渋沢栄一(1840-1931)と聖書

イエス・キリストの復活

 現在 2021年の大河ドラマ「晴天を衝け」が放映されており、私も毎週楽しみに見ています。主人公は、幕末から、明治、大正、昭和初期を生き抜いた銀行家、実業家、慈善家で、「日本資本主義の父」と呼ばれている渋沢栄一です。渋沢栄一は、論語で知られた人ですので、彼がどの程度聖書に触れたのかは、よくわかりません。ただ次に述べることは、よく知られた事実です。

 彼は、日本の実業家、銀行家として、4回ほど欧米に視察旅行をした経験があります。その中で、1917年に渋沢が、米国に行った時の出来事が印象的です。彼は当時の米国のデパート王であるワナメーカー(1838-1922) に招待されて、フイラデルフイアにあるベタニア教会の日曜学校に参加をします。ワナメーカーはこの日曜学校の校長先生なのです。彼は67年間、日曜学校で奉仕した人物です。ワナメーカーは子供たちに福音を伝え、教育することに使命感を感じ、1920年には「世界日曜学校総裁」に就任しています。実業家としてどんなに多忙であるときも、日曜日には必ず教会に行き、礼拝し、子供達に聖書のみことばを語ります。また彼は祈りの人で、一日を必ず聖書を読み、祈ることから始めて、デパートに「祈りの部屋」を設けました。当時の日本のキリスト教界の指導者である小崎弘通(1856-1938)もベテスダ教会を訪ね、ワナメーカーの信仰と教会の霊的な活気に感動して帰国しています。

 渋沢は、ワナメーカーに子供達の前で何か話すように頼まれて、話しだし、「私は、孔子の教えを記した論語を毎日読んでいます。私は、儒教もキリスト教も同じだと思います」と語ったそうです。その時にワナメーカーは涙を流しながら、立ち上がり、次のように言ったと言われています。
「私は儒教に対して心から尊敬をしています。今、東洋の紳士が、キリスト教も儒教も同じだと言われましたが、私は絶対に違うと思います。その間に根本的な違いがあります。孔子は死んで、葬られました。そしてそのまま眠っています。キリストも一度は死んで葬られました。けれども彼は、よみがえったのです。彼の墓は空になりました。キリストは今も生きています。そうです。現にこの部屋の中に、私たちの中におられます。」
 これは、キリストの復活が、キリスト信仰の土台であるという彼の告白なのです。

 そしてワナメーカーは、 小さな聖書を高く掲げて、「ここにイエスの言葉があります。これは生ける言葉です。私たちは生ける言葉を、この書物の中に読むことができます。」と腹の底から声を絞り出すように語ったのです。
このワナメーカーの涙を流して語った行動に、渋沢栄一は、どのように反応したのでしょうか。1917年のフイラデルフィアの新聞『日曜タイムズ』は、渋沢が米国を去る時に開かれた送別の宴で、「アメリカ滞在中何を最も感じましたか」という記者の質問に対する渋沢の答えを紹介している。

「最も深い印象を受けたのは、フイラデルフィアのあの日曜学校です。ワナメーカー氏が、熱心にキリストを弁証されて、小さな聖書を掲げられたとき、彼が生ける主を慕うあまり、その頰から熱い涙が流れ落ちるのを私が見た時です。」

 ワナメーカーが語ったイエス・キリストの復活は、渋沢栄一の心に焼きついたのではないかと思います。イエス・キリストの十字架の死と復活は、キリスト信仰の土台です。聖書は、福音(good news)の最も大切なこととして、「キリストが聖書に書いてある通りに、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また聖書に書いてある通りに、三日目によみがえられたこと」(1コリント15:3-4)を書き記しています。そしてキリストの復活によって弟子たちは勇気づけられ、「イエス・キリストはよみがえられた!」と喜びながら伝えていき、福音が全世界に広がっていった のです。

参考文献
『藤井武全集』(岩波書店、第5巻、245-6頁)
小崎弘道『七十年の回顧』(警醒社書店、1927年)、310〜312頁
ジョン・クウアン『ジョン・ワナメーカー』(小牧出版、2012年)