横田早紀江(1936〜)さんと聖書

ー拉致被害家族からキリストへー

1977年11月15日、横田早紀江さんの娘さんのめぐみさんが北朝鮮の工作員によって新潟で拉致され、行方不明になりました。中学一年、13歳の時です。しかし、北朝鮮によって拉致されたことが判明し、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成されたのは、すでに20年経過した1997年になってからでした。

「聖書との触れ合い」

横田早紀江さんが書かれた『愛はあきらめない』から、早紀江さんはがなぜ信仰に導かれたかを紹介したいと思います。
早紀江さんは、めぐみさんが行方不明になった時に、「どうか生きていて! 」と絶叫したくなるような気持ちで、毎日めぐみさんを探し回わられました。しかし甲斐なく、時間だけが過ぎ去っていき、打ちひしがれて、絶望的になります。その時の心の状態について、「この苦しみから解放されるなら、もう死んでしまいたい。——どんなに号泣し、息も止まれと止めてみても、海辺に行って何度死を思って見ても、悲しい朝はまたやってきます。」と書いておられます。

「ヨブ記との出会い」

そのような時に、早紀江さんは一冊の聖書を友人からプレゼントされます。分厚い聖書の中で、なんと友人に勧められて早紀江さんが読み始めたのは、難解で知られている旧約聖書のヨブ記でした。ヨブは、神を畏れ、神に従っていましたが、突発的な事件が起き、財産を失い、すべての子供達を失くすという苦難を経験します。悪を行わず、善を行い、神に従っているのに、なぜこのような苦難と悲劇が起きるのかという叫びがヨブの 心の中に生じます。大切なものを失うという点では、早紀江さんも同じです。早紀江さんはめぐみさんが行方不明になったことについて自分を責め、自殺まで考えるようになります。ヨブは、苦難の中で、「主はあたえ、主はとられる。主の御名は賛美すべきかな」(ヨブ記1:21) と語りますが、早紀江さんは、苦難の中にあっても、神に信頼するヨブの姿に感動を覚えられるのです。この経験を通して早紀江さんは、人のいのちを支配している神がおられることを知らり、人知を超えた神の視点に目をむけるようになります。特にヨブ記の「あなたは、神の深さを見抜くことができようか。全能者の極限を見つけることができようか。それは天よりも高い。あなたに何ができよう。それはよみよりも深い。あなたが何を知り得よう。」(ヨブ記11:7、8)は、彼女の心に深く刻まれます。
早紀江さんは、「人類の及ばない所のあなたの存在は、この世の悲しみ、苦しみ、全てを飲み込んでおられることを信じます。めぐみの悲しい人生も、この小さなものには介入できない問題であることをしりました」と書いておられます。

「聖書を読む会」

早紀江さんは、ヨブ記から始めて、聖書を読み進んでいかれますが、その時のことを、次のように述壊しています。

「こういうことから、私は聖書の世界に深く入っていき、人知を超えた真の神の存在を知りました。それから、詩篇、ローマ書、コリント書、イザヤ書などむさぼるように読み進んで行きました。今まで聞いたことのない一つ一つの言葉は、私の魂にひびき、しかも痛みを伴った心地よさで胸に染み込んできました。」

それから、早紀江さんは宣教師が開いておられた「聖書を読む会」に定期的に参加するようになり、熱心に聖書を学びます。そこで、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしの所に来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげます。」(マタイ11:28)というイエス・キリストの招きの声を聞き、魂が新しくされる経験をします。

「バプテスマ」

早紀江さんは更に聖書を読み進めていかれる中で、自分の小ささや汚れに気づき、「私のような罪ある全ての人間を救うため、キリストが十字架の苦しみを経験され、血を流してくださった」ことを知り、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れます。早紀江さんが宣教師からバプテスマを受けたのは、1984年5月でした。

「苦しみの意味」

そして、早紀江さんは、苦難の意味について以下のように述べています。

「この事件がなければ、キリストに出会うことはなかったでしょうし、クリスチャンになることもなかったでしょう。こうして長い年月、神様に愛され、訓練させられて、今日あることを心から感謝しています。」

早紀江さんの思いはまさに、「苦しみにあったことは幸せでした。わたしはそれであなたのおきてを学びました。あなたの御口の教えは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。」(詩篇19:71、72)という聖書の言葉に表現されています。

「神の導き」

早紀江さんは、めぐみさんとは会えませんでしたが、孫のキム・ウンギョンさんと面会を果たしました。当初は、キム ・ウンギョンさんが平壌で生きていることを知りつつも、北朝鮮に会いに行きませんでした。北朝鮮が拉致被害者の幕引きをすることを恐れたためです。しかし、2014年3月にモンゴルのウランバートルで、当時26歳のウンギョンさんと感動のの面会を果たすことができたことは感無量であったと思います。これも神の導きによるものでした。
2020年6月に共に救出活動を担って来られた御主人の滋さんが、亡くなられました。亡くなられる前にイエスを信じて、クリスチャンになり、2017年に11月にバプテスマを受けられたことは、早紀江さんにとっては、何ものにもまさる大きな喜びでした。

「神の時を待つ」

早紀江さんは、決して諦めないで、めぐみさんが帰って来られるのを待ち望みながら、救出活動を続けておられます。現在の早紀江さんの心境は、「私の魂は黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来る。神こそ、わが岩、わが救い、わがやぐら。私は揺るがされることはない。」(詩篇62:5-8)という聖書の言葉ではないでしょうか。
幸いなことに、早紀江さんの証や講演活動、また著作を通して、多くの人々がキリストに導かれてたことは、不思議な神の導き以外の何物でもありません。

【参考文献】
横田早紀江『ブルーリボンの祈り』( フォレストブックス、2003年)
横田早紀江『愛はあきらめない』(フォレストブックス、2014年)