出」

椎名は、1947年2月「深夜の酒宴」(展望)で作家デビューをします。そして、1948年6 月に『永遠なる序章』を刊行しますが、そこには生きる意味を見出し得ないニヒリズムと、生きる意味と根拠を求めての求道の中で、イエス、キリストに触れる魂の経緯が記されてあります。1951年の『赤い孤独者』においては、ルカの福音書を読んでキリストの復活の信仰に導かれたことが述べられています。そして1952 年の『邂逅』や1954年の『自由の彼方』において、キリストによって新しく生かされる喜びが記されてあります。

「死に対する恐れ」

椎名文学の主題は、死に対する恐れです。彼は、『私の聖書物語』の中で、「死があるかぎり、この世には本当の解決はない。」と述べています。また『深夜の酒宴』(1947)では、「絶望と死、これが僕の運命なのだ。」と慨嘆しています。また『赤い孤独者』においては、「僕は死を我慢することはできない。だから僕は、どんな宗教でも、どんな思想でも死を正義化した瞬間に、その宗教や思想に対して不信と憎悪を感ずるのだ。」と胸の内を吐露しています。それでは、椎名は、この死の問題をどのように解決したのでしょうか。彼の主著『永遠なる序章』から見てみたいと思います。この書物は死をテーマとしており、ロシアの文豪トルストイの『イワン・イリッチの死』の影響を受けています。
『永遠なる序章』の主人公は、青年労働者の砂川安太で、結核のため3ヶ月後に死ぬと彼のレントゲン写真を見た青年医師の竹内銀太郎から死の宣告を受けます。彼は以前、暗くて陰惨な家庭的背景もあり、自殺未遂をしたこともあります。宣告を受けた時、安太は、次のように心境を語っています。
「自分は、一切が不可能になった今、本当に生きていけるであろうか。生きていけるにしても、如何にして生きて行くのか。おそらく神を信じている人は、神によってそれは可能であろう。しかし、自分には神はない。自分の死を超える可能性を信じ得ない者にとって、もう自分は全く無意味なのではないか。あの医者が言ったように、せいぜいうまいものを喰って静か寝ているべきではないか。」彼は、共産主義者となり、革命に共鳴していきますが、戦争と敗戦の虚無的状況の中で、経済的・物質的な改革があったとしても、死の問題の解決がないことを慨嘆します。

 
「生活を重くするだけにしか過ぎない現在の一切の社会制度は、今すぐにどうしても破壊されなければならぬ。しかし、人間の物的なものからの解放が、同時に死からの解放でないかぎりは、その革命は、いたずらな悲劇になるに違いないという気がしたのである。だが死からいかにして人間は自由になりうるのであろうか。もしそれが不可能だと、社会革命は人間にとってて遂に無意味なものとなるのではなかろうか。」

 彼は、戦争に出征し、満州や北支那に行った時にも、死のことばかり考えていました。そして肺結核を発症し、内地の病院に送還されます。彼は、ニヒリズムや死の問題と格闘する中、「神よ、おまえは、永久に救われざる俺たちのあることを知っているか!、そして俺たちの血の痛みを知っているか!」と心の中で叫ぶのです。

「キリストの復活―死を超えた希望」

こうした魂の葛藤の中で、椎名は、復活の信仰に到達します。彼は、1951年クリスマスの時に洗礼を受けます。彼が、復活のイエスと出会った時に読んだ聖書の箇所は、ルカの福音書の次の聖句です。キリストが十字架で死なれ、3日目によみがえって弟子たちに現れた場面です。

 
「 これらのことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『平安があなたがたにあるように』と言われた。彼らは、おびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。『なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを抱くのですか。わたしの手や足をよく見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見てわかるように、わたしにはあります。』こう言って、イエスは彼らに手と足を見せられた。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっていたので、イエスは、『ここに何か食べる物がありますか』と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すとイエスはそれを取って、彼らの前で召し上がった。
(ルカの福音書24:36〜43)

椎名は、この箇所を読んで、十字架で死んだイエスが生きているのに衝撃を受け、イエスが焼魚の一切れをムシャムシャ食って弟子たちに見せられた、そのイエスの愛に胸を打たれ、絶対と考えていた死の必然性が一瞬のうちに打ち砕かれたことの喜びを語っています。彼の人生は復活のイエスに出会って、一変します。苦渋に満ちた顔が柔和な顔に変わり、ユーモアが出てきます。死の恐れから解放され、死を超えた希望と真の自由を得るのです。
キリスト教作家である佐古純一郎(1919〜2014)は、椎名について以下のように語っています。
「椎名麟三がさし示してくれたことは、聖書におけるキリストのこの世に対する勝利であり、同時にそのことは、この世に対する人間の勝利であるということであった。——-復活のキリストが、椎名麟三にいきいきと生きよという言葉として、やってきたのである。キリストとの邂逅、それは椎名麟三の文学にとって、決定的な意味をもたらした。」

「聖書のことば」

「死は勝利に飲まれた。
死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか。——
神は、私たちの主イエス・キリスト によって、
私たちに勝利を与えて下さいました。」(2コリント15:54〜57)

参考文献

椎名麒三『私の聖書物語』(中公文庫、1973年)
椎名麒三『永遠なる序章』(新潮文庫、1958年)
佐古純一郎 『宗教と文学』(春秋社、1960年)
清水昭三『椎名麟三の神と太宰治の神』(原書房、2011年)